平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

第六章 (49)川は流れ込む水を拒まない  P.248  (世界平和を愛する世界人として  文鮮明自叙伝)

世界平和を愛する世界人として  文鮮明自叙伝
  第六章 愛は統一を導く ――― 冷戦終焉・宗教融和


(49)川は流れ込む水を拒まない  P.248


 世の中に蔓延(まんえん)した利己主義は、その個人を滅ぼすだけでなく、他の人と民族の発展までも阻害しています。人間の心の中にある貪欲(どんよく)さが平和世界に進む道において、最も大きな障害物になるのです。個人の貪欲さが民族の貪欲さに拡大し、貪欲さに染まった心が、人と人、民族と民族の間に分裂と紛争を引き起こします。歴史上、貪欲さのために起きた紛争によって、大勢の人たちが血を流して死んでいきました。


 このような紛争をなくそうとすれば、世の中に流布する誤った価値観と思想を変える一大革命を起こさなければなりません。私たちの社会の糸束のように絡まった複雑な諸問題は、そのような革命が起きれば、あっという間に解決されます。人と人が、民族と民族が、まず愛で相手に配慮し、協力すれば、現代社会の諸問題はことごとく解決するでしょう。


 私は生涯、平和のために身を捧(ささ)げてきました。「平和」という言葉を思い起こすだけで、今も喉(のど)が締め付けられて食べ物が喉を通らず、目頭が熱くなります。世界が一つになって平和を享受する、その日を思い描いてみるだけでも、これ以上ない感動があります。平和とはそのようなものです。思想が違い、人種が違い、言葉が違う人たちを一つに連結することです。そのような世界を慕い、願う心です。平和は具体的な行動であって、漠然とした夢ではありません。


 これまで平和運動に取り組んできたことは、簡単なことではありませんでした。苦難も多く、お金もたくさんかかりました。しかし、個人の名誉のためにしたのではありません。お金を稼ごうとしたわけでもありません。すべての国・地域の人々に警告し、本当に平和が宿った世界が実現するよう、全力を尽くしただけです。この活動をしている間、私は孤独ではありませんでした。世の中の人たちの願うことが、結局はすべて平和に帰着するからです。しかし、不思議なものです。ありとあらゆる人がそれほど願っているのに、平和はいまだに訪れていないのです。


 平和を口で語るのは簡単です。しかし、平和を呼び込むのは簡単ではありません。人々が、平和な世界を築く際に最も必要とされる真理を避けて、知らないふりをするからです。人との平和、民族間の平和を語る前に、私たちは神との平和を語らなければなりません。


 最近の宗教は、自分の教派だけが一番と考え、他の宗教は無視して排斥します。他の宗教や教派に対して壁を積み上げることは正しくないことです。宗教とは、平和の理想世界を求めていく巨大な川と同じです。川は広々とした平和世界に至るまで、ずっと流れていきながら、たくさんの支流に出会います。本流に合流した支流は、その時から支流ではなくて本流です。そのように一つになるのです。


 本流の川は、流れ込んでくる支流を追い出さず、すべて受け入れます。そのたくさんの支流をすべて抱きかかえ、同じ流れとなって海に向かいます。世の中の人たちは、この簡単な原理を知りません。本流の川を求めて流れ込む支流が、この世の中の数多くある宗教と宗派です。泉が湧(わ)いて流れ始めた根本はそれぞれ異なりますが、求めていく所は同じです。平和に満ちた理想世界を求めていくのです。


宗教の間に立ちふさがる壁を崩さなければ、絶対にこの地上に平和は訪れてきません。宗教は、既に数千年の間、全世界の多くの民族と連合して大きくなって来たので、文化的垣根が非常に高く、それを崩してしまうことはとても大変なことです。それぞれ異なる宗教が高い壁の中で、自分だけが正しいと主張しながら数千年を経てきました。時には勢力を広げようと、他の宗教と対立して争うこともありました。神の御旨(みむね)でもないことに、神の名を掲げたのです。


 神の御旨は平和の実現にあります。国家と人種、宗教によって引き裂かれ、互いにけなし合い、争って血を流す世界は、神の願うものではありません。神の名を掲げて血を流し、互いに争う私たちは、神を苦しめてばかりいるのです。ずたずたに引き裂かれた世界はすべて、人々が自分の富と栄達のためにつくったものにすぎず、神のみ意(こころ)にかなうものではありません。神は私にはっきりとそう語られました。私は神が語られたことをこの地上に実践する使者です。


 宗教と人種を一つにする平和世界をつくるための道は、限りなく苦労の多いものでした。時には人に妨げられ、時には能力の壁にぶつかることがたくさんありましたが、私はその使命を捨てることができませんでした。私と共に歩む食口(シック)や同僚が、あまりの辛さに弱音を吐くとき、かえって彼らを羨ましく思い、「皆さんは、歩んでいて嫌だと思えばもどることもでき、やってできなければ死ぬこともできますが、私はそのようにすることもできないかわいそうな人です」と、彼らに向かって切々と訴えたこともありました。


 私たちが生きている地球には二百余りの国・地域があります。このたくさんの国が平和を享受(きょうじゅ)しようとすれば、必ず宗教の力が必要です。宗教の力はあふれる愛にあります。私は愛を伝える宗教者なので、世界平和のために働くのは当然です。平和世界を築く上で、イスラームとキリスト教の違いはありません。私はアメリカで教派に関係なく二万人以上の聖職者を集め、平和運動を展開しています。これを通してキリスト教とイスラーム、ユダヤ教、仏教が共に集まり、平和世界を目指す方法を議論し、人々の頑なな心を変えることに全力を傾けています。私の目標は、きのうもきょうも、神を中心に一つの世界をつくることです。その国には神の主権だけがあります。全世界は一つの国土、一つの国民、一つの文化でまとまります。一つになった世界に分裂と争いがあるはずがなく、その時、初めて本当の意味での平和世界が開かれるのです。

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