1975年で崔元福先生がレアの使命完結!より一層困難な道(=本妻と妾を入れ替える道)を行かなければならない
真の父母様の生涯路程 6
第一節 一 「一九七五年の出発と摂理的意義」
崔元福先生《 レアの 》使命完結
人類が誰の息子、娘かといえば、もちろん堕落したアダムの息子、娘です。ゆえに、復帰しようとすれば、堕落したアダムの息子、娘のほかに、堕落していないアダムと、(レアとラケルの蕩減復帰によって)堕落していないエバがいなくてはなりません。それで、再臨時代に新郎新婦の基準(=基元節、仔羊の婚宴)が生じるのです。
統一教会自体について見れば、蘇生的七年路程から長成的七年路程を歩むときまで、お母様を補佐することにおいて忠誠を尽くさなければならないということを皆さんは知らなければなりません。
それはどういうことかといえば、堕落した母の立場から個人的十字架、家庭的十字架など、すべての十字架を負ってエバが失敗したすべてのものをお父様の前に蕩減する、その主導的な役割を果たすべき一人の女性がいなければならなかったということです。
これまで、そのような役割を果たしてきた中心人物が崔先生だったのです。
しかし、これをそのまま推し進めてはならないというのが原理です。なぜなら完成級というのは、必ず夫婦二人で越えていくものだからです。
第二次七年路程を越えたので、今や、第三次七年路程からは、お父様とお母様を中心として越えていかなければなりません。
これまで皆さんが知らない中で、お母様の基盤を築くために崔先生がどれほど多くの苦労をしたか分かりません。そのような功労の基盤により、第二次七年路程を無事に突破したということを皆さんは知らなければなりません。
しかしながらこれからは、真心を尽くして父母に仕える孝女(=ラケル)の立場で、誰よりもお母様(=レア)に侍り、天の法度を立てるところにおいて、より一層困難な道(=本妻と妾を入れ替える道)を行かなければならないだろうと思うのです。
このような意味で、心的にも、あるいは外的にも、皆さん(=ラケルたち)が大いに(レアのお母様を)慰労してあげ、声援してくれることを願ってやみません。
先生白身ももちろん(レアとラケルを)引き連れていかなければなりませんし、何よりも個人の事情や個人の立場もあるでしょうが、み旨のために公的な立場に立たなければならない私たちであるため、(レアもラケルも蕩減ゆえに)個人が悲しいことに遭ったとしても、公的な喜ばしいことのために生きようと決意して進んでいかなければなりません。これが、先生がこれまで歩んできた道であり、また復帰摂理路程です。