平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

「道義の道は、失望の道を正当化させて行く道」・・・訓教経 ☞ 文先生の『道義』  堕落人間の道義とは全く違っていた

 下記の御言葉に(※)道義の道は、・・・失望の道を正当化させて行く道」という言葉があります。



   文先生たったお一人
 この言葉は、歴史上の求道者であったとしても、誰一人として該当しない。この言葉に該当するお方は神様と文先生しかおられないはずです。


 もし、皆さんが、過去にいた偉大な求道者であったとしても、「道義の道は、失望の道を正当化させて行く道」だとう言葉の意味は理解できないはずです。たとえ理解したとしても、ほんの一部に過ぎないはずです。


   それは文先生の道
 「失望の道を正当化させて行く」という道は、先ず、神様が行かれた道であったということです。そして、文先生が神様と共に涙をぽろぽろ流されながら、心が張り裂けるような道を「正当化する道」として行かれたということです。


「正当化する道」とは、どのような道であったのでしょうか。


 つづき・・・


文鮮明先生のみ言集 訓教経(上)  

 

 「神様の祝福の最大の願いとは何か」

     一九六〇年四月二十四日  韓国前本部教会 

          『文鮮明先生み言選集第九巻』 


 では、私たちの出発の起源はどこでしょうか。私たちはどこから出発したのでしょうか。私たちは神様の愛の懐から出発したのではなく、神様が悲しみの涙をぽたぽた落とす立場から出発したのです。そのような人間なので、苦痛を受けてやるせない立場に立ち、殺しに遭い、号泣して絶望する立場に立つようになったのです。


 (※)道義の道は、苦痛を当然として行く道であり、失望の道を正当化させて行く道であり、絶望の立場で希望をもって進んでいく道です。なぜですか。人間は反逆者であるために、反逆の種を蒔いたすべてを蕩減しなければならないのです。報いを受けなければならない人間であるので、蕩減を受けなければならないのです。

×

非ログインユーザーとして返信する