お母様曰く・・・「先生(お父様)は原理的にしますが私はそうではありません」
(488-156. 2005.2.21. 摂理的蕩減時代と祖国光復)
統一教会に中心がありますか。家庭的中心がありますか。先生も今でもオモニを中心として越える事のできる峠を越えるために執拗に耐えているのです。
目玉が飛び出すような困難があったとしても舌をかみながら語らないのです。
一人の女性を育て理想的な妻にする事が世界統一よりもっと難しいです。
「宇宙主管を願う前に自我主管を完成せよ」と言うよりもっと難しいのです。
それをオモニが知りません。
今聞いているでしょう。
今から知らなければなりません。
昨日言った話し「先生(お父様)は原理的にしますが私はそうではありません」そう言っていました。
それ以上恐ろしい言葉がどこにありますか。目の前にいて。
ためらわずに先生はそれを忘れてしまうのです。怨讐を忘れてしまったのと同様に怨讐がいれば忘れてしまいます。