お父様が見ています ☞☞ 小山田先生、周藤先生、不信した古い革袋を捨てて 目を覚ましてください!!
御言葉【A】=人類始祖とは文先生
これによって、御言葉【B】=人類始祖(文先生とお母様)が堕落したことがわかる
これによって、御言葉【C】=真の父母は未来にあらわれることが分かる
これによって、御言葉【D】=文先生が完成したエバを探し出す摂理があることが分かる
結論、 御言葉【E】=文先生が第4アダムに霊的に再臨復活する時が来る
御言葉【A】
赤・天聖経
第二篇 真の父母 第二章 第二節
6 ・・・人類始祖(文先生)が六千年目に来るので、その父母の血肉を受けてこそ、本来の正常な軌道になるのです。
赤・天聖経 第二篇 真の父母 第一章 第一節 3 キリスト教が二千年の歴史を経ていく過程で、人類始祖(=文先生とお母様)が堕落したとすれば、
(※1)キリスト教が二千年の歴史を経ていく過程で、人類始祖(=文先生とお母様)が堕落したとすれば、堕落した父母は偽りの父母、悪の父母であり、(※2)堕落していない父母は善の父母であり、真の父母だということがすぐに分かるはずですが、(※3)それを今まで発表できなかったのは、発表できるこの時を待っていたからです。
御言葉【B】
黒・天聖経
➁真の父母 二 三)
(文先生が80歳過ぎて発表された天聖経)
我々人類の始祖が堕落することによって、我々の先祖は善の父母ではなく、悪なる父母になりました。
それゆえ、神様が構想された位置、我々人類の先祖が堕落しないで成すべきだった本然の父母の位置、真であり善の父母の位置は、まだ現れず、成すことができなかったのです。
御言葉【C】
赤・天聖経 第二篇 第一章 第一節 24
24 ・・・この地上には偽りの父母がいて、偽りの師がいて、偽りの主人がいます。真の父母がいなくなったので、偽りの愛を中心とする偽りの父母、偽りの愛を中心とする偽りの師、偽りの愛を中心とする偽りの主人がいるようになったのです。すべて除去し、真の父母と真の師と真の主人を迎えなければなりません。
赤・天聖経 第十一篇 第五章 第二節
イエス様は、準備された新婦を探し出さなければなりません。それでこそ、家庭を中心として成し遂げようとする三つの愛の目的を結論づけることができるのです。その場がヨハネの黙示録に預言された小羊の婚宴です。人間始祖が堕落したので、人類は、偽りの父母、偽りの先祖に侍りました。神様のみ旨に一致した真の父母が現れなかったのです。神様は、アルファであり、オメガなので、最初に構想したことを最後に、創世記で失敗したことをヨハネの黙示録で合わせようとするのです。
赤・天聖経
第二篇 真の父母 第二章
7 真の父母は全体の希望の象徴です。
堕落した人類の前に、絶対的な希望の象徴です。それは歴史的な緒実体であり、時代的な中心であり、世界の国家圏の中心です。
真の父母は、理想世界に連結される未来線上における出発点です。
御言葉【D】
韓鶴子総裁御言選集 4 第5部 1.
(真の父母宣布をした理由は何か・・・??
真の父母ではない立場で、真の父母宣布をしたことが分かる)
私は、今年(1992年)の7月初めに、韓国の5大都市で開催された「世界平和女性連合」指導者大会で、私と私の妻である韓鶴子総裁は、人類の真の父母であり、救世主であり、再臨主であり、メシヤであると宣布しました。
なぜ私が、韓国の女性指導者たちの前で、このような驚くべき恐ろしい発表をすることになったのでしょうか。
(真の父母宣布をした理由が分かる)
それは、人類の歴史を罪悪で染めた悪魔サタンに人類の母たる女性エバ(お母様)が堕落させられたので、神様は、サタンを屈伏させる第2の完成したアダム(文先生)としてメシヤを送り、女性を代表する完成したエバを探し求める摂理があるからです。
( ☞☞☞ 1992年時点では、まだ、その完成したエバを探し出していないことを意味している)
御言葉【E】
赤・天聖経
第7篇 第四章 第一節
16 今はもう先生が心配することがありません。放っておいても、そのまま進みます。その代わり、霊界から(文先生が)再臨するのです。
三時代の霊界、旧約時代、新約時代、成約時代に、救援するための神様の摂理のみ旨が成し遂げられなかったのですが、(天地開闢によって)それがひっくり返ることによって自動的に成し遂げられます。旧約完成、新約完成、成約完成をすることによって、自動的に摂理が方向を定めていきます。
赤・真の父母経
第二篇 第一章 第一節
(これから再び来られる文先生・・・イエス様とは文先生・・・ユダヤ教とは統一教会・・・イスラエルとは第三イスラエル)
10 メシヤは、いかなる国に来るのでしょうか。原理的観点から、その方は、独立した国に来ることはできません。なぜでしょうか。イスラエルの国と、その国を動かせるユダヤ教が基盤となってメシヤを迎えるべきだったのですが、メシヤを迎える立場になれなかったのです。
ですから、イスラエルの国とユダヤ教は、国を失って追い払われていました。
イエス様の立場から見ると、イエス様を迎えるべきその国と、その教会がなくなったも同然なので、イエス様は、相対する国と教会がない立場から出発するようになったのです。
ですから、神様は歴史時代を通して、そのような立場にある一国を、再臨の一日と連結させる準備をせざるを得ません。