小山田先生、周藤先生、是非お読みください ☞ 天聖経の「人類始祖」を第一アダムと解釈した為・・原理からの脱線と御言葉の無価値化が起こっている
昨日のつづき・・・
もう一度、昨日の記事の御言葉【C】【D】を一番下に取りあげています。
この【C】【D】を読まれれば、小学生でも、誰が読んでも、文先生はご自身を「人類始祖」と語られています。
「人類始祖」を第一アダムとしか理解しない
今の家庭連合は統一教会時代から、天聖経の「人類始祖」を第一アダムであるとしか解釈できなくなってしまった。重症なほどです。
その為、御言葉の真理性に空洞化が起こっているのです。家庭連合の代表的な小山田先生と周藤先生もそうです。現在の家庭連合の大幹部たちも中間幹部たちも、ブロガーの「トミー」も、「いつも私のとなりに神さま」も、その考えでロックされています。バカの壁が完成しているのです。
三男さん、七男さんは・・・
残念ながら、党派性に明け暮れがちな三男さん、七男さんたちのブログ等を読む限りでは、「人類始祖」という観点に関して言えば、昔の家庭連合の因縁を引きずっている為、やはり、「人類始祖」を第一アダムとして読んでいるのではないかと思います。
もしそうであれば、この観点に関しては御言葉の真理性から離れている可能性が十分にあると言えるのです。
あくまでも、天聖経の主人公は第一アダムではなく、第三アダムの文先生です。天聖経は成約時代という、新しい天の標準を定めた真の父母の言語であるはずです。
真の父母の言語
あくまでも、天聖経に記されている「人類始祖」「人間の始祖」という言葉は、全て「第三アダムの文先生」のことを言っているのです。そう理解することによって御言葉全体の整合性が取れるようになります。それを示している一つが下記の【A】の天聖経です。ここに「真の父母の言語」という言葉があります。
【A】
天聖経
⑯天一国主人の生活 第三章 四
真のアダムは、真の父母です。真の父母の言語は、真の子女が真の父母を通して引き継ぐ言語です。それが原理です。
真の父母は、・・・天から来たというのです。神様から来たというのです。それ故に、神様が分からない人は真の父母が分からないとみなすのです。
天聖経に記されている「人類始祖」という言葉は、あくまでも、真の父母の言語からしても「第三アダムの文先生」しかおられないのです。
ところが、現在の家庭連合は・・・
この「人類始祖」を自分たちの都合によって、ある個所は「第一アダム」と解釈し、ある個所は「文先生」であると、二面的、多面的に捉えて鷹揚に振る舞っているのです。つまり、自分たちを正しいとする為の詭弁、逃げ道を作っているのです。
ところが、文先生は・・・
これに対して、文先生は真の父母の言語に対して、「定義は単一性である」と語られていたのです。つまり、二面的な「総合性」ではなく「単一性」だと語られていたのです。それを示す御言葉が下記です。
【B】
神様の摂理から見た 南北統一
第二章 第五節 六. 2
「科学世界は公式発達の世界ですが、・・・定義という言葉は総合性ですか、単一性ですか。(単一性です)。単一性だというのです。」
小山田先生、周藤先生を代表するような家庭連合は天聖経の言語を二面的に総合性で解釈しています。そうなると、生命視すべき御言葉が曖昧化し、読む価値さえ失いかねません。その為、今の家庭連合は訓読を軽んじています。いや、家庭連合ばかりではない、三男さんの所も、七男さんの所も全体的にそうなってきているように見えます。
家庭連合は知っている・・・しかし、
特に、小山田先生、周藤先生などは、文先生が「人類始祖」となるべきお方であることを知っているのです。にもかかわらず、ある内密な理由があって、天聖経の「人類始祖」を第一アダムとして位置づけしてしか読むことができなくなってしまったのです。
その理由は次回にします。
【C】
赤表紙 天聖経
第一篇 真の父母 第二章 第二節
6 ・・・天道が変わるというのは、み旨から見るとき、あとから出てくる人が先祖であり、先に出てきた人が子孫になるということです。
(※)人類始祖が六千年目に来るので、その父母の血肉を受けてこそ、本来の正常な軌道になるのです。
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【D】
祝福家庭と理想天国(1)
祝福と理想家庭 第二章 第一節 1.
第三アダムとは誰でしょうか。この地上に人類祖先の名をもってこられる三番目の方(お父様)です。(15)