お母様 これをご存知ですか?? 「赤・天聖経」 ⇒ 「真の父母がいない」と明記している
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「み言対応式」によって、真理が一層真理になる
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参考までに、下記の式は水素燃焼による「化学反応式」です。
水素 + 酸素 → 水
2H2 + O2 → 2H2O
この「化学反応式」と同じことがみ言で表現できるので紹介する。これを「み言対応式」と暫定的に呼ぶことにする。
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「み言対応式」〘 その 1 〙・・・「赤・天聖経」
「赤・天聖経」はお母様の肝いりで発刊されたもの
その「赤・天聖経」に『真の父母がいない』ことが明記されている
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下記のみ言【A】【B】【C】をお読みください。この【A】と【B】を合わせると「み言対応式」により【C】が現れる。
み言【A】 ⇒ 人類始祖 = 文先生
赤・天聖経 第二篇 真の父母 第二章 第二節
6 ・・・(※1)人類始祖(文先生)が六千年目に来るので、その父母の血肉を受けてこそ、本来の正常な軌道になるのです。
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(※1)「人類始祖」とは誰か?
ここに六千年目に来るとありますから、天聖経の「人類始祖」とは、すべて、文先生になることを知って読まなければならない。
何故「すべて」なのか??
その理由は、『黒・天聖経』は2004年に発刊され、成約時代の「天地の聖書として指標と標準を定めた」み言であると文先生が語られているからです。
なお、『赤・天聖経』は2013年8月23日にお母様主管のもとで初版が発行された。この『赤・天聖経』は『黒・天聖経』が2000年以前のみ言がほとんどであるのに対して、2000年以降という、お母様と幹部たちの不信の度合いがさらに高まった時のみ言になっている為、聖和以降という、延長以降の摂理が多く語られている。
しかし、お母様と幹部たちはみ言の読み方が分からなかった為、お母様にとって不都合なみ言であっても載せてしまったのです。
み言【B】 ⇒ 文先生が堕落した
赤・天聖経 第一篇 神様 第四章 第一節 2
2 (※1)人類始祖(=文先生)が堕落することによって、人類始祖の悲しみは当然のことですが、人類始祖を見つめ、希望をもっていた神様が、人間によって悲しみに遭遇したのです。
人間が悲しむ立場に落ちることによって、神様御自身がかわいそうな立場、悔しくて苦痛な立場に立たなければなりませんでした。
これは、この地上と天地間においては、(※2)残念な、あるいは考えることすらできなかったことですが、人類始祖(=文先生)の失敗によって、そのような事件が起こりました。これが人間の堕落です。
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(※2)「(この堕落が)残念な、あるいは考えることすらできなかったことです」とは何を意味しているか?
この堕落が最初のアダムのことであれば、「考えることすらできなかった」という表現はあり得ない。
何故なら、神様は最初のアダムが堕落する危険性を予め知っておられた為、神様は「取って食べるな」という戒めを与えていたからです。
あくまでも、(※2)は神様の許可の中で、文先生が行かざるを得なかった「アブラハムによるイエスの典型路程」と「妾摂理」という事実蕩減によって、文先生は「まさか、堕落した立場に立つことになるとは考えもしなかった」ということを言っているのです。
分かりますね。
私たちにとって、このような立場に立たれた文先生の心中をはかり知ることは不可能に近いと言えるのではないでしょうか。
(注) 文先生が堕落した立場に立たれたみ言はこれだけではない。天聖経には数え切れないほど存在している。
み言【C】 ⇒ 真の父母がいない
① 赤・天聖経 第二篇 真の父母 第一章 第一節 24
24 「宗教」とは「根本の教え」を意味します。最後の教えです。家でいえば棟木のようなものです。家をつくるためには棟がなければなりませんが、宗教は基礎になる教えのことです。その基礎になる教えの総結論が、真の父母、真の師、真の主人です。この地上には偽りの父母がいて、偽りの師がいて、偽りの主人がいます。
真の父母がいなくなったので、偽りの愛を中心とする偽りの父母、偽りの愛を中心とする偽りの師、偽りの愛を中心とする偽りの主人がいるようになったのです。
すべて除去し、真の父母と真の師と真の主人を迎えなければなりません。
➁ 赤・天聖経 第二篇 真の父母 第二章
7 真の父母は全体の希望の象徴です。
堕落した人類の前に、絶対的な希望の象徴です。それは歴史的な緒実体であり、時代的な中心であり、世界の国家圏の中心です。
真の父母は、理想世界に連結される未来線上における出発点です。