〇観さん・暗在さんへ・・・1963年 敗北のレクイエム・・・「アカシヤの雨がやむとき」
この時代、韓国統一教会では、お父様とお母様を中心とした女の大戦争が繰り広げられていました。
1960年代初めのヒット曲「アカシヤの雨がやむとき」は私がまだ小学生の時だった。この時代の学生運動に身を費やしていた世代、その中で、羊的な者、学生運動に入り切れなかった者。 親泣かせ原理運動と非難されることも知らないで 傷つき渇いた心を潤したい・・そんな何かを感じて統一教会に入ってきた。これが12双、777双。
知らずに涙が出る・・心に沁みたこの曲・・・敗北のレクイエムを聞いた若者が統一教会に入ってきた。学生運動にはなじめなかった羊たち・・、だから 統一運動が好きになり、持ち前のアンチ癖が災いして、今は、コップの中で反統一運動だ。
だから 宗教性なんか始めっからない。揉まれていない世代 だから、どっかで躓く。でも、祝福で指名した女性をもらって子供が生まれたから、躓きながらも、がまんがまんでやってきた。ついにがまんが壊れてしまった。
この世代は、統一教会の伝道が急拡大されたとき、訓練も経ずに すぐに〇〇長になり、リーダーになっていった。上げ膳据え膳・・・、自分の好みに合った人事が組めた・・・、だから、自分は優れていると錯覚してしまった。誰もが競争するように偉ぶるのが好きだ。中身がないのに虚勢を張る。中身は、敗北のレクイエム、自己憐憫。ユダだ。
そんなあなた、この歌を聞き、歌詞を読みながら昔を懐かしんでみてはどうですか。
そう・・、挫折して行く所がないあなただ・・家庭連合村にシェアしながら・・反原理、反文先生になっているあなたです・・そして、そんなブログに同調しているブロガーのあなたです・・・
あるブログから・・・
無名のハスキーボイスの女性歌手によるやたらに暗い曲のリクエストが相次いだ(実際、一晩に10回以上もかかる〝独り勝ち状態〟が続いたという)。
あれこれ調べてみると、どうやら、この無名の曲に、前年の安保闘争に参加した若者たちが自らの挫折感を仮託・共振させているらしい。
そこから、「アカシアの雨――」は〝60年安保闘争のレクイエム〟と解釈されることになったというものだ。
時代的背景が重なった詩です
作詞:水木かおる、作曲:藤原秀行、唄:西田佐知子
1 アカシアの雨にうたれて
このまま死んでしまいたい
夜が明ける 日がのぼる
朝の光のその中で
冷たくなったわたしを見つけて
あの人は
涙を流してくれるでしょうか
2 アカシアの雨に泣いてる
切ない胸はわかるまい
思い出のペンダント
白い真珠のこの肌で
淋しく今日もあたためてるのに
あの人は
冷たい瞳(め)をして どこかへ消えた
3 アカシアの雨がやむとき
青空さして鳩がとぶ
むらさきの羽の色
それはベンチの片隅で
冷たくなったわたしのぬけがら
あの人を
さがして遙かに 飛び立つ影よ