③「氏族的メシヤ」 ▲30年の過ち 氏族的メシヤ 大敗北 哀れ ☞ 未だに気づかず 彼らは文先生の言語を忘れ去った
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文先生が語った『氏族』とは・・・一体何か???
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文先生が語られた天の国語での「氏族」と、私たちが理解したサタンの国語での「氏族」の間には、同じ「氏族」という文字であっても、似ても似つかない決定的な違いがありました。
サタンの国語の『氏族』と 天の国語の『氏族』
サタンの国語と天の国語の違いについて・・・ 次の ① と ② です。
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① サタンの国語でいう「氏族」とは・・・私たちの肉親の氏族圏
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大敗北の原因
私たちはこれまで「氏族」というと、自分の肉親を中心とした氏族であるとしてきました。
30年間、実績がなくても、教勢が衰退していても、或いは、フィリピンの430家庭を勝利したという、たった二つも、日本の信徒が霊の子をお金で買った結果であったというのです。驚きと共に哀れです。当然、その中間マージンは韓〇人に渡ったはずです。
しかし、この「氏族」とは、サタンの国語の「氏族」であり、怨讐を愛するという観点からすれば摂理圏外の「氏族」のことです。
参考までに・・・
家庭連合の古き幹部であった、復興師・柴沼邦彦氏(777双)の説教でも分かることは、(29:20-31:10)のところで、肉親の氏族圏の伝道を氏族的メシヤの使命であると語っています。そして、(30年の)結果が実っていないことを語っています。(・・・いくら叫んでも、実るはずがないのです。)
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『氏族』をサタンの国語で解釈するという過ちを犯した
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現家庭連合は断末魔の状況
この説教から、家庭連合の全てのリーダーたちは、柴沼氏の説教と同様に氏族的メシヤの「氏族」をサタンの国語で解釈していたことが分かります。私自身も長い間そう思ってきました。
文先生に対する不信が結実した・・断末魔
彼らは文先生の言語ではなくサタンの言語で「氏族」を理解したのです。ですから、リーダーたちがいくら氏族的メシヤの説教を繰り返したとしても復興するはずもありません。文先生が生涯貫かれた「怨讐を愛する」という精神には全く共鳴せず、全てが絵空事になってしまったのです。
それどころか、この30年で日本も韓国もアメリカも、教勢が落ち、信徒たちは高齢化し、二世は繋がらず・育たず、リーダーも育っていません。まさに、現家庭連合は断末魔の状況を迎えていると言えるのかもしれません。
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➁ 天の国語でいう「氏族」とは・・・キリスト教であり、統一教会が氏族
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文先生の言語が天の国語
「氏族」の定義的御言葉・・《A》《B》《C》《D》《E》《F》 他にも沢山ありますが、代表的御言葉を上げました。
特に、《A》は文先生の言語である「氏族」の意味が理解できる御言葉です。
文先生を中心とした氏族圏
なお、「氏族的メシヤ」の本論の考察は次回になります。
《A》天聖経
祝福家庭 第四章 二 2. ①
統一教会の教団は、氏族です。氏族なのです。
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《B》真の御父母様の生涯路程7 第一節 二
そして、私が米国で勝利して韓国に帰ってきたのちは、怨讐の首を切り、復讐線上に追い詰めて復讐すべきです。彼らは統一教会におけるカインです。
統一教会の怨讐は統一教会から離れていった者たちです。この世であれば首を切ってしかるべき怨讐です。
しかし、そのようにするのではありません。
神様の救援摂理は怨讐を生かしてあげるためのものなので、彼らを許してあげるのです。統一家において祝福を受けて離れた家庭は怨讐なのですが、その怨讐を許しなさいというのです。
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《C》 根本復帰 氏族的なメシヤの使命を完成しなさい
1971年1月10日 江原道・江陵教会(聖日礼拝)
統一教会は今、神の愛を受ける氏族圏となって、アベル的立場に立って民族を救う仕事をしているのです。
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《D》天聖経
祝福家庭 第二章 二 1.
神様の歴史は氏族での民族編成運動なので、統一教会の先生を中心として一九六〇年代の聖婚式、すなわち祝福のあとから本格的な氏族編成が展開するのです。それが三十六家庭から七十二家庭です。
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《E》真の御父母様の生涯路程5
第一節 四 長成期完成級を越える式(一九六八・二・八、前本部教会)
一九六〇年から一九六三年までは、外的に家庭と氏族を探し立てる期間でした。それで百二十四組まで祝福を完了したのです。それ以後は、先生の家庭的な〔内的(=血統転換の)〕基準を立てる期間でした。
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《F》天総官 文興進様 第四章 六 3
統一教会に入ってきて会社にしがみついて月給をもらっていた者たちは、氏族圏にもなりません。それを知らなければなりません。同じ価値ではありません。