平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

愛する妻を怨讐に抱かせておいて福を祈ってあげることのできる男

深刻な御言葉です。
 この御言葉は、先生が80歳が過ぎた天聖経に残されたことに意義があります。


黒・天聖経 罪と蕩減復帰 第二章 五 1. 


 サタンとは何ですか。神様の愛の姦夫です……その怨讐サタンにエバ(=ひとり娘、お母様)を抱かせて今まで千回、万回讒訴すれば聞いてあげ、それを愛する立場に立っていたのです。それが神様の立場です。どれほど神様の立場が難しい立場かということを皆さんは知らないでしょう。


愛する妻(=ひとり娘、お母様)を怨讐に抱かせておいて福を祈ってあげることのできる男(=先生)の立場、それ以上の立場が神様の立場であることを知らなければなりません。あなた方はそうすることができますか。

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 サタンはエバ(=ひとり娘、お母様)の姦夫です。ゆえに神様の愛の怨讐です。


(先生は)その愛の怨讐が数千年の間、来て讒訴しても嫌な表情一つしないで、今まで真の主人としての仕事をやってきたのです。それで神様がこの地に一つの中心を育てあげるまでは、誰でも不平を言ったり、それを反対してはいけません。なぜでしょうかといえば、天使長がいるからです。

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 サタンは神様の愛の姦夫です。愛の姦夫。これは文総裁が世界的に初めて発表した言葉ですが、悪魔とはいったい何でしょうか。僕が未来に神様の妻になることのできる人(=ひとり娘、お母様)を強姦したのです。


アダム(=ひとり息子、先生)とエバ(=ひとり娘、お母様)とは何ですか。神様の体です。聖書のコリント人への第一の手紙を見れば、「あなたの体が聖殿であることが分からないのか」と言いました。神様の家です。家。聖書にアダムが名前を付けたようになったということばがありますが、それは何を意味するのでしょうか。神様がその心の中に入っていらっしゃるということです。

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 サタンは神様の立場から見れば姦夫です。エバ(=ひとり娘、お母様)は姦婦で、サタンは姦夫だというのです。そのような立場にある婦人(=大母様)とその娘(=お母様)を、純潔な女性として純潔な娘として考えなければ復帰することができません。


そうでなければ、もともとのままに取り戻すことができません。

そのような心情圏に処している神様の悲惨な心境は、誰も知りません。先生以外には、誰も知らないというのです。

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 怨讐に引かれていった自分の愛する妻(=お母様)が、子供を産んで再び帰ってこなければならないとき、そのような母と子を結婚前の純粋な心で迎えることができるでしょうか。サタンは愛の怨讐であり、愛の姦夫です。それこそ(先生とお母様は)アダムとエバが堕落した立場と同じです。しかし神様の心情圏では、その峠を越えていかなければ平和の世界はできないのです。その基準が成立してこそ、サタンは自然屈服するのです。

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 考えてみなさい。愛の怨讐になった悪魔のその息子、娘たち(=子女様たち)を怨讐の子として扱っていたら、神様のようなことはできません。それを、堕落する前の本然の息子、娘として愛するのと同じ心をもって愛したという基準を立てなければなりません。そうせざるを得ない悲痛な神様の立場を考えたことがありますか。

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 キリスト教や他の宗教の最高基準が怨讐を愛せということです。神様もこのような原則的な立場にあるので、サタン悪魔を愛さざるを得ないのです。これは愛の怨讐ですが、その怨讐を堕落していないアダムとエバ以上に愛さなければならないのです。なぜそうなのでしょうか。怨讐の懐に抱かれたエバ(=お母様)が庶子三、四人を連れて入ってくるとき、お父さんは彼らを自分が生んだ子供たちよりも愛さなければ、エバ(=お母様)が本然の立場に帰ってくる道がないからです。何のことが分かりますか。

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 自分の愛する妻(=お母様)を怨讐に抱かせてあげて、福を祈ることのできる雅量のある男にならずしては神様の息子、娘になることができないという結論にまで到達します。なぜですか。エバとは誰ですか。神様の妻です。サタンが抱いて今まで弄んだ姦婦のようなものを今まで六千年間、六千年ではありません。数万年です。人類歴史を一千万年までと見るではないですか。その間、彼が讒訴しても今まで相手にしてきた神様のその痛い心情の谷間を誰が知るでしょうか。ですから自分の愛する妻(=お母様)を自分の怨讐に抱かせてあげて、福を祈ることのできる心情圏を出入りする経験をしたことのない人は、神様の心情を知ることができないというのです。

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 結婚の前日に神様を捨てて怨讐に引かれていき、姦婦になり、息子、娘を生んで暮らしていたのを再び本然の、そのような傷のない立場として受け入れなければならない神様の心情を思うとき、お母様を偉大なお母様につくらなければならないと考えるのです。昔のエバ(=お母様)よりももっと素晴らしいお母様にしてこそ、エバによって傷つけられた悔しく悲痛な神様の心情の傷を埋めることができるというのです。父母様の家庭がそのことをしなければならないのです。何のことか分かりますか。

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 先生がこの道を備えてくるには、先生の愛する妻までもサタン魁首に抱かせてあげ、祝福してあげることのできる心がなければならないというのです。何のことか分かりますか。神様がそのような立場に立ったのです。悪魔は愛の姦夫です。怨讐ですが、終わりの日になってメシヤになることのできる資格者ならば、自分の新婦までも犠牲にしてサタンに与え、神様を解放しようとすることのできる立場に立たなければ、神様を解放できないのです。


【コメント : この御言葉は架空の話をしているのでしょうか。イエス様が語りたくても語ることができない為に、比喩で話したように、先生はご自身とお母様をアダムとエバという名を用いて語られたのです。

メシヤたるお方は全権が神様から付託された立場ですから、昔話をする立場ではないのです。六千年前のアダムとエバの問題が先生が80歳になっても解決できない為、天聖経に先生とお母様の蕩減問題となっていることを語られているのです。


そうでなければ、2003年に天聖経にこのような御言葉を残された理由は、一体どこにあるのでしょうか。


先生がお母様を育てる為に、イエス様以上の蕩減の道を行かなければならなかった苦しい悲しい心情を持たれ、直接語ることができない先生の御言葉は、絶対に昔話をしているのでもなく、私たちが原理で聞かなかった新しい聖書解釈をしているのでもないのです。


この御言葉は、最も身近におられるお母様のことを語られているのです。

文脈を丁寧にたどって、一つ一つの言葉をくみ取って読めばそれが分かるはずです。】


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