平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

▲5 たとえ、顕進様と亨進様であっても「この男」には負けた理由があったのです。

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「この男」はサタンの化身体に育てられた
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 「この男」はサタンの知恵が湯水のごとく湧いていたに違いありません。何故なら、この男は中心家庭に展開された、お父様がモラルをも踏襲された事実蕩減《    》の現実を目の当たりにしたからです。
 この男がお父様の事実蕩減が全く理解できず、お父様に対しては生理的な反発を覚え、お母様に対しては同情心がわいたに違いありません。何故なら、当時の幹部たちでさえ、お父様とお母様が歩まれた《 アブラハムの典型路程 》と《 妾摂理 》が全く理解できなかったからです。
 この事実蕩減に多くの信徒が躓き、ある者はお父様をサタンに売り渡したのですから、20代そこそこのこの男に、お父様に対する不信の種が蒔かれたとしても、何ら不思議なことではないのです。そして、その不信の種はお父様の聖和まで深く関わった運命的な種であったと言えるのです。


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   天聖経に記された新事実
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 まさに、《 サタンを家庭に招き入れた 》という天聖経によって、これまで隠されていた、全く新しい蕩減路程の真実が明らかになったのです。是非お読みください。


 この男とお父様の関わりは、《 孝進様の家庭教師 》からでした。しかし、国進様が『お父様が、「お父様の家庭にはサタンがいる」』と語られたことを明かされたように、お父様にとってこの男は「サタンを自然屈服」させる為に家庭に招き入れて、育てなければならなかったと言えるのです。(このことは「平和の主人 血統の主人」の《 10-4 》にも語られている。)


 「サタンの自然屈服」は怨讐に対して敵対することではなく、真の愛によってのみ成される為、この男はお父様から特別な保護を受けていたことが容易に判断できるのです。このことを理解できなければお父様の核心を理解することは絶対にできません。


 このように、「この男」は、一方では、サタンの教育を受けながら、もう一方では、子女様とお母様に対してどんな悪さをしても、お父様から無条件の保護を受けていたのです。この男にとって怖いものは何もなかったと言えるのです。この男は《 サタンを家庭に招き入れられ(※2) 》て、サタンの化身体として完璧なサイコパスに育つまで、手厚い保護を受けて育ったと言えるのです。その極みがお父様の聖和であったのです。


 たとえ、子女様を傷つけても、顕進様を追放しても、亨進様を顕進様追放に利用して追放しても、お父様は子女様たちを犠牲にしてもこの男を保護されたのです。「この男」に敵対することは自動的に我が身を滅ぼすことになったと言えるのです。


 現在の分裂と非難の石の投げ合いの核心は、全て、この男に対する「恨」が絡んでいると言えるのです。


 お父様がこの男に厳重な注意を喚起しなければならない時、見過ごすことができない原理的立場から、必ず、幹部たちの前で、愛するお母様を先に立てて共に叱られたのです。何故なら、お母様の背後には必ずこの男があり、この男の背後には必ずサタンがいたからです。
 この写真をご覧ください。動画でも拝見しましたが、この男が幹部たちの面前で叱られている時、お母様が今にも泣きだしそうな顔をされているのはどうしてでしょうか。


 子女様に対しても、この男を先に保護されたのです。


 《 サタンを家庭に招き入れた 》というこの御言葉は、私たちに一体何を語りかけているのでしょうか。数十年かかって、お父様が育てられたこの男は、お母様を奪い取ることにより、お父様を葬り去ることができるまでになっていたのです。お父様は早々からこの男を家庭に招き入れられ、この男とお母様ゆえに実の息子が死に直面しても、この男は常に手厚く保護されたのは、聖和という最後の奥義を成す為であったのです。
 たとえ寝室であっても、自由に歩き回ることを許されていたのです。中心家庭に仕えていた信徒の中には声を上げることができなくとも、「見た」「聞いた」「知っていた」という者がいたはずです。


 このブログ記事は、刃物の刃の上で御言葉にしがみ付きながら書いています。これを否定する御言葉があるなら、或いは、ブログ記事に反するような事実の証しがあるなら、心待ちにしています。


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   数年前のブログで
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 数年前、残り少ない老後の時間を使って、この男とお母様を断罪する厳しい記事をブログで書いていました。これが理由で、二年前、癌を摘出する大手術を受けました。退院後も後遺症に悩まされ、死ぬような境地を通過しました。
 そんな中で、苦闘により、ようやく、「恨んではいけない」「敵対してはならない」ことをお父様から諭されました。



この男とお母様を断罪できないとするなら、どうするか。
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   この男は私の兄にであり、お母様は私を生んでくださった母になる
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 今書いている記事は、私自身の罪を棚上げにして「この男」とお母様を断罪しているのではありません。お父様が歩まれた事実蕩減の道を詳細に知ることが命の道になる為、あえて、書いている記事です。お父様の真の愛に至る為に書いています。


 敵を許すことは誰にとっても困難な課題ですが、お父様が無条件でこの二人を保護されたように私も保護しなければならないと考えるようになったのです。お父様を真の父とするなら、「この男」は私の兄であり、お母様は真の母にならなければならない母であり、統一教会で私を生んでくださった私の母であると考えられるようになったのです。


 繰り返しますが、二千年前、イエス様は真の愛により、マグダラのマリアに石を投げることを良しとしませんでした。同じように、お父様も聖和せざるを得ない原因になっていた二人であったとしても、二人を保護されました。


 それを知って、私も、お父様と同じように、お二人を保護する立場に立たなければならないことがようやく分かってきたのです。つまり、お母様とこの男に石を投げる理由がなくなってしまったのです。どう考えても、私には、自分の罪を棚上げにして、お二人に石を投げる資格は微塵にもないのです。御言葉によって、40年、50年かかってようやくたどり着こうとしているのです。それができなければ、尊いお父様がただの石仏になってしまうのです。



本題に戻します。
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   ここで問題となるのは
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 お父様は子女様たちを犠牲にしてでも、また、お母様を「この男」に引き渡してでも、お父様はこの二人を保護されました。果たして、保護された摂理的な目的が何であったのかです。お父様が二人から死ななければならない聖和に追われても、それでも、二人を保護された摂理的な理由は何であったのかです。


 イエス様が怨讐を許して死んでいかれたことにより、霊的救済の道を開かれたように、お父様の聖和にも同様の、それ以上の何かが現れたというのでしょうか。


これが問題です。


この問題は次回にします。

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