後天時代の出発・・亨進様はお父様の聖和によって生かされたお方です!!
祝福家庭と理想天国(1)
祝福と理想家庭 第七章 第四節 4.
この世でも還暦を越えて生んだ息子(亨進様)、すなわち晩年に得た子、七代続けての一人息子が(お母様の主管下に入って)死ぬと考えれば、絶望の中の絶望でしょう。
若ければまた生むこともできますが、晩年に得たその七代目の一人息子(亨進様)がうまく育たずに死ぬとするなら、七代圏を継承しようとした先祖たちの心はどれほどでしょうか。
先祖たちは自分の後孫、自分の血筋を通して世界にない万福を受けたがります。
ですから、子供(亨進様)が死ぬなら、その父母は後を追って死にたいでしょう。
ところで、アダム(イエス様=文先生)は七代目(アダム、ノア、アブラハム、イサク、ヤコブ、モーセ、イエス)の一人息子どころではない、永遠の一人息子です。
一人しかいないアダムを中心として家庭を築かせ、天地の大業を立てようとされたのに、そのアダム(文先生)が死んだのです。
神様の心はどうだったでしょうか。
このように事が失敗したとき、どうだったでしょうか。「私(文先生)」が(本然の)結婚したいのに(お母様がその責任を果たせない為に)結婚できないときの切なさと比較できるでしょうか。
父母は千年万年共に暮らしたいのに、七代目の一人息子(亨進様)が今悪い病気にかかり、命が寸刻を争っているとするなら、その父母(文先生)の心情はどうでしょうか。
皆さんの息子・娘が今、息を引き取ろうとしていると一度想像してごらんなさい。父母は声を張り上げますか、声を張り上げませんか。
その父母(文先生)は、死にゆく子供(亨進様)を生かす方法があるなら、体面と威信をすべて捨ててその方法を使うでしょう。
ある怨讐がいて、彼の永遠の僕となるとしても、自分の息子・娘を生かすことができるなら、父母(文先生)はそのようにするでしょう。それが理解できますか。
その子供(亨進様)を生かす方法があるとするなら、父母は威信や体面を考えないのです。(530)
夫(文先生)が死の間際にいて再び生き返るなら、その妻(お母様)は生き返った夫を、前よりも千万倍も貴く思うでしょう。
それだけでなく、愛する子女が(亨進様がお母様と一体となって)死んだのに、再び生き返る可能性があるなら、その父母は子女を生かすために自分(文先生)の死も辞さないでしょう。
その父母は、死んだ子供が再び生き返って出会う喜びと、一身が犠牲となる悲痛さを比較して見るとき、自分自身(文先生)が犠牲となることよりも、子供が生き返る喜びのほうが強いというのです。
このような力は、ただ愛が内包された立場でのみ成立するのです。皆さんは、日常生活を通してこのようなことを感じたでしょう。(531)