平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

<愛の減少感の中で・・・証言>考進様について

この記事は<愛の減少感の中で 考進様>から、お借りしています。


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多くの教会の雑誌や講義で真のご家庭は犠牲の道を行かれたとしているが、では実際にどうなったのか。どれくらい苦しんでいらっしゃるのか。私達教会員はある程度の推察はできるが当の本人でない限り、その苦しみを知るということは不可能なことである。では、ご長男の孝進様はどうだったのだろうと誰もが思うと思う。


一言で言わせていただくと、信じられないくらいの十字架を背負って、目を覆うほど痛々しく人生を走り抜けた方だった。お父様は私達カイン圏の人間を愛する変わりに、御家庭を捨てられサタンの餌食とされたのである。お父様が一番愛したかったのが御自分の息子、娘であったはずである。


しかし、お父様は無視する以外になかった蕩減の時代があったのである。孝進様はこう語られている。


「お父様との思い出は、5歳の時に清平でお父様と一緒にボートに乗ったことだけだ。」


「お父様は自分の実際のお父さんだけれど、感覚的にはどこかのおじさんだ。」と語られている。


「小さい時にお父様と一緒に食事をした覚えがない。いつも、そこにはリーダー達がいた。親しそうに彼らに笑顔をかけられるお父様がいた。しかし、自分は無死され続けた。とにかく、お父様の気を引く為に教会員の靴におしっこをかけたこともあった。」



そのように、どのように考えても困難な親子関係がそこにあったのである。お父様が、孝進様の養育係として側近のリーダー達にその役目を担わせ生涯孝進様のお世話をしていく立場の人間がいたということをご存じだろうか。孝進様によれば、彼等はお父様がいる前ではそれらしくし、お父様がいなければどうでもよく、孝進様はご飯さえも食べさせてもらえないほどであったという。


孝進様はとにかく負けん気が強いので学校でもバカにされたら何倍にもしてやっつけてしまうというくらいだったそうである。学校に行ってもどこに行っても「悪魔の子」と呼ばれ、いじめられ続けたそうである。学校でも先生が自分をいじめ、誰も孝進様の言うことを聞かない、そういう幼い頃を通過したそうである。


<愛の試練 (どんなに愛しても愛が戻ってこない)>


また、孝進様の中では、孝進様が深く愛したものは自分を裏切るというジンクスが存在するのである。


幼い時に犬を飼っていて沢山の愛を施したにもかかわらず死んでしまったということ、また、馬を飼っていて同じように愛したら噛み付かれたこと、また、蘭淑様やその時のお子さま達を深く愛したにもかかわらず孝進様から去ってしまったということや、後にマンハッタンセンターを始めて、メンバーを愛していったにもかかわらず、最大の侮辱を受けたことなど、様々なことが孝進様の中でそのようなジンクスを生み出していったのである。


12歳の時にアメリカに渡ってきてから、孝進様はそれまで以上に学校から迫害を受けて行くことになるのである。そこでもまた、サタンの子などと呼ばれ先生たちからも軽蔑され家に帰ってもそれを聞いてくれる人もいないと言う環境だったのである。その中で、唯一の友が弟の興進様とギターだったのである。一緒の部屋で寝起きをし、共に遊んだそうである。


孝進様は「彼が生きていてくれたなら、私の人生は少しは楽になっていただろう。」と語られている。興進様が昇華された後、孝進様は自分が霊界に行くべきだったと語られている。そして、その後お父様がダンベリー刑務所に行かれた時、孝進様は自分を奮い立たせて120日徹夜祈祷をされ、お父様の足跡を歩んで行く決意をされたのではなかったであろうか。


幼い頃は孝進様にとっての「敵」は、迫害をする外の人間であったが、10代になるにつれ教会内の不正、そしてお父様の周りで平気で不正を行い嘘をつき、責任をとらないリーダー達の姿を目の当たりにするようになり、敵は中にもいるということを感じて行くようになるのである。「外の世界以上に教会の人間の方が腐っている。」とまで仰られているのである。


そして、孝進様は音楽(マルチメディア)を使って世界を導いて行く方向に本格的に向かわれたのである。お父様の周りで嘯いているリーダー達を納得させ、お父様に一番の孝行をする道がマスメディア復帰であり芸術世界の復帰であると信じていかれたのである。いや、それ以上に孝進様は無視し続けられたお父様が孝進様を息子として認めてくださること願っていたことが、根底にあったのではないだろうか。


いつかお父様が自分に振り向いて下さる。という思いがそこにはあったのではないだろうか。しかしながら、それは悪魔と格闘して行くことを意味し壮絶な路程を通過しなければならなかったのである。堕落人間の全ての罪に責任を負われたお父様の長子である孝進様が霊的な意味で真の長子として立つという事は、人として考える事のできる最大の屈辱、侮辱、来る日も来る日も乗り越えていかなければならないという試練の日々を送られたのである。


そのような中で、80年代後半にアルバム「再生」を作られ、立て続けに10数枚のアルバムを作っていたのである。  ~つづく~ 


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