平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

リバイバルのうねり!  韓国の学校では教わらない韓国(朝鮮半島)の歴史 【日韓併合時代を生きた人々が語る真実】

リバイバルのうねり!  韓国の学校では教わらない韓国(朝鮮半島)の歴史 【日韓併合時代を生きた人々が語る真実】

文先生とお母様が歩まれた「事実蕩減」の実態が、「天聖経」にお父様が明らかにされました。


その為、これに即応して、悪事先行の法則が終わって、いよいよ、フェイクに嫌気がさし、善事が始まる時代、摂理的国家の歴史的真実が白日に晒される時代が来ています。


いま、サタンの嘘・フェイクに耐えられない、真実を求めるリバイバル運動が始まろうとしているのです。それが下の動画です。


いまは、第一次世界大戦と共に始まった再臨時代が、第二次世界大戦直後のキリスト教の失敗により六千年の蕩減の恩恵を失いました。その失敗を元返すはずだった統一教会までも不信により、いま、摂理が延長された時代にあります。そしいていま、第三次世界大戦の危機の中で、再び再臨主を迎える時代圏を迎えているのです。



   

学校では教わらない韓国(朝鮮半島)の歴史 日韓併合時代を生きた人々が語る真実【なるためJAPAN保管庫】


反日問題に関するこれまでの記事


反日の真実」に関するブログ記事 - 平和の主人 血統の主人

第七章 (57)二十一世紀の宗教が最終的に目指すもの  P.291  (世界平和を愛する世界人として  文鮮明自叙伝) 20


世界平和を愛する世界人として  文鮮明自叙伝
  第七章 韓国の未来、世界の未来 ――― 理想郷に向かって

第七章 韓国の未来、世界の未来 ――― 理想郷に向かって



(57)二十一世紀の宗教が最終的に目指すもの  P.291


 二十世紀は激動の成期でした。過去二千年間で起きたことよりも、もっと多くのことが百年の間に起きました。二十世紀は、二度の世界大戦を経験し、共産主義が勢いよく広がった後に消えていった世紀です。また、神を捨てて物質に埋没した世紀でした。そうだとすれば、二十一世紀はどうでしょうか。科学が発達し、もうこれ以上宗教は必要なくなったと言う人たちもいますが、人間の精神世界がなくならない限り、宗教の役割は決して終わらないでしょう。

 宗教の目的は何でしょうか。それは神様の理想世界を成し遂げることです。より多くの人を宗教の世界に伝道しようと努力する理由は、より多くの人を神様の民にするためです。すべての人が神様の民になれば、世の中はもはや戦争と混乱のない平和世界になります。究極的な宗教の行く道は平和です。


 神様は愛と平和を願ってこの世をつくられました。自分の宗教だけが唯一の救いであると言い張って混乱を引き起こすのは、神様が願われることではありません。神様は、この世界の全ての人が平和と和解、共生のために一生懸命働くことを願われます。教会に行くがゆえに家の中に混乱が起きるとすれば、私は躊躇(ちゅうちょ)なく「家庭を先に守りなさい」と言います。何故かというと、宗教は神様の完全な世界に入っていくための手段であって、それ自体が目標ではないからです。


 人類は、分かれ体験を一つにまとめ、衝突する文明の一致点を探し出すでしょう。今後、人類を導いていく思想は、これまでの全ての宗教とすべての思想を見な一つに合わせたものでなければなりません。過去のように、一つの国が先頭に立って人類を引っ張っていった時代はすでに終わりました。民主主義時代も終わりました。

 今のように、宗教と人種を前面に立て、同じ群れどうしで固まる時代が続くとすれば、人類は戦争を繰り返すほかありません。慣習と伝統を超えなければ、平和の時代は決して訪れることはありません。今まで人間を操ってきたどの主義も、思想も、宗教も、来るべき未来の平和と統一を成し遂げることはできないのです。ですから、未来には、仏教も越え、キリスト教も越え、イスラームも越える、新しい理念と思想が出てこなければなりません。私が数十年間、宗派も越え、宗教も越えなければならないと、喉が張り裂けるほど主張してきたのも、まさにこのような理由のためです。


 地球上には二百を超える国・地域があり、その国ごとにすべて国境を持っています。国と国の間には、お互いを区分する国境があるのです。国境によって分けれられた国々は、永続することができません。国境を克服できるのは宗教だけです。ところが、人々にとって希望となるべき宗教が、数多くの宗派に分かれ、自分たちどうしの争いに躍起になっています。自分の宗教、自分の教派第一主義に陥り、世の中が変わり、新しい時代が開かれることを知らずにいるのです。


 数千年間築いてきた宗教の壁を崩すことは簡単ではありません。しかし、平和世界に行くためには、必ず宗教の壁を崩さなければなりません。教団と教派はつまらない争いを止め、お互いの意見を調整していきながら、一つの世界に向かって進んでいく方法を模索しなければなりません。世界平和実現のための宗教の役割を果たすために、具体的な実践の道へと踏み出さなければなりません。幸福な未来は、物資的な繁栄だけでは成し遂げられません。宗教間の理解、精神的な融和を通して、思想と文化、人種の間の葛藤(かっとう)を克服することが急がれています。


 私は、全世界の多様な宗教者に対して、三つのお願いをします。一つ目は、他の宗教の伝統を尊重し、宗教間の紛争や衝突を防ぐよう努力すること、二つ目は、すべての宗教共同体は互いに協力し合い、世界に奉仕すること、三つ目は、世界平和のための使命を完遂するために、あらゆる宗教指導者が参画する組織を発展させることです。

 右の眼は左の眼のために存在し、左の眼は右の眼のために存在しています。また、二つの目は、人間全体のために存在しています。私たちの体の手足がすべてそうです。自分のために存在しているものは一つもありません。宗教も、自分の宗教のために存在するのではなく、愛と平和のために存在します。世界平和が成し遂げられれば、もはや宗教は必要ありません。宗教にとっての最終的な目標は、愛と平和に満ちた世の中を現実世界に成就することです。それが神様の御旨(みむね)です。

 人の心を平和に対する渇望でいっぱいに満たすことは易しいことではありません。そのためには、繰り返し教えて、また教えなければなりません。それで私は、教育事業に心血を注ぐのです。私たちの教会が基盤を確立する前に「仙和(ソンファ)芸術学校」を設立し、「清心(チョンシン)国際中高等学校」「鮮文(ソンムン)大学」など、様々な学校を建てました。また、韓国だけでなく、アメリカの「ブリッジモード大学」をはじめとして、世界各地でたくさんの学校を建てたり、運営したりしてきました。私の教育理念は、仙和芸術学校を建てた時と同じく、天を愛し、人を愛し、国のために働く人材を育てることです。

 学校は、真理を教える聖所のような所です。学校で教えるべき最も重要な真理は何でしょうか。一つ目は、神様を知って、その存在を現実の世界に顕現させることです。二つ目は、人間存在の根源を知り、自分の責任を果たし、世界の運命に責任を持つことです。そして、三つ目は、人類の存在目的を悟り、理想的な世界を建設することです。そのようなことは、長い間真心こめて教えて、初めて分かるようになります。


 今日の教育は、競争して勝った者が幸福を独占する、勝者独占社会をつくっていくことに焦点が合わせられています。それは正しい教育ではありません。教育は、人類が共に豊かに暮らす平和の世界をつくるための手段でなければなりません。今まで私たちを支配してきた教育の理念と方法を、人類共通の目標のためのものに変えなければなりません。アメリカがアメリカだけのための教育を行い、イギリスがイギリスの利益だけのための教育を行えば、人類の未来は真っ暗闇(くらやみ)です。

 教育者は、自分一人が裕福に暮らす方法ではなく、私たちの時代のあらゆる社会的な諸問題を解決することのできる知恵を教えなければなりません。各宗教に属する宗教学者の役割はもっと重要です。宗教学者が教えるべきことは、自分の宗教の複雑な理論や優越性ではなく、人類を愛し、平和世界を成し遂げる知恵です。彼らが先頭に立ち、人類は兄弟姉妹であり、世界は一つの家庭だという平和の原理を子孫に教えていかなければ、決して人類の幸福な未来を期待することはできません。


 知恵の中の知恵は、神様の心情と理想を知ることです。ですから、科学技術が天に届くかのような二十一世紀にも、宗教の役割が依然として重要です。したがって、全世界の宗教は、人類の行くべき目的地を正確に知り、今すぐに大小の利益争いを止めなければなりません。体面を優先させた名分争いもやってはいけません。お互いの知恵を集め、力を合わせて理想世界の建設に勤しまなければならないのです。葛藤(かっとう)と憎悪に染められた過去の日々はもう忘れ、平和をもたらさなければなりません。世界平和のための努力はいくらやっても終わりがありません。人類を理想世界に導いていく宗教者は、自分が平和の使徒であることを、一瞬たりとも忘れてはいけません。


➁ 統一教会最大のタブー 原理にはない「事実蕩減」 ➡ 「堕落したのだから、堕落から始めないといけない」 (1995年の訪韓修 日本女性達に初めて語った)

統一教会最大のタブー 原理にはない「事実蕩減」 ➡ 「堕落したのだから、堕落から始めないといけない」 (1995年の訪韓修 日本女性達に初めて語った)



「777は異端だ! 
お母様の過ちを正当化しようとしている  
お父様までが堕落したと言っている  
777を石で打ち殺せ! 777は地獄に落ちろ!」


って言っている声が聞こえそうです。仕方ありません それが「天聖経」であり、777ですから・・・



前回の記事・・・誰も知らなかった!! お母様の過ちが摂理となった ➡ 「主管性転倒式(隠された内的摂理)」とは何か?


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本日は、お母様の過ちが起こるようになった原因を考察します。昨日の「主管性転倒式」は・・・、もう少し後になります。



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お母様の過ち・・・アダム再創造のため必然的に起こった過ちであった?

  『独生女宣言』
  『お父様は堕落した血統で生まれた』
  『お父様の第一夫人との結婚は間違いであった』
  『お父様の原罪を脱いでさしあげたのは私だ』


お母様の過ちの始まりは何処にあったのか


文先生が聖和された以降、私の追いかけるテーマが大きく変わりました。新しいテーマは、「お母様の過ちの原因が何処にあったのか」についてです。この答えを御言葉から見つけ出すことでした。


7年かかってたどり着いた結論は・・・、「事実蕩減」という言葉です。初めて聞く言葉でした。この言葉は原理にはありません。ぜひ、クリックして「事実蕩減」をお読みください。非法の愛(サタンの愛)が摂理に関与するということです。これが「文先生がサタンを主人として仕える(侍る)」ということです。


受け入れられますか?


この問題が受け入れられなければ、これから先の内容はさらに受け入れられないと思います。ですから、受け入れることができない人は、ここで終わった方が平安が保てます。無理に進んでも、躓くと思います。


自己責任とする方はこの先にお進みください。


「事実蕩減」をクリックして分かっていただいたように、「事実蕩減とは堕落した愛の関りを再現して贖罪すること」です。ですから、高等宗教やキリスト教を代理蕩減する統一教会には存在しない、原理にもない贖罪法です。ですから、文先生が1995年の訪韓修の時、時が来て、日本の女性達に初めて語ったのがこの「事実蕩減」に関する御言葉でした。それが「堕落したのだから、堕落から始めないといけない」と言っている御言葉です。


つづき

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次回は、「堕落したのだから、堕落から始めないといけない」と語られたことの中身になります。具体的に何があったのかです。


躓く方は読まない方がいいと思います。


次々回が、具体的に合った堕落に関する摂理によって、その後、文先生が御言葉をどのように語られていたのかについてです。

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韓国の最も偉大な「世宗大王」 ➡ 自国の乙女達を自ら選んで中国に送った!!

彼らは、どうして歴史の真実を知ろうとしないのか?
彼らは、歴史の真実を知っていても知らないことにしているのか?


彼らは、どうして無条件に「世宗大王」を誇るのか?
彼らは、「世宗大王」が自国の乙女たちを性奴隷として送ったことを知って起こっているのか?


韓国の性売買は世界トップクラス・・・これが日本の影響だっというのか??



Colaboのあの発言!歴史的事実ではありません



Colaboのあの発言!歴史的事実ではありません/반일을 후원하는 일본단체의 목적 2편

① 誰も知らなかった!! お母様の過ちが摂理となった ➡ 「主管性転倒式(隠された内的摂理)」とは何か?

あれもこれも伝えようと思うと、何も伝わらない!
でも、伝えなければならない。それが777ブログです。


長い記事になります。何度かに分けてアップしますのでお読み頂ければ幸いです。



本日は「主管性転倒式(2020/06/15の記事)」についてです。初めて耳にする兄妹もいると思います。


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お母様の過ちが摂理となった・・・「主管性転倒式」とは何か?

  『独生女宣言』
  『お父様は堕落した血統で生まれた』
  『お父様の第一夫人との結婚は間違いであった』
  『お父様の原罪を脱いでさしあげたのは私だ』


お母様の過ちは、お父様を真のアダムとして再創造するために必要であったもの。つまり、「主管性転倒式」という摂理によって起こったものです。誤解を招きやすいのですが、この過ちは、「主管性転倒式」という摂理からして必然的であったということ。そして、この過ちは、この「主管性転倒式」という摂理の燃えカスのようなものと言えるのです。ですから、神様と言えど、お父様も、この過ちを犯したお母様と家庭連合であったとしても捨て去ることはできないのです。


それでは、この「主管性転倒式」とは一体何を意味しているのかです。中心家庭に展開した終局的な内的摂理であり、この摂理がお父様の聖和に直結しています。これを知らずしては今までの摂理も、これからの摂理も理解できません。ぜひ、クリックしてお読みください。


つづき


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