目を覚ませ 統一信徒たち!!! 2006年「平和メッセージ」には お母様の最終的な責任分担が語られていた!!
目を覚ませ 統一信徒たち!!!
下記の御言葉、あなたはどのように読みますか???????
1992年以降、御言葉の「堕落したアダムとエバ」「堕落した人類始祖」「偽りの父母」「皆さんの父母」とは・・・・、文先生とお母様のことになります。
この御言葉は・・・、文先生が86歳の時の御言葉です。
平和メッセージ10 (2006年11月21日、第47回「真の子女の日」 )
神様の絶対平和理想モデルである絶対性家庭と世界王国
「私たちの使命」
(注釈なし)
皆様、母を中心としてカイン・アベル、二人の息子が一つになり、天宙平和の王であられる真の父母の前に復帰された本然の理想家庭を奉献すべき摂理的召命の時が来ました。
人類始祖の堕落によってサタンに差し出してしまった兄弟圏と所有権までも、絶対「性」の完成を通して真の理想家庭を立て、再び天の前に還元させるべき天命が皆様と共にある時が、正にこの時代だということを肝に銘じてくださるよう願います。
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(注釈入り)
皆様、(※1)母(お母様)を中心としてカイン・アベル、二人の息子〔顕進様と国進様(亨進様)〕が一つになり、天宙平和の王であられる真の父母(神様)の前に復帰された本然の理想家庭を奉献すべき摂理的召命の時が来ました。
(※2)(1945年の時と1960年の時、「アブラハムによるイエスの典型路程」により、)人類始祖(文先生とお母様)の堕落によってサタンに差し出してしまった兄弟圏と所有権までも、絶対「性」の完成を通して真の理想家庭を立て、再び天の前に還元させるべき天命が皆様と共にある時が、正にこの時代だということを肝に銘じてくださるよう願います。
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(※1)も(※2)も六千年前の人類始祖のこととして読んだ場合、一字一句の言葉の使い方が厳格な原理観からみると間違っています。
分かりますか??
しかし、この人類始祖を文先生ご自身であるとして読むとと、スッキリと意味が通じることが分かります。
黒・天聖経も赤・天聖経もこの基準で御言葉が語られています。これによって、「還故郷摂理」も「氏族的メシヤ摂理」も「先祖解放摂理」も「聖和」も「基元節」も、全く違った姿で私たちの前にあらわれるようになります。
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同じ御言葉が語られている平和メッセージ
平和メッセージ7 2006年8月31日 神様の理想家庭と平和理想世界王国Ⅱ
平和メッセージ9 2006年10月22日から12月20日 神様の理想家庭と平和理想世界王国Ⅲ
何故、文先生はご自身のことを「堕落したアダム」「堕落した人類始祖」「偽りの父母」「皆さんの父母」と言ったのでしょうか????
この問題は、お母様を中心として幹部たちが「メシヤを迎える基台」を造成することができなかった為、洗礼ヨハネの立場にあったお母様が所有権転換に不信したことにより、「真の父母宣布」にも「神様王権即位式」にもサタンが侵入したことに起因しているのです。
その一つは、エバが真のエバになる為に必要であった「アブラハムによるイエスの典型路程」によってお母様が堕落し、そのお母様を救済する為にあったレアとラケルの分立摂理の為に、文先生が堕落したアダムの立場に立たれたのです。この文先生の堕落は事実蕩減という蕩減法からみて避けることができなかった堕落(御言葉〔C〕)であったのです。
(私個人としては、これを知ることにより、文先生こそが真のメシヤであったとなりました。皆さんはいかがですか。)
もう一つは、文先生が1945年のキリスト教の失敗を蕩減する為、洗礼ヨハネの位置で40年(1952-1992)サタン分立路程をもって再びメシヤ位置を取り戻されたにもかかわらず、洗礼ヨハネの使命を持ったお母様が所有権転換に反発して不信した為、文先生がメシヤの位置に上がることができず、堕落圏に残されたままになってしまったことを意味しているのです。
六千年前のアダムの堕落と、文先生が堕落した立場に立たれたことの決定的な違いは何でしょうか??もう、分かりますね。(これは省略します)
これを知って1992年以降の御言葉を読めば、この時代圏の摂理を正確に読み取ることができるばかりか、御言葉の文脈が統一原理の原理観と完全に一致することが分かるのです。
にもかかわらず、これを知らずに、「堕落したアダム」「人類始祖」を六千年前のアダムとして読んだ場合、御言葉の文脈が曖昧化し、摂理が見えなくなり、肝心な、統一原理との整合性さえ狂ってくるのです。
その為、1992年以降の御言葉の摂理観が曖昧化し、何の効力を持たない御言葉となってしまったのです。これを知った優秀な信徒ほど統一原理に不信して、「文さん、さようなら」と言って、沢山の兄弟が離れていった(卒業した)のです。
信徒たちに残された未来は・・・、
幹部たちが、ただただ、利権を貪る教会。二世に魅力のない教会。リーダーがまったく育たない教会。中途半端な高齢公務者を姥捨て山に捨てる教会。ただただ、衰退していく教会。