⑦ 優秀だった 12双、原研出身者たちが陥った・・・無知の本質
昨日の記事で「無知な、貧しき者しか来ることができなかった」と書きましたが、この「無知」に関して言葉足らずでしたので、補足しておきます。
間違い ☞ 原理講論 第六章 再臨論 第三節(三)(3)
「韓国民族は・・・一度も他の国を侵略したことはなかった。」
無知の本質
・・・優秀な人材が多かった日本統一教会の草創期
特に、日本統一教会の草創期の小山田先生や周藤先生、そして、原理研究会出身者たちの青春時代は誰もが欧米を見ていた時代です。その彼らが韓国の歴史を学ぶということは皆無だったはずです。
彼らには、日本が韓国を植民地化したという罪悪感があったに違いないのです。その彼らが、再臨主を迎える国の条件は「一度も他国を侵略したことはない国でなければならない。それが韓国です。」と語った原理講師の熱弁に感動し、親を泣かせてでも、世間を驚かせてでも献身したのです。(「親泣かせ原理運動(1967年・朝日新聞)」)
恥ずかしながら、無知な私も本当に感動したことを覚えています。
実際に、12双、777双、原理研究会出身者たちは優秀だった。しかし、その彼らは、とりわけ、韓国の歴史に対しては無知であったはずです。この無知が幸いしたのです。
しかし・・・・、
韓国に関心を持った優秀な食口たち
優秀だった統一教会の草創期の先輩たちは、ステータスとして、主の国に関心をもって、先を争うようにして、韓国語を学び、韓国の歴史を学んだのです。
皮肉にも、知的にも優秀だった彼らに立ちはだかったのが、当然、韓国の「歴史の真実」だったのです。彼らは、「韓国は他国を侵略したことがあった」という真実を自分で学んだのです。少なくとも、私はそうでした。
「文は嘘つきだった」
そして、外的な歴史の真実に目が覚めた彼らに、さらに悲劇が追い打ちをかけました。それが第二次40年路程に入った1995年以降の下記の御言葉です。2000年以降になると、さらに悲劇に拍車がかかります。
統一教会のリーダー達の多くが、この御言葉を文字どおり解釈して、彼らは「文は嘘つきだった」と確信したのです。これによって、ステータスを求めた優秀な人材がたくさん文先生から離れた。そうでない半端なリーダーは組織を飯の種にして居座るか、巣籠になってしまったのです。
お母様側に着いた小山田先生や周藤先生も、胸の内は語らずとも、いや、語れないのです。そして、自分たちの不信を認めていませんから、名誉の為、御言葉は文字どおりの解釈するしかなく、すくなからず、お父様が理解できなくなって距離を置いたのではないか、私はそう思います。
天聖経
真の父母 八 二)
真の父母宣布後現れた現象
「韓国人は、今まで外国を侵略したことが一度もありません。」
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1995年・・・男性訪韓修練会 (1995.1.11-19)
家庭における女性の使命
「韓国は、外国から九三二回も侵略されているのです。そのうちの九十一パーセント以上が日本にやられているのです。」
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2005年・・・<第505巻>『文鮮明先生말씀選集』
創造本然の基準と神様の所有決定
韓国歴史は摂理史と一致する (2005.8.21--8.29)
「韓国のような国は今まで数千年間一度も侵略したことがない。そう、神様が選んだ民族だ。」
文先生が語られた「韓国」とは
第一次は文字どおり解釈
第一次40年路程中(1952-1992)に語られた「韓国」とは、「天一国」をこの世の韓国に定着させなければならなかった、その国を「韓国」と言っていたのです。それが原理講論になります。
第二次は文字どおりの注釈は間違い 「対応語」が必要
第一次40年路程が失敗して、第二次40年路程(1995-2035)になって語られた「韓国」とは、第一次とは違って語られています。この世の韓国のことではなく、未来において迎えるべき「天一国」が韓国という言葉の対応語になっています。他にも沢山の対応語があります。それが天聖経です。
(実際の第二次40年路程は短縮されたという御言葉が「天聖経 ⑨祝福家庭 第二章 二 6.」にあります。)
何故、そうなってしまったのでしょうか。
定着すべきだった第一次(1952-1992)が失敗することにより、第二次(1995-2035)があらわれ、しかし、この第二次も失敗が決定的にならざるを得ず、それが文先生の聖和です。そして、必然的に、摂理は第三次目に完成するとうのが原理基準になっている為です。
この観点を理解して上記の御言葉を読まれれば、時代圏の違っている御言葉の意味が分かるようになります。そうなれば、全対的な御言葉と摂理が合致するようになります。