平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

あなたは耐えられるか?? 知らなかった!! 騙された!! 統一原理を絶対視するか?? それとも捨てるか??

 下記の御言葉〔A〕が、仮に、六千年前のアダムとエバの堕落を言っているとするなら、文先生の頭が狂っていることになります。そのうえ、再臨時代は成就する時代だったはずですが、文先生が80歳を過ぎられた御言葉です。中心家庭は分裂し、祝福家庭は路頭に迷っているではないですか。


 これに類する御言葉は、天聖経にいっぱい存在しています。


 六千年前のアダムとエバの堕落は、未熟であったエバが天使長に蹂躙されて、知的に混沌となって堕落したというのが統一原理です。


 ところが、1992年以降の御言葉や天聖経にはアダムとエバの堕落の動機と経路について沢山存在していますが、この内容が  統一原理とは一線を画している  ことを見逃してはなりません。(言葉が似ている為、ほとんど、スルーしているのです。・・・これが統一原理の無価値化をもたらし、これが信徒の心の空洞化をもたらしているのです。)


御言葉〔A〕

 赤・天聖経 第十三篇 第四章 第一節 


8 人類始祖(文先生とお母様)堕落によって偽りの血統を伝授された人間は、誰もがサタンの束縛から抜け出すことができないまま、今も暗闇の中をさまよっているではないですか。


六十五億の人類を導き、地上天国創建の道を歩んでいく私たち夫婦の人生が、どうして深刻でないことがあるでしょうか。



(コメント

これもコメントするまでもない御言葉です。


文先生は堕落を再現して蕩減するという事実蕩減の為、文先生とお母様の堕落を私たちに「伝授する」と言っているのです。


仮に、「伝授する」という言葉が六千年前のアダムとエバの堕落なら、絶対に用いてはならない言葉です。


あくまでも、この堕落は、文先生とお母様の「アブラハムによるイエスの典型路程」によって全祝福家庭に与えられた蕩減の道であったのです。)


 何故、このような問題が起こっているのでしょうか。


 あなたは、これが理解できますか??


 あくまでも、文先生とお母様の堕落は事実蕩減からくる「アブラハムによるイエスの典型路程」によるものであり、これによってお母様が堕落したことにより、文先生がそのお母様と家庭を持たれたことが文先生の堕落になったのです。


 そして、文先生は40年サタン分立路程を勝利的に超えられ、再び、1992年に真の父母宣布をされたのです。これ以降、文先生とお母様は聖別に入られたことが想定されます。


 しかし問題は、お母様がお父様をメシヤとして無条件に受け入れて、お母様が天宙的洗礼ヨハネの使命を全うして初めて文先生はメシヤの位置に立つことができるということです。ところが、お母様はこれができなかった為サタンが侵入したのです。つまり、お父様は堕落圏にとどまられたということです。その結果がお父様の聖和であったということです。
 ところが、この聖和には六千年前のアダムとエバの堕落を再現されたというのです。つまり、お母様の主管性転倒によるアダムの再創造摂理が隠されていたというのです。天宙的事実蕩減であったということです。
 その為、1960年、お父様はお母様を天使長的人物に差し出す為、お母様に原理教育もされず、一週間断食もさせず、開拓伝道にも行かせず、堕落直前のエバとして素の状態で差し出されたのです。これは、文先生がサタンの僕となってサタンを自然屈服させる為でした



 この観点から、文先生が堕落圏から抜け出すことができない立場で、1992年以降の御言葉が語られていますので、これを知って読まなければ、文先生の頭が狂ったものになり、また、統一原理の絶対性までもが阻害されることになるのです。


 そして、事実、還故郷後、御言葉の錯誤が起こって統一原理の絶対性が阻害され、時間の経過と共に、ほとんどの信徒たちは、1992年以降の御言葉に出てくる「アダムとエバ」、「人類始祖」を六千年前のアダムとエバの堕落と理解した為、文先生を不信し、統一原理を捨てたのです。まさに、イエスさまと同じような事が世界基準で起こっていたのです。



  さらに、今後起こるだろうと思われる問題は、三男さんの所に行っている信徒たちであろうと、七男さんの所に行っている信徒たちであろうと、その場が、一時のオアシス的な場であったとしても、1992年以降、文先生が語られた「アダムとエバ」、「人類始祖」を六千年前のアダムとエバと理解したままになっていれば、御言葉を読みながら統一原理の絶対性が阻害され、いずれ、統一原理を捨てるようになる危険性をはらんでいるのです。
 すでに、今、起こっているとも言えるのです。

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