天聖経の「人類始祖」とは ➡ 『文先生』 赤・天聖経 ☞ 「人類始祖が六千年目に来る・・」
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赤・天聖経にある「人類始祖」とは
やはり、文先生のことであった!!(もちろん、御言葉全般です御言葉全般です)
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下記の赤・天聖経(韓母編纂)の御言葉をお読みください。(※)に「人類始祖」の定義性が語られている。
「人類始祖」の定義性
「人類始祖」とは、【A】の(※)に「人類始祖が六千年目に来るので、その父母の血肉を受けてこそ」とあるように、再臨のメシヤとして来られたお父様のことを言っていることが分かる。
さらに決定的なのは、【B】で「第三アダムとは誰でしょうか。この地上に人類祖先の名をもってこられる三番目の方(お父様)です。」と言っている。
決して、「人類始祖」のことを六千年前のアダムのこととして語られているのではないことが分かる。
黒い表紙の「天聖経」にも、赤い表紙の「天聖経」にも、「人類始祖」という言葉が数多く語られている。この「人類始祖」という言葉を一方的に六千年前のアダムであると解釈することは、大きな過ちであり、天聖経の真理性が空洞化することを意味している。
しかし、今も、家庭連合では、文先生が「人類始祖」となるべきお方であることを知りながら、ある内密な理由があって、天聖経の「人類始祖」を第一アダムとして位置づけして読まざるを得なくなってしまったのです。
あたかも、二千年前のパリサイ人が文字の奴隷になったことと同じことが、再臨時代の家庭連合にも再現してしまったのです。
その内密な理由とは一体どのような理由なのでしょうか。
その理由・・・天聖経の「人類始祖」を第一アダムと解釈している為・・原理からの脱線と御言葉の無価値化が起こっている - 平和の主人 血統の主人
【A】
赤・天聖経
第一篇 真の父母 第二章 第二節
6 ・・・天道が変わるというのは、み旨から見るとき、あとから出てくる人が先祖であり、先に出てきた人が子孫になるということです。
(※)人類始祖が六千年目に来るので、その父母の血肉を受けてこそ、本来の正常な軌道になるのです。
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【B】
祝福家庭と理想天国(1)
祝福と理想家庭 第二章 第一節 1.
第三アダムとは誰でしょうか。この地上に人類祖先の名をもってこられる三番目の方(お父様)です。(15)