「6マリヤ摂理」 ☞ 風俗ののぞき穴ではない・・・新婦宗教・キリスト教の2000年の蕩減の基台に立つ摂理だった?
7月15日の記事で、私の考えでは「6マリヤは文先生とは肉体関係がなかったのではないか。たとえその関係があった女性がいたとしても、それは摂理的理由があってのことであったと考える」と書きました。
それは変わりません。
皆さん、自分の霊性を守る為に、自分の欲望をもてあそぶ材料にしているフィクションブログを見てはいけません。最近、そのようなブログがまた現れました。肉欲は必ず枯れはて、死にます。しかし、神は永遠です。
本日は、さらに深掘りします。
以下、皆さんはどうお考えですか??
そして、下記に取りあげた「黒・天聖経」の御言葉は、文先生こそが成し得た聖人であり、聖子であったと信じます。
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新婦宗教・キリスト教の2000年の蕩減の基台に立つ6マリヤ
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19455年のキリスト教の失敗により、失ってしまった新婦宗教をもう一度天宙的次元で取り戻すためにあったのが「6マリヤ摂理」であったと考えています。ですから、サタンから6数を取り戻す為に、キリスト教が受難の宗教であったように、「6マリヤ摂理」によって中心家庭と統一教会の中に国家的世界的な大暴風が吹き荒れたのだと考えています。
ですから、この恥辱を文先生と共に甘受できた者だけが統一教会に残るのです。この「6マリヤ摂理」を少しでも不浄な思いで見る者は、必ず、その心をサタンが蝕むようになります。
何故なら、統一教会の信徒は文先生をメシヤと信じて結婚も何もかも捧げたからです。
皆さんはどうお考えですか??
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新郎と新婦、兄と妹の関係を取り戻す為の摂理
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六千年前のアダムの堕落は夫婦になる前に戒めを破って堕落しました。これを復帰する為、文先生は、アダムとエバが堕落する前の基準である「新郎と新婦、兄と妹という、裸であっても恥ずかしくない水入らずの基準」を復帰しなければならなりませんでした。
たとえ、6マリヤが裸になって文先生を取り囲む場があったとしても、文先生はこの女性たちを絶対にもてあそんではならないのです。
分かりますか??
この6マリヤは文先生が霊界の6人の聖人・哲人に捧げる為にあったと、私は御言葉から理解するようになりました。この6人の女性が立つことにより、再臨摂理が展開される原動力になったのだと思います。
参考までに、「黒・天聖経」に載っている御言葉を取りあげました。
黒・天聖経
人間の生と霊魂の世界 第一章 四
先生は若い時、自分の体を制御する為にありとあらゆる事をしました。一週間、目を開けて寝るのです。
いくら千万の美人達の中で寝ても、男性のそのスティックが美人達の三角地帯に接しても動いてはならないのです。自分の体をコントロール出来ない人は、天国へ行く事が出来ません。