神様・・・文先生を失った(堕落した立場) 何故??? ☞☞ キリスト教の失敗・・・40年サタン分立路程
下記の御言葉(※1)に「あなたの息子である私を、そして私たちの先祖を失った」とあります。(これに同期する御言葉は天聖経に数え切れないほどあります)
ある時、私はファミレスで1800双の人に会って、次のような質問をしました。このお方は御言葉を熱心に訓読している方です。
◆ あなたは(※1)の『私』を誰のことを言っていると思いますか?
その方が、「この『私』とは文先生のようになっていますが、これは読み手の私のことを詩的に表現しているのです。」と言いました。
そこで私はそのお方に、
◆ この(※1)の『あなたの息子である私』とは文先生のことではないのですか?と、もう一度、聞きました。
すると、そのお方が次のように言いました。
「文字どおり解釈するなら文先生になりますが、それはあり得ないことです。これは六千年前のアダムと文先生を重ねて詩的に表現されたのだと思います。」
そこで私はくどいように、もう一度同じ質問をしました。
◆どうみても、『あなたの息子である私』とは文先生のことではないのですか?
すると、その方が私に次のように言いました。
「私たちは修練会で文先生は真のアダムであり、神様のひとり子であると学び、今まで、ずーっとそれを信じて来ました。それが信仰です。それ以外にあり得ません。」
深いため息を押し殺して、私は最後に三つの質問をしました。
◆1 文先生が真の息子の資格を失ったという、つまり、文先生が堕落した立場に立たれたことが天聖経にたくさん語られていることは御存じですか?
そのお方は、「解釈は難しいが知っています。」と答えられた。
◆2 これも詩的に語られたということですか?
そのお方は、「正確には分かりませんが、そうだと思います。そう理解するしかありません。」と答えられた。
◆3 (※2)「その子孫」とは、私には「文先生の子孫、第三イスラエル・統一教会の信徒」のことであるとしか解釈できないのですが、あなたは誰のことだと思いますか?
その方は、「分かりません、分からないことを分からないとするのがいいと思います。無理に解釈する必要はないと思います。」と答えられた。
私にとっては、無理に解釈しているのではないのですが、この方、どうも、過去の概念が障害になっているようです。これ以上、この話ができず、話題を替えました。
あなたはどうでしょうか??
天聖経
真の神様 第四章 一 1.
皆さんは神様のためにどれほど涙を流したでしょうか。神様の御苦労の前に、神様に代わって苦労するために、四肢が裂けるような道でも行こうともがいたことがあるでしょうか。
ないのです。
皆さんが「子女」というその立場を追求するためには、公的な涙を流さなければなりません。
そうして父なる神様にまみえ、(※1)「父よ、あなたの息子である私を、そして私たちの先祖を失ったとき、あなたの心はどれほど悲しみに痛んだことでしょうか。
(※2)その子孫(文先生の子孫、第三イスラエル・統一教会の信徒)を通じて今まで歴史過程において受けた屈辱と苦痛と苦難が、どれほど大きかったことでしょうか」と慰労してさしあげながら、限りなく涙を流すことができなければなりません。