平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

40年サタン分立路程の「出発の為の摂理」 ☞ 「妾摂理」「6マリヤ摂理」と「アブラハムによるイエスの典型路程」・・・中心家庭を襲った大艱難

ーー お断り ーー


「妾摂理」「6マリヤ摂理」「アブラハムによるイエスの典型路程」は、統一食口の霊性に今もって暗雲をもたらしています。


 この三つの摂理が何であったのか、また、悪いイメージを払拭する為、文先生の御言葉を中心として、一歩でも、二歩でも神様の前に進みたいという思いで、未熟ではありますが、御言葉を中心として考察しているものです。
 この考察に変更を加えるような新たな御言葉が見つかれば、変更を加えることを良しとするものです。
 以上に関して、ご承知おきください。


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事実蕩減の操縦は文先生だけができる

    事実蕩減が「出発の為の摂理」であった

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 「妾摂理」と「6マリヤ摂理」と「アブラハムによるイエスの典型路程摂理」は神様とサタンと文先生の三人だけが知り得る事実蕩減の摂理(リンク先の御言葉〔A〕)です。

 そして、この事実蕩減に責任をもって操縦することができるお方は、文先生お一人(リンク先の御言葉〔A〕)になります。

 そして、文先生はかつて「勝利したことしか語ることができない」と語られたことがあるように、これらの摂理に対してお母様と6マリヤたち、そして妾摂理の当事者が内的に勝利した基準だけ、文先生は語ることができる立場に立たれていました。

 しかし、語られたのはほんの一部でした。ところが、私たちはその一部さえも全く知らない立場に立っているのです。ですから、御言葉から考察することは容易ならざるものがあるということをご承知おきください。



  三つの摂理・・・40年サタン分立路程の『出発の為の摂理』


 これら三つの摂理は文先生が1952年から出発した40年サタン分立路程を出発の為の最初の摂理となったのです。

 一つは、アブラハムの象徴路程にあった三祭物の直前に展開した「アブラハムによるイエスの典型路程」をそのまま適用されました。これが三つの摂理の中の中心です。

 そして、形象的路程でモーセがなした「三大奇跡と十災禍」を実体的蕩減として展開したのがこの三つの摂理であったと言えるのです。


 このように、この三つの摂理は1992年の再臨時代を再び開くためにあった摂理であり、40年サタン分立路程の始まりと共に始まった「出発の為の摂理」となったのです。



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  この三つの摂理が文先生と統一教会の艱難の源泉になった

    これによってユダがあらわれ、これをサタンは文先生の自業自得と言っている

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 この時代の古い祝福家庭の方たちはこれらの摂理によって、ラクダが針の穴を通るよりも難しい、絶対信仰を捧げなければならなかったのです。

 これらの摂理のほんの一部を直接見たり、聞いたりした信徒たちの中から、その後、サタンから背負わされた肉欲に負けて裏切るユダがあらわれるようになったのです。

 このユダの出現こそイエス様時代の同時性であり、これが文先生の40年サタン分立路程と統一教会の艱難の源泉になったのです。


(注意 今も、このユダの子供がサイコパスとなってこのブログ村を徘徊しています。)


 そして、この三つの摂理によって生まれた不信という種は文先生の絶対信仰の勝利によっていったん棚上げされました。


 しかし、一次の失敗によって文先生の代わりに興進様が昇華されましたが、二次の摂理は真の父母宣布と共に三大摂理が全信徒に科せられました。

 それが、還故郷摂理であり、氏族的メシヤ摂理であり、先祖解放摂理です。



   還故郷、氏族的メシヤ、先祖解放の本質を見失った


 イエス様はユダに対して「生まれてこなかったほうが良かった」と言われたのですが、文先生は40年サタン分立路程を勝利され、このユダを愛する為に行ったのが、氏族的メシヤ摂理であり、先祖解放摂理であったのです。

 つまり、ユダによって多くの信徒たちが離れました。これによって文先生の立つべき基台が喪失したのです。打つべき怨讐を愛することとしたのがこの摂理であったのです。


 この二つの摂理は、文先生を私の真の父とし、中心家庭を私の家庭とし、裏切っていった弟子たちを私の兄弟、氏族としたのがこの摂理の本質であり、これを語られた御言葉の本質であったのです。


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  この本質とはどんな本質であったのか

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 これこそ、文先生が興南刑務所から解放された直後に展開されたことにあります。

 文先生は命の危険を顧みず、近くに住むご両親をも顧みず、40日間北に残られ、裏切って消えてしまったであろう弟子たちを一人一人訪ねられた精神です。それから南下され、統一教会が創設されたのです。


 文先生が再びメシヤの位置に立たれて始まったのが、先ずこの精神であり、それが還故郷、氏族的メシヤ、先祖解放の摂理だったのです。この摂理で私たちは文先生の息子・娘であることを証明することであったのです。


 しかし、私たちは原理の本質を忘れてしまい、文先生が私の真の父であり、中心家庭が私の家庭であり、信徒たちが私の氏族であるという本質を忘れてしまったのです。その為、サタンが喜ぶ行動を私たちは無自覚に取ってしまったのです。


 その行動とは、私たちは自分の肉親に向かって氏族的メシヤを行い、私たちの肉親の先祖に向かって先祖解放を行った行動です。これは絶対に発展するはずがないのです。その過ちを今も犯し続けているのです。この中心に立たれたのがお母様であり大母様という金孝南女史であったのです。



   最大の怨讐であったサタンを許す


 最終的に、文先生の願った氏族的メシヤ、先祖解放がなされず、その為、イエス様が3弟子、12弟子、72人門徒の基台を喪失して、ゴルゴダで唾を吐かれ、公開処刑されたように、文先生もお母様と弟子からなる家庭的氏族的基台を喪失してしまったのです。

 しかし、文先生は、最大の怨讐であったサタンを許す証明として、如何なる扱いを受けてもサタンの罪を隠す為に、清平の密室において、自らの生命を捧げられ、再びメシヤ位置で再臨される道を開かれたのが聖和であったのです。


   摂理的同時性時代に入っている


 1992年の二次目の失敗は三次目も必然となって失敗し、これによって文先生は聖和され、血の涙を流し続けられた縦的蕩減時代が終わりました。幸いに、文先生の勝利によって、今は、三代横的蕩減復帰延長時代に入っている時代圏を迎えています。第四アダム時代が四代で成就するようになるという摂理的同時性時代になっていると見ています。




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