平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

愛の八段階摂理は八十代・・・の兄と妹の堕落直前の心情がお母様の生殖器に連結される

2018/11/23 下記の紫文字を修正しました。


真の父母様の生涯路程 4

 第一節 二

八段階の女性の心情伝授

 神様が見る時、全世界の女性は一人です。一人と見るのです。堕落する時、アダムとエバが堕落しためで、全世界を代表したアダムの前に、全世界の女性たちは、エバの立場に立っているために、年を取ろうが若かろうがみなエバです。

八十代のおばあさんから(レアとラケルという姉と妹の)橋を架けなければなりません。花の橋、愛の橋を架けなければなりません。彼女らをみ言で導き、(親の愛で)(堕落直前のエバ)のように育て、導いて、東西南北のすべてのものを収拾し、橋を架けなければならないのです。

 そのためには、数多くの女性たちの、その事態を(=サタン圏を)踏んで上がってこなければなりません。(サタン圏を)踏んで上がってきながら、愛の綱を(サタン圏から)みな奪ってこなければならないのです、(サタンの)骨髄(=愛)を引き抜いてくるのです。

そうして、天の前に立つことができる本然的姿勢を備えたという勝利の印を受けなければなりません。解放を受けなければなりません。

すべてのどぶの水(サタンの愛)を浄水する作業をしてあげるのです。そのようなぽろ切れのようなものを(お父様が蕩減条件を立てて)縫い合わせなくては、お母様が渡ってくる(七つの橋)橋がありません。

八十歳から七十歳、七十歳から六十歳というように、霊界の霊人たちを動員してつないで、基盤を築いてあげたのです。

 (お父様の真の愛は)垂直線は、サタンが侵犯できないのです。それで真の愛を中心として、すべて連結してあげなければならないのです。

それゆえ、

八十になるおばあさんたち(とお父様)(親密な)愛を全部(八十代のおばあさんたちが)七十代に渡してあげ、

七十代の天の愛は(七十代のおばあさんたちが)六十代に渡してあげ、

六十代の天の愛は(六十代のおばあさんたちが)五十代に渡してあげ、

五十代の天の愛は(五十代のおばあさんたちが)四十代に渡してあげ、

四十代は三十代に、

三十代は二十代まで渡してあげてこそ、

(七つの橋を渡って最後の八段階目のお母様に連結されるようになるのです。)

(八十代から十代までの女性たちが堕落直前の八段階の嫉妬のない、堕落直前の心情を復帰してから、)(注1)この穴(お母様の生殖器)を通るのです。(現実はこれができなかったことが、蕩減復帰上から見ても、お父様とお母様を晩年まで苦しい立場に追い込むことになった。)


お母様が越えるべき八段階の条件物(サタン分立した愛・心情)をつくらなければなりません。

お母様となるためには、八十代から七十代、六十代、五十代、四十代、三十代、二十代、十代まで、〔この女性たちがメシヤと堕落直前の心情関係を復帰して、お母様までずーっと、その心情を伝授されなければいけません。

(レアとラケルという七つの愛の橋を渡してあげて、)そのような過程を通過しなければ、お母様の位置に立てないのです。

(注1)
八十代からお母様まで堕落直前の兄と妹という心情関係を復帰して、はじめて花嫁から妻になるお母様に連結されて真の母になる道を開かなければならない。


このことを語られた次の御言葉を紹介します。

◎ 男性訪韓修練会 1995.1.11-19

 「家庭における女性の使命」・・・最後にエバの蕩減すべきこと

 それで、エバは何をしたかというと、一番目に神様の長男のアダムをだましたのです。二番目に、神様であるお父さんをだましました。堕落させて、愛の非公式な道に引きずっていって、約婚者の立場にあったアダムを否定してしまったのです。だましてしまったのです。貞操を奪ってしまいました。それから、神様の願われた戒めをみんな破ってしまいました。「取って食べれば絶対に死ぬ」という戒めを破ってしまったのです。

ですから個人的にもエバが行ったことを蕩減復帰しなければ、神の下に帰ることはできないのです。

過ちを犯した基準を蕩減復帰するには、もし三角形の穴(生殖器)(嫉妬の堕落によって)開いた場合には、その反対の(嫉妬しない心情)側から三角の穴(生殖器)をくっつけなければ、元の穴(生殖器)が開かなかった姿に帰る(復帰する)ことはできないのです。

 ですから、旧約聖書の中の蕩減原則は、目には目を、歯には歯を、となるのです。目を汚された者は、汚した者の目を汚すことによって蕩減復帰するのです。歯を折られた者は、逆に相手の歯を折ってしまうことによって蕩減復帰するのです。分かりますか? (はい)。もし手を切られたとすれば、相手の手を切ることによって蕩減復帰するのです。相手が行った反対の立場を取らなければ、蕩減復帰はできないのです。

 このような原則があるので、堕落したそのとおりに、逆のほうを傷つける(だまされて嫉妬心がでるような環境圏を通過する)のです。堕落によって傷つけられたので、逆に相手を傷つけることによって蕩減復帰(傷つかない立場に復帰)がなされるのです。分かりましたか? (はい)。

 このように、だまされてアダムの顔と神様の顔を傷つけられたのですから、サタンの顔を傷つけることによって、蕩減復帰をするのです。逆のほうを通って蕩減していくのです。こういう内容があるので、歴史を通して神のほうの摂理圏内に、このような現象を再びもとがえしていかないと、神様の摂理の復帰の門を開くことができないのです。

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