平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

①-3『日本のエバ国にはお母様の基盤がなかった』

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①-3『家庭における女性の使命』
  「最後にエバの蕩減すべきこと」
    1995/1/11-19男性訪韓修練会
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 『歴史上で誰も聞いたことのなかった大変な話を皆さんは聞いているのです。それで家庭を収拾するには、このことを学んで、男なりに女なりに、子供なりに行くべき道を知ることです。・・・・・


 エバは「平和」と言うのです。エバは何をするかというと、エバは女という一個人に帰って、蕩減復帰をするのです。女が子供の蕩減、家庭の蕩減をしなければならないのです。


聖霊を中心として、お母さんを中心としてするのです。それでアメリカの国会(=お父様的統一教会)はアベルになって、UN(国連)(=日本)はカインになって民主世界の国会(=日本統一教会)なのです。このカイン・アベルを平面的に治めていかなければならなかったのですが、(カインの)日本のエバ国にはお母様の基盤がなかったのです。


それで昨年、(エバ国のカイン的立場の)お母様が(お父様的アベルの立場の)アメリカの国会講演(1993/7/28)で日本列島とつないだのです。それによって、第二次大戦後に新婦文化圏の実体のお母様と実体の再臨の主は会ったことがないし、(成婚して33年過ぎても)いまだ一つになっていなかったのですが、今や、それが横的に完全に一つになった(条件が立ったの)のです。


お母様を中心としてカイン・アベル(日本・アメリカ)が一つになったので、その上に再臨の主が立つのです。 


第二次大戦後に新婦文化圏がカイン・アベルを包容できなかったことを、(統一教会創立から)四十年間の蕩減を勝利することによって再び勝利圏をなし得たのです。そして、実体のお父様がお母様を中心として一つになったのですから、当然、南北統一の国に帰らなければならないのです。・・・・(以下省略)』


(解説)
 お父様が「今や、それが横的に完全に一つになったのです。お母様を中心としてカイン・アベルが一つになったので、その上に再臨の主が立つのです。」と語られました。 


丁度一年前、(1992/7/5)顕進様の次男である信哲様が興進様・薫淑様家庭に養子として入籍する摂理がありました。これにお母様が母としての重責を担われたのだと思います。カインアベルが一つとなったので(1992/8/25)「メシヤ宣言」が成されました。


 しかしモーセ路程同様に、お母様を中心としてカインアベルが一つとなる必要な期間はイスラエル民族がカナンの福地に入る(天一国への入籍、基元節)までとなります。ところが、これ以降子女様の不一致が起こるようになりました。これは(6)(7)(8)(9)にも語られています。

①-5『エバは堕落のために・・・アダムをだました』

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『蕩減復帰の峠を越えましょう』

   「神の創造と人間の堕落」 

     訪韓修練会御言集(女性) 1993/12/20 韓国・済州研修院

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「だから、植えたとおりのことが結実されるのです。アダム、エバの堕落の実です。・・・・・結果は動機があるからそうなったのであり、その動機を知らなければなりません。動機がこういうものであり、その堕落の結果、このように乱れてきたということです。


・・・・・エバは堕落のために何をしたかというと、アダムをだましたのです。それから親です。神様は親です。父子をだましたのです。


こういうふうにして、堕落したのだから、こういうふうに落ちていったのだから、それを反対にして上がってこなければなりません。


同じものをひっくり返して上がってこなければなりません。分かりましたか? 堕落した正妻の道では、復帰の女、真のお母様が生まれることができないのです。」


解説
 日本の女たちはこの修練会で繰り返し繰り返し教育受けた内容ですが、聞いて悟れずに全て流れました。日本の女性でお父様が語られるレアとラケルの摂理を正しく理解している人は皆無と思います。理解しても生理的に受け付けないと思います。

①-2『怨讐(=サタンの堕落)を植えてしまった家庭』

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①-2『蕩減復帰の峠を越えましょう』
   《神の創造と人間の堕落》
     1993/12/20 訪韓女性修練会
アダム・エバというのは遠い過去のアダム・エバのことではなく、お父様ご自身の中心家庭のことを語られていますので、注意してお読みください。
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 『そういう観点から見た場合に、神様の命令をアダムがエバに命令すれば、それで下が完成されるのです。


エバ(=お母様)はアダム(=お父様)の次に、カイン(=孝進様)と一つになればいいのです。アダム(=お父様)の指示する方向にコントロールする方向に相対的に合わせていけばいいのです。母(=お母様)を中心として、長男(=孝進様)と母(=お母様)が一つになった場合には、お父さんに聞かなくてもいいのです。


・・・こういう者(=中心家庭のお母様)が堕落したために、(ご子女様は)みな怨讐なのです。怨讐になってしまったのです。それでアダム(=お父様)・エバ(=お母様)同士でも、エバ(=お母様)はアダム(=お父様)に対して讒訴するのです。


「私(=お母様)は堕落したけれど、あなたが(=お父様)主管圏を転倒したから(=妾摂理で)堕落したのだ」と(お母様は自分の堕落の)責任を転嫁させてしまうのです。


・・・みな怨讐になっているのです。


怨讐(=サタンの堕落)を植えてしまった家庭だから、世界(=メシヤ家庭・中心家庭)は、みな分散するのです。怨讐のサタンの子供たちが成長して皆、サタンと同じくなったのだから、みな成熟して、自分なりの主張をして誰も聞かないのです。・・・みな別れていくのです。』

《考進様を知る》証言

考進様を知る


この道どの道」からお借りしている記事です。  
   
これからの私の行くべき道は?どこに向って歩いていったらいいんだろう
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« ここにドラマのよう・・・心の準備 »
ここにドラマのような真実がある1<孝進様の学生時代>
2015年01月12日(月) 19時28分51秒
テーマ:孝進様
천일국신문고(天一鼓)に”ここにドラマのような真実がある1”と孝進様のことが書かれていました。
私は孝進様については詳しく知らず、却って先妻の洪蘭淑さんが書かれた本の内容を中心にして反対派が書いている内容をよく目にしていたので興味があって読んで見ました。


この投稿に対して韓国人のコメントでは『小説を書くならもっとうまく書けよ!』『元妻の洪蘭淑が書いた本では麻薬やって殴る蹴るの暴行をしたって書いてるぜ』ともありましたが、孝進様の身近で直接、証を聞かれた方はこれは事実だともコメントを残していました。


私も、それこそ、うそつくつもりならもっと事実らしく信じ込ませるようにうまく書いただろうに、書き方はぶっきらぼうで言葉足らず(説明不十分)で誤解されるかもしれないけれど、その人が聞いたとおりに書いているだろうなと思えました。


注)韓国語の”절/チョル”のところは、教会外のアメリカ人や日本人には韓国の文化、儀式が分からず、“土下座させる”という感覚で受け止めるので“礼、お辞儀”と訳さず、ここでは“土下座”と訳しました。


最後にこの投稿内容と違っている、洪蘭淑さんが孝進様の高校時代について書かれた内容も反対派からご指摘があることを前提してアップしておきました。
どちらが正しいかは私にはわかりませんが。。
でも私のように孝進様についてよく知らなかった方々にも一見の価値があるかもと。。
どのように受け止めるかは皆さん自身が決めることでしょう。


*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆


http://www.chunilgo.org/bbs/board.php?bo_table=ciminran03_01&wr_id=265


私たち祝福家庭、特に1世圏において見るとき、世間では見られない不思議な現象が現れる。おそらく世間の生活と私たち祝福家庭の生活があまりにも違うためと思え、この記事を書くことにした。1世の特徴は他人が成功するのを見ていられず、また他人が金持ちなのも見たくない。


そして貧しい祝福家庭を助けてあげることもできない。いずれにせよ中傷してみる。このような点が世間の人々と異なっている。人をけなして自分に利益があるのならまだわかる。しかし自分に何の利益も影響を及ぼしもしないのに他人の事を非常に気にして一言で言えば喜喜楽楽(非常に嬉しく楽しいこと)を見ていられない。なぜ祝福家庭1世たちがそのようになってしまったのか考えながら この記事 を書いていることを先に伝える。


真のお父様の聖和を考えても非常に衝撃的だった。ところが、その前に洪蘭淑様が育てていた信吉(シンギル)様が昇華した後、間もなく孝進様も聖和された。その聖和を見て多くの問題を提起した人が多かった。孝進様についてとやかくいう言葉があるではないか!表面的に現れたものだけをみて人を評価する私たち統一世界で孝進様がどのように映し出されていたのかを考えてみると話にならない話をしていた。心から心配している思いをそのまま第1次として書いてみようと思う。


数人の知人たちから詳細に聞いた話を総合してそのまま文章にするので誤解ないように願う。孝進様がアメリカに移住して中学2年の時から高校1年末まで、孝進様は数多くのサタンの残党から多大な攻撃を受け始めた。中学3年の時だったらしい。ただ文鮮明先生の長男という理由だけで、クラスでいじめに遭い始めた。どれほど酷いいじめに遭っただろうか!勉強中に何人かがボールペンを孝進様の頭に投げつけるではないか。また、チョークを顔に強く投げて、到底勉強することができない状況にまで至った。


ただ文鮮明先生の息子、長男という理由のために....


休み時間になると結構な体格の者が現れ教室の壇上に上がる。そこで公に孝進様を批判するのである。
どのように批判する のかというと、、
「あそこに座っている孝進、あいつはレバレントムーンの長男だ。"
「今から俺が文鮮明だ。だから、みんな俺の前に来て土下座しろ。」
すると多くの学生が、その学生の前にきて土下座をする。
「俺はレバレントムーンだ。レバレントムーン!」
そして壇上の上であぐらをかいて座り
「俺がレバレントムーンだからお前たちは、裸踊りしろ!」
このように嘲笑するのだ。
すると彼らは服を脱ぎ捨てて本当に裸踊りをして大騒ぎだ。
そしてその学生のアタマ(リーダー)は、
「お辞儀(土下座)をしたから、これから俺にすべてのお金を持ってこい!」と叫ぶ。
そうなれば、1ドル、25セント、時には2ドルも彼の前に山盛りに積まれる。
するとその扇動者は 25セント硬貨すべて拾い集め孝進様の顔に全部投げつけながら叫ぶ。
「さあ、お金をすべて収めたからお前の親父のところにみな、持ってけ!」と嘲笑する。


そのように孝進様は5分余りの間、25セントの硬貨を顔や頭、腕やら足やらに叩きつけられる。
耐えられない孝進様は叫ぶ。
「頼むからやめてくれ」と....


すると他の学生たちは一斉に「英語の発音もひどいもんだ」と叫びながら
孝進様を足で蹴ったり踏みつける。20人余りが孝進様を踏みつけるのだが、
彼らの技術がどれほど絶妙なことか、孝進様に苦痛だけ与え、怪我をした傷跡が残らないように5分間踏みつけて、、どれほどの苦痛であったことか!
その後、先生が入って来くる。すると皆、所定の位置に戻って座る。
しかし、孝進様はひどく蹴られたので痛みや怒りや悔しさのあまり、ご自分の椅子に座ることもできず横たわったまま涙を流すだけだ。


先生が"どうしたんだ?"と 尋ねる。すると学生たちは知らないと。何事もなかった、何故そうしてるのか分からないと叫ぶだけだ。孝進様は力を出して立ち上がって先生に話をしようとすると
「英語の発音のひどいヤツが先生に話をしようとするのか!
この汚ない黄色人種!」と学生たちが言う。
これが孝進様の1日の学校生活である。


そして、授業がすべて終わった後は、そのクラスの奴が孝進様を何処かに引っ張って行く。学校のすぐ近くの空き家である。そこに着くと野球バットを持った学生が五、六人いる。孝進様を連れて行ったその学生が孝進様を押し倒す。すると野球バットを持った学生たちが一斉に走ってきて孝進様をどこだろうとバットで殴るのだ。


どれほど技術がいいのか傷一つつかず野球バットで人を叩く姿はまさにプロ級である。孝進様は力尽きて倒れたままだ。するとアタマ(リーダー)のような奴が前持って準備しておいた水を全身にかける。孝進様は意識を取り戻す。
ところでアタマ(リーダー)の学生は変わったタバコをくわえている。タバコを取り出し孝進様の口に加えさせ吸ってみろと叫ぶ。しかし孝進様は タバコを知らなかった。首を振ってもがいて起きあがろうとすれば、また額を叩かれ再び倒される。疲れ果てた孝進様は力なく倒れてしまう。


三、四人の学生が孝進様にかけ寄ってきて取り巻いて座る。そこに座ってタバコを取り出して一斉に吸い始める。ところが、そのタバコというのは絶対にタバコではない。
まさにハッピースモークという麻薬のようなタバコなのである。別名 "떨이"とも呼ばれている。
彼らはそうしておいて、両親のいらっしゃるところに電話をかけ孝進君が倒れているから連れて行くようにとしておいて、彼らは消えてしまう。真のお父様の警備員三、四人が急いできてみると濡れネズミのような姿でうずくまっている孝進様は、復讐の涙を流していた。
そんな生活が4ヶ月も続いたという。


アメリカの社会というのはそのクラスには、必ずリーダーがいる。そのリーダーに絶対服従をしないといけない。もし反発をするならばいつでも、そのようなことが繰り返されるのが慣例である。傷は一つも見えず孝進様はそのまま背負われて家へ帰る。家に戻ってからは何もなかったかのように行動をされた。ただし孝進様の頭の中には復讐の化身が燃え上がっていた。孝進様はそのような生活を1年6ヶ月間過ごしながらジョンドスル(韓国の武術)を学び始めた。
どれほど多くの苦痛があったことか!しかし耐えに耐えて一生懸命武術を磨いた。いつかはそのリーダーを打ちのめせば自分が勝利するからである。


しかし、ここで私たちが確認しておかなければなければならないことは1年6ヶ月の間、苦し い仕打ちを受けながら学校に通ったならば傷は残っていなかったけれども体はどれほ多くの痛みがあったか私たちは考えてみなければならない。すなわち重い病にかかっていることだろう。
いよいよ孝進様が計画していた日が来た。学校に行って2時間の授業が終わった後に、そのリーダーのもとに行き宣戦布告するまでに至る。今日、俺と二人きりでみんなが見守る中、武器を持たずに一本勝負しようと戦いを挑んだ。そのリーダーというヤツは、お前は気が狂ったんじゃないのか(どうかしたんじゃないのか)と承諾した。


いよいよ決闘の時間が近づいてきた。孝進様は自信に満ちた目つきで相手を眺めながら
"この怨讐サタン!お前は今日私に打ちのめされるだろう"という気持ちで格闘が繰り広 げられた。ところが、格闘は4分で終わってしまった。孝進様の右足回し蹴りを顎に受けたそのリーダーは倒れてしまい孝進様は、そのリーダーの頭に足を乗せて言った言葉は「格闘をまだする力があるか」と聞いてみた。そして自信があるなら立ち上がってみろと言ってみたがそのリーダーは気を失って倒れていて何も聞こえていなかった。
孝進様との格闘を見守っていた学生たちはそれを見てやっとしっぽを下げて(降参して)孝進様に近か寄り、祝ってくれ“お前が俺たちのボスだ”というおかしなことをいうではないか。


その時が韓国式に話せば高校1年生の2学期のときである。その時から孝進様はそのクラスのボスのような位置が確立されたものである。
しかし、孝進様は徐々に体が悪くなって いたのである。それを感知されたご父母様は孝進様にアメリカを離れさせ成和芸術高に移すしかない立場だった。


病気だということは誰にも言わずに孝進様はお一人で自分の体は自分で治療しなければならないという考えを持ち、自分なりの治療法で治療を試みたが何の効果も得られなかったのである。
高校を卒業して、あまりの苦痛で1年6ヶ月を休まれたということだ。しかし我慢できないほどの痛みは耐えられなかったことだろう。病院を3箇所行って見たが何の異常も見られず治療できなかった。


このような孝進様に向かって1世や2世たちが何と言ったのか!
それは皆さんの考えに任せる。このドラマのような真実はここで終え、また続けるつもりだ。
皆さんは孝進様をどのように見ていま すか!
言いたいことがあれば言ってみてください。



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http://blog.livedoor.jp/champ1414/archives/3029533.html


文孝進の高校時代について洪蘭淑は次の様に記す。 『わが父文鮮明の正体』より



「彼らは私立のハックリー校に入れられたが、そこでは『ムーニー』というという身分ゆえに、からかいとあからさまな侮蔑の対象となった。孝進は学校にBB銃(空気銃)を持ち込み、数名の同級生を撃ったために、ハックリー校を退学になった。(73ページ)」
孝進は公立の高校に行くが、その生活は次のようなものであったという。
 「孝進の行動はワシントンでさらに悪くなるばかりだった。大きな公立学校で、殴り合いやそれよりなおひどいことがあった。初めて不法なドラッグに手を染めたのはワシントンにおいてである。」(七四ページ)
 「期待を裏切られた文師は、孝進も自分自身の文化のなかで長老たちの監督を受ければ、正道にもどるのではないかという希望を抱いて、彼を韓国に送り返した。だがそうはうまくいかなかった。汚い長髪とぴったりのブルージーンズ姿の孝進はリトルエンジェルス芸術学院の廊下ではちょっとした見ものだった。彼はロック・バンドを始め、反抗的態度で有名になっていった。」
 「彼は『お父様』の厳格な行動規範をあからさまに無視した。学校のだれもが、孝進はたばこを吸い、ガールフレンドをもち、アルコールを飲むことを知っていた。彼が不法なドラッグを使っているとささやく者もいた。彼は実際にはリトルエンジェルス芸術学院の過程を終えていない。何年もあとになって、学校がただ彼に卒業証書を送ってきただけである」(七四、七五ページ)






2015年01月13日(火) 18時16分22秒
テーマ:孝進様
昨日のつづきです。
長くて全部アップできないので分けてアップします。
孝進様についてはいろいろ言われていましたが、
少しでも知れて近くなったよう気がしてよかったです。



ただ、この時ももしかして、、、という疑惑が湧きました。


*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆


孝進様はそれから2年後に病院にも通い自ら治そうと努力されましたが、痛みがあまりにも酷いため耐えられなくなり最後の選択をしたのです。


その選択とはまさに死を前にして、最後の選択をしても良くならなければ死をも
辞さないと思って両親に正式に提案をします。


それは何かというと皆さんが孝進様を悪く言っているまさに麻薬というものです。一言で言えば、その薬は病気を治療するのに100%使用したということを皆さんも知っておくべきです。


だからもし麻薬をやって妻を殴りつけた孝進様だと見ては絶対いけないというのです。多少夫婦の間に口論はあったとしても、暴行をしたということは絶対に嘘だということをここでまず明らかにしておきます。


そして洪蘭淑様が書かれたその本に出てくる話はほとんど蘭淑様が書かれたのではなく、アンチ・ムーンという団体と統一教会に反対する派が組んで80%は嘘を書いて全く孝進様を暴行者であり麻薬患者として罵倒したのがまさにその本です。
孝進様は麻薬を単純な幻覚剤として使用せず、体があまりにもきついのでその痛みを治療できるのが麻薬なので、単純に治療目的のためにお母様の承諾を得て使用したことを知らなければなりません。


そのような治療をしばらくの間されましたが到底その薬でも良くならずますます悪化するのでもう霊界に行くしかないという考えを持ってアメリカから韓国の真の父母様に電話をかけられました。


「どうやら私は死が近いようです。霊界に行くにしても最後にご父母様にお会いし行くつもりなので韓国に行くことを承諾してください。」という電話をされたそうです。真のお父様とお母様はどれほど驚かれたでしょう!それでお母様は孝進様の側近であった方に電話をかけ、「早く空港に行って。孝進がが死ぬしかないと言っている。」と話され、その方はお母様の命を受けて、空港に向かったといいます。
彼によれば孝進様とピーター·キムが一緒に現れたのですが、孝進様の顔が青白くて、「ああ!この人は大変なことになっている!本当に死にそうだ!」と思われたそうです。それで早く車に乗せて漢南洞公館に直行したそうです。その孝進様の顔色は“生きている人の顔ではない”と思えるほどでしたから。


孝進様のお供で公館に入ると36家庭たちは互いに争っていたそうです。どの病院に行くべきかを巡ってです。その人たちも本当に滑稽な人たちです。それで紆余曲折の末、ついに漢陽大病院に行くことに決定されたようです。
彼は孝進様をお連れして漢陽大学病院で入院手続きをし正式に入院をさせました。大まかに検診を受けてみると症状としては便が出なくて苦痛があり必ず浣腸をしなければ出ないということでした。


尿検査、便検査、血液検査で一つずつ進めていくのですが、いくら検査をしても具体的な病名が出てこないというのです。孝進様は苦しいとうめき声をあげておられるので彼は怒って内科課長の教授のところに行き「苦しいという人を前にして病名がないとは話にならない!どういうことだ?」と怒鳴ったそうです。



お母様は毎日来られ確認されるし真のお父様からは毎日電話がくる、彼は気持ちを落ち着かせることができなかったと話しました。


そのように入院して7日目の夕方から孝進様の体には奇妙な兆候が出ていました。冷や汗を流し患者衣がびっしょり濡れてしまうほどでうわごとを多くされたそうです。それで彼は孝進様を起こしたそうです。夜8時から9時頃だったろうということです。眠りから覚めた孝進様は彼に「私はどう考えても今夜を越すことは難しいようだ。」 と話されたそうです。
「今まで私のために苦労をかけた」と彼を慰労しながら、「この事実を誰にも知らせないように」と願われたそうです。このように人が死境をさ迷うのに7日間検査を受けても結果が出ないので本当におかしいと彼は考え始めたようです。
その当時、霊通者が三人いましたが、彼らが言うには"孝進様がこの漢陽大学病院から外に出ると血を吐いて死ぬでしょう。」と予言したそうです。それで彼も心配が多かったようです。
その日の夜11時頃に二人は話をしたそうです。その方が孝進様に話したのは「お前がもし死ねば、俺も一緒に死ぬからその時は俺たち、笑いながら行こう。その代わりに眠ってはいけない。」
すると孝進様は「私が死ぬときには死ぬだろうが、どうして生きている人が死ぬことができるか?」と言われたので、彼は刺身包丁を枕元に置いて「私の両手の動脈だけ切れば20分で死ねる。


だから死ぬといわずに眠るな。眠ったら危ないから目を覚ましていろ。」という会話をしたそうです。すると、「本当にありがとう。」と言われながら孝進様は涙を流されたそうです。それで一緒に泣いたそうです。20分ほど一緒に泣いたそうです。
ところが、彼の頭の中に不意に真のお父様の顔が通り過ぎていく光景を見たそうです。それで彼は考えたといいます。 「なんだって!病院から一歩でも外に出たら孝進様は血を吐いて死んでしまうだって!笑わせてくれるな! 」と思ってある決心をしたといいます。


そうして彼は孝進様を起こして「ギターを弾け。俺が歌う。今日は一睡もしないで夜を明かそう!」そうしながら、「明日の朝まで我慢しよう!行くところがある。」として孝進様が眠らないように歌ってギターを弾いて過ごしながらも、あまりにも孝進様が大変そうに見えましたがそれでも押しとしたそうです。


それは眠ってしまったら死ぬかもしれないと彼は感じたからです。そのように一晩中、父、母、弟たちの話をしながら、昔の話をしながら夜明けまでそのように時を過ごしたといいます。



すると朝になって彼は看護婦長室に行って、「朝食を食べたから少し散歩してきます」と嘘をついて孝進様を連れて朝も食べずに孝進様の私服を彼の胸に隠して孝進様をお連れしエレベーターで1階に降りてきたそうです。 1階に到着するとすぐ孝進様を彼の車に乗せ病院を後にしたそうです。
霊通者たちが言うその場を、一歩でも離れたら血を吐いて死んでしまうだろうという、その病院に背を向けてです。





ここにドラマのような真実がある2/2<孝進様の病気のときも、もしかして>
2015年01月13日(火) 18時48分16秒
テーマ:ブログ
1/2のつづきです。


車のエンジンをかけておいて、後部座席の孝進様の患者衣を脱がせ
こっそり持ってきた私服を着せて「今日は死ぬかも生きるかもしれないから、私は霊通者の言葉は信じない。」と孝進様に言ったそうです。


すると孝進様は驚いて「何処に行こうとしてるんだ?」と言って不安がったそうです。彼は「心配するな。俺がぜひ行くところがある。最後に行くところだ。」そういって運転をし彼がよく知っている漢方医を訪れたそうです。
その漢方医は彼と非常に親しい仲だったそうです。到着してすぐ孝進様を降ろして院長の前に座らせ「この人に鍼を打ってください。」とお願いしたそうです。
ところがその院長は「病院の匂いがするようですが、入院中だったのなら退院証明書を見せてくれ。」と言われ、彼は大変なことになったと思ったそうです。それで彼は、紙と鉛筆をくれといって確認書を書き始めたそうです。




"韓孝進"と名前を書きながら「この人の鍼治療をするのにどのような不祥事が起きたとしても一切問わず法的に問題になっても、その責任はすべて私が持ち、韓孝進に万一恐ろしいことが起こってもその全ては全面的に私が責任を負います。法的な事項もあってはならないということをここに誓います。」と書いて拇印を押し漢方医に鍼を打ってくれと訴えたといいます。


彼と親しい関係なので院長はその申し出を受け入れて鍼を打ち始めたそうです。彼は最初に頭から鍼を打ってくれとお願いしたそうです。その鍼はそっと刺しておくものでなく針で刺すように痛みを感じ頭と全身に刺す鍼治療だったので頭を1,2回刺したのですが院長も驚き、彼も驚いたそうです。
鍼を刺したところから真っ黒な血がどっと出てきたそうです。。彼はそれでもっと刺してくれと頭を近くもっていったそうです。頭を数十回刺しても、真っ黒な血はずっと止まることなく出てきたそうです。次に、顔、胸、両腕と両足...ますます多くの血が噴き出したそうです。最後に、首から背中と腰まで鍼治療をすると真っ黒な血はずっと流れ出たそうです。
その院長が鍼を刺し終えて言う話が、
「一体、この青年は生きている人ですか?」と尋ねたそうです。
「これほどの状態ではこの人はすでに死んだ人です!」と漢方医は言ったそうです。彼は漢方医に感謝し孝進様にどうかと尋ねたそうです。
すると孝進様は「肛門の詰まりがとれて背中も目も鼻もつまりがとれたようでスッキリした。ああ、心地よい、気持ちいい!」と続けて孝進様は答えられたそうです。


それで彼は孝進様に「お前はもう大丈夫だ。絶対に死なない。」と言いました。車に乗せてまた私服を脱がせ患者衣を着せて院長に「明日また来ます。」と話して病院に向かったそうです。
そして孝進様には「一週間だけ、誰にも知られずに今日のように鍼を打とうと思う。だから誰にも絶対にこの事実を言ってはいけない」と訴えたそうです。孝進様が病院に戻ってすぐにトイレに行くと言ってトイレに行くと便がいっぱい出たそうです。


彼は次のように考えたそうです。
「霊通者なんかの言葉は聞く必要がないのだな。一週間だけ通ってみよう。」と決めて孝進様と顔を見合わせながら笑ったそうです。孝進様はその日の午後ぐらいになると、また鍼を打ちに行こうと言われたそうです。
それで鍼は一日に一回だけ打つものだと話したそうです。
そして彼は次のように考えたそうです。
「治癒はもう時間の問題だ。一週間だけ通えばいい。」


そのように四日、医院に通ったそうです。その日孝進様は「もうよくなったみたいだ」顔にも血の気が差して明るい顔になったそうです。お母様は毎日のように病院を訪れたのにお話もせず四日間もこっそり鍼を打ったのでこれからはどうしようかと気がかりだったそうです。


その翌日、孝進様がお母様に「もうだいぶ良くなりました。」と話されるとお母様はとても信じられない目つきで彼を見つめ、彼は事実どおりに一部始終をお母様にお話したそうです。お母様は「この病院にもういる必要がないわね。」とされながらお父様に電話をかけようとされました。するとお父様から電話が来ました。お父様はすべて話を聞かれ「お前、鍼を打つ技術をちょっと学べないか?」と言われたそうです。
その後10ヶ月の間ずっと鍼を打ちながら孝進様も完全に本来の姿に戻られたそうです。これはPKが孝進様に誤ったことをし、孝進様がそのまま受けたものと彼は考え苦笑いしながら「人の中には本当に悪い人も多いものなんだな」と言いながら熱心に鍼を打ちに通われたことを私は知っています。


ここまで書くことにして第3弾は、次にアップすることにします。
これは少しのうそもない真実であり、ファクト「事実)であることを明らかにします。次回を約束しながら私の文章を読んで言いたいがあれば躊躇せずに言ってきてください。長文のよく整えられていない文章を読んでいただきありがとうございました。

<愛の減少感の中で・・・証言>考進様について

この記事は<愛の減少感の中で 考進様>から、お借りしています。


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多くの教会の雑誌や講義で真のご家庭は犠牲の道を行かれたとしているが、では実際にどうなったのか。どれくらい苦しんでいらっしゃるのか。私達教会員はある程度の推察はできるが当の本人でない限り、その苦しみを知るということは不可能なことである。では、ご長男の孝進様はどうだったのだろうと誰もが思うと思う。


一言で言わせていただくと、信じられないくらいの十字架を背負って、目を覆うほど痛々しく人生を走り抜けた方だった。お父様は私達カイン圏の人間を愛する変わりに、御家庭を捨てられサタンの餌食とされたのである。お父様が一番愛したかったのが御自分の息子、娘であったはずである。


しかし、お父様は無視する以外になかった蕩減の時代があったのである。孝進様はこう語られている。


「お父様との思い出は、5歳の時に清平でお父様と一緒にボートに乗ったことだけだ。」


「お父様は自分の実際のお父さんだけれど、感覚的にはどこかのおじさんだ。」と語られている。


「小さい時にお父様と一緒に食事をした覚えがない。いつも、そこにはリーダー達がいた。親しそうに彼らに笑顔をかけられるお父様がいた。しかし、自分は無死され続けた。とにかく、お父様の気を引く為に教会員の靴におしっこをかけたこともあった。」



そのように、どのように考えても困難な親子関係がそこにあったのである。お父様が、孝進様の養育係として側近のリーダー達にその役目を担わせ生涯孝進様のお世話をしていく立場の人間がいたということをご存じだろうか。孝進様によれば、彼等はお父様がいる前ではそれらしくし、お父様がいなければどうでもよく、孝進様はご飯さえも食べさせてもらえないほどであったという。


孝進様はとにかく負けん気が強いので学校でもバカにされたら何倍にもしてやっつけてしまうというくらいだったそうである。学校に行ってもどこに行っても「悪魔の子」と呼ばれ、いじめられ続けたそうである。学校でも先生が自分をいじめ、誰も孝進様の言うことを聞かない、そういう幼い頃を通過したそうである。


<愛の試練 (どんなに愛しても愛が戻ってこない)>


また、孝進様の中では、孝進様が深く愛したものは自分を裏切るというジンクスが存在するのである。


幼い時に犬を飼っていて沢山の愛を施したにもかかわらず死んでしまったということ、また、馬を飼っていて同じように愛したら噛み付かれたこと、また、蘭淑様やその時のお子さま達を深く愛したにもかかわらず孝進様から去ってしまったということや、後にマンハッタンセンターを始めて、メンバーを愛していったにもかかわらず、最大の侮辱を受けたことなど、様々なことが孝進様の中でそのようなジンクスを生み出していったのである。


12歳の時にアメリカに渡ってきてから、孝進様はそれまで以上に学校から迫害を受けて行くことになるのである。そこでもまた、サタンの子などと呼ばれ先生たちからも軽蔑され家に帰ってもそれを聞いてくれる人もいないと言う環境だったのである。その中で、唯一の友が弟の興進様とギターだったのである。一緒の部屋で寝起きをし、共に遊んだそうである。


孝進様は「彼が生きていてくれたなら、私の人生は少しは楽になっていただろう。」と語られている。興進様が昇華された後、孝進様は自分が霊界に行くべきだったと語られている。そして、その後お父様がダンベリー刑務所に行かれた時、孝進様は自分を奮い立たせて120日徹夜祈祷をされ、お父様の足跡を歩んで行く決意をされたのではなかったであろうか。


幼い頃は孝進様にとっての「敵」は、迫害をする外の人間であったが、10代になるにつれ教会内の不正、そしてお父様の周りで平気で不正を行い嘘をつき、責任をとらないリーダー達の姿を目の当たりにするようになり、敵は中にもいるということを感じて行くようになるのである。「外の世界以上に教会の人間の方が腐っている。」とまで仰られているのである。


そして、孝進様は音楽(マルチメディア)を使って世界を導いて行く方向に本格的に向かわれたのである。お父様の周りで嘯いているリーダー達を納得させ、お父様に一番の孝行をする道がマスメディア復帰であり芸術世界の復帰であると信じていかれたのである。いや、それ以上に孝進様は無視し続けられたお父様が孝進様を息子として認めてくださること願っていたことが、根底にあったのではないだろうか。


いつかお父様が自分に振り向いて下さる。という思いがそこにはあったのではないだろうか。しかしながら、それは悪魔と格闘して行くことを意味し壮絶な路程を通過しなければならなかったのである。堕落人間の全ての罪に責任を負われたお父様の長子である孝進様が霊的な意味で真の長子として立つという事は、人として考える事のできる最大の屈辱、侮辱、来る日も来る日も乗り越えていかなければならないという試練の日々を送られたのである。


そのような中で、80年代後半にアルバム「再生」を作られ、立て続けに10数枚のアルバムを作っていたのである。  ~つづく~