平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

tomy4509さん・・・この矛盾、どうしたら解決しますか?? ☞ 『「統一原理」は、私の生涯の記録でもあります。』 『原理はイエス様まで』

 私はあえて何処にも属しないで、本考察を進めています。


 何故なら、その方がいかばかりか意義があると信じているからです。全ての縛りから己を解放せずしては、御言葉の真意にたどり着くことができないと思っています。


 最近、ブログ村のあるトップ的ブロガー(777双)が統一原理を軽視する、或いは、蔑視する記事をアップしていることに危惧を感じています。記事の表現が現象面に囚われた共産主義的思考者であると感じるほどです。(またまた、読者が減ったかも・・・)



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本日は矛盾しているとみえる御言葉を取りあげました。
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春日井のリボン」さんから


もう一つ質問があります。


本日の記事の御言葉 

「③ 真の父母経 第五篇 第一章 第四節」にある・・・


  ☞ 『10 「統一原理」は、私の生涯の記録でもあります。』という御言葉に関してです。


「原理はイエス様まで」という御言葉を読んだ記憶があります。もし、777さんが、ご存知であれば、この(矛盾している)二つの御言葉の関連性を教えていただけますでしょうか。


 上の春日井のリボンさんの質問を整理すると、次のような質問だと思います。

   




 下記の御言葉①『「(統一)原理」はイエス様まで説明しているために、イエス以後、先生に関することを皆さんは知りません。』とあります。


 ところが、昨日の取り上げた下記の御言葉➁には、『「統一原理」は、私の生涯の記録でもあります。・・・・・人々が私と私の行動を理解する唯一の方法は、「統一原理」に通じることのみです。』とあります。


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御言葉①と御言葉➁をよくよく見ると、矛盾している
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 つまり、御言葉①では、統一原理はイエス様までの説明になっている為、統一原理からは文先生に関することは知ることができないと言っているのです。
 ところが、御言葉➁では、私たちが文先生と文先生の行動を理解する唯一の方法は、「統一原理」に通じることのみだと言っているのです。


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    tomy4509さん、矛盾していることが分かりますね。
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 この矛盾をあなたはどう理解していますか??あなたの記事にするなり、777にコメント頂くなり、お忙しいでしょうが、お願いいたします。



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  何故、矛盾しているのか・・・777の考察
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 矛盾している理由はただ一つあります。


 その理由は、御言葉①は1971年の御言葉であり、御言葉➁は2000年以降に語られた御言葉であることです。
 つまり、摂理的時代圏の違いにあります。



1971年の御言葉①


 つまり、1971年の御言葉①はお母様と子女様たち、そして、洗礼ヨハネ的人物と幹部たちの責任分担が現在進行形の遂行中であることです。彼らの責任分担が成されれるのか、失敗するのか確定していない為、文先生の路程が不確定的段階にある時の御言葉であることです。


2000年以降の御言葉➁


 もう一方の御言葉➁は、2000年を超えた時代圏の御言葉です。
 この時代圏はお母様と子女様たち、そして、洗礼ヨハネ的人物と幹部たちの責任分担がことごとく失敗に終わり、文先生の地上での路程が聖和によって終結することが確定的段階に入った時の御言葉であることです。
 そして、確定的段階に入ったことが、結果として、摂理的同時性の観点から見た場合、文先生は「統一原理」のアダムからイエス様までの全復帰摂理歴史を歩み直すことになったのです。その為、統一原理の全復帰摂理歴史は摂理的同時性の立場から、結果として、文先生の生涯路程を預言していたことになったのです。
 驚天動地・・・、それを全て知られて出版されたのが統一原理であったのです。



  不信し続ける彼らを絶対基準で許す為・・・
 つまり、1920年の文先生の誕生から2012年の聖和まで、さらに横的に延長されて、三代王権継承、さらに、2114年に文先生が再臨主として再び顕現するまでの193年の期間が、六千年の摂理的同時性時代を、不信し続ける彼らを絶対基準で許す為、二千年の十分の一の期間をもって蕩減復帰することから、文先生の御言葉の全てがアダムやイエス様の名をもってご自身を最後まで隠され聖和されました。そして、下図のように、現在、横的延長時代という、その真っただ中にあるのです。


 このように、1920年に始まった再臨時代が横的に延長されて三代王権に継承されることが確定的段階に入ったことから、私たちが文先生と文先生の行動を理解する唯一の方法は、摂理的同時性を解いた『「統一原理」に(私たちが)通じることのみ』だと語られたのです。


 果たして、文先生の生涯路程は実際にどうなっているのでしょうか??これを考察しているのが本ブログです。
 参考に、過去の記事 ☞ (https://heiwanosyujin.muragon.com/entry/1053.html)以降で考察していますので、総観図と合わせてご覧頂ければと思います。



御言葉①


『根本復帰 』 (1971年1月10日 江原道・江陵教会 聖日礼拝)


  責任を果たし得なかったマリアと親戚


 このような恨みが積もっているのです。もっと詳細に話をしてあげたいのですが、時間がありません。

(※1)「原理」にはそういう内容がないですね。(※2)「(統一)原理」はイエス様まで説明しているために、イエス以後、先生に関することを皆さんは知りません。


それ故に、皆さんはこれから本当の勉強が残っているのです。まだ私が教えてあげていないのです。



試験を受けて落ちる人は落ちてしまい、本当に残るべき人達が残るようになれば、私が神の国へ連れて行くことのできる家庭をつくっておいて、教えてあげるのです。そのような家庭をつくるためにも今、このような苦労をさせているのです。女性を皆押し出して苦労させ、今は男性達も息子達までも苦労させようとしています。 】



➁ 赤・真の父母経 第五篇 第一章 第四節 「統一原理」と『原理講論』 


 10 「統一原理」は、私の生涯の記録でもあります。


それは、私自身の生活経験です。この「統一原理」は私の中にあり、私は「統一原理」の中にいます。


多くの 人々は、私がただ真理の発表者であり、その伝達者にすぎないと言いますが、私は真理のとおりに生きており、それを具現しました。


したがって、人々が私と私の行動を理解する唯一の方法は、「統一原理」に通じることのみです。


「統一原理」を知って研究することによってのみ、私を理解することができます。原理を研究すればするほど、私をさらによく理解できるというのです。

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