平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

◆◆◆導入⑩ 「検証3」金百文牧師とお母様が重なる  お父様は郭錠煥補佐官をお母様の最強のサポーターとして送られた。55年プログラム」によって解決しました。

「検証3」


 本日は「双合55年プログラム」からみた〔1945年〕と 56年後の〔 2001 年〕」についての検証です。
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☆〔1945年〕 : ソロモンの王・・ 「イスラエル修道院と金百文牧師」が表示路程となって、


    56年後


 ★〔 2001 年〕: 王権・・「神様王権即位式とお母様」に同時性的に展開される。
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① ☆〔1945年〕 : 「イスラエル修道院と金百文牧師」
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 お父様は《 真の御父母様の生涯路程 2  第二節 韓国解放とキリスト教を中心とした摂理の出発 二 金百文牧師のイスラエル修道院を中心とした摂理 》のなかで、金百文牧師を洗礼ヨハネであると、明確に語られています。


1)金百文牧師の不信


 お父様が興南苦役に対して、神様に対する絶対信仰、絶対服従、絶対愛の基準を完全に立てられたことによって、モーセ路程のように、この後、再び、洗礼ヨハネ的人物と統一協会が不信を繰り返しても、お父様が愛する者を犠牲にするというとりなしされることによって、摂理が延長されて再出発を可能にしたと言えるのです。


2)重要なみ言
 ここで次の「②」に関連して、特筆すべきことがあります。
 それは、お父様がイスラエル修道院に六ヶ月間入られた時のお父様のみ言です。

〔A〕

《 真の御父母様の生涯路程 2

第二節 韓国解放とキリスト教を中心とした摂理の出発

二 金百文牧師のイスラエル修道院を中心とした摂理 》


 『先生がその集団に行って、六ヵ月以上の期間、何をしたでしょうか。僕の暮らしをしたのです。み旨はすべて知っていますが、その相続を受けるために、誰もできない精誠を込めるのです。皆さんが想像もできない懇切な心情をもって、祈祷をしたのです。その時、先生が祈祷した床には涙が染みついて、乾く日がありませんでした。


 ここでは、この世のように工作して、人をこっそり引き抜けないのです。真は真であるゆえに、真の価値を知ることができる時を待って、神様の復帰の内容を備えることができる人的資源を、その集団から発掘しなければならなかったのです。それゆえに、その集団の中で、無言の僕の暮らしをしました。


三人の女性の証と金百文牧師の祝福


 もし、先生がその霊的集団から一人の男と、そしてその男と一体になった三人の女を復帰することができていれば、それによってエバの復帰のためのすべての条件を立てることができたはずです。旧約時代は老いた女、結婚した老いた女に比喩でき、新約時代は、婚約はしたが結婚できなかった女に比喩できます。

・・・・

 六ヵ月後に、金氏は天から啓示を受けて、彼は先生の頭に自分の手を載せて、全世界のソロモン王の栄光が先生に臨むようになることを祝福しました。


 三月の復活節を迎えて、彼の食口を中心として天の役事が起きたのです。それで、自分に従うすべての食□たちの前で、先生を祝福してくれたのです。洗礼ヨハネがイエス様に引き継いだのと同じ役事が起こったのです。白い服を着て祝福をしてくれたのです。



 このみ言にある摂理的ポイントとなることが、次の「②」に同時性的要因となって繰り返されることになります。

〔1945年〕摂理的ポイント


ⅰ)六ヶ月、イスラエル修道院に入って、誰もできない僕のような生活をされた。

ⅱ)祈祷につぐ祈祷で涙の乾くことがなかった。

ⅲ)天が準備していた一人の男(金百文牧師)と三人の女がいた。

ⅳ)サタンの讒訴を受けない立場で、

    エバ(お父様の相対)を復帰することができたはずだった。

ⅴ)ソロモン王としての祝福



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② ★〔 2001 年〕: 「神様王権即位式とお母様」
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 この即位式は《 天宙的な洗礼ヨハネ 》であるお母様が天の基準で立たなければ迎えることができない即位式でした。 そして、この即位式は56年前の金百文牧師の失敗が表示路程となって、同時性的に展開される摂理ですから、お父様はこの「即位式」を迎えるにあたって、次のように語られています。

 《 ニューヨーク・ハーレム訓読大会 》2001/5/8


そうすれば、そのときから統一天下の運勢を受けて、1945年以後、3年半ないし7年間、1952年までに統一天下を成し遂げて、そのときに神様の「王権即位式」が終わっていなければなりませんでした。


 しかし、(再び)キリスト教は、統一教会(再臨主)を受け入れることができませんでした。今でも彼らは、棍棒を持って追い出そうとしています。

 ・・・・・

 それが(1945年から)40年間巡り、今日(2001年)まで56年の歳月が過ぎました。そして、この時代に「神様王権即位式」をすることができたということは、夢のような話です。』



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「双合55年プログラム」はお父様の最大の置き土産
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「双合55年プログラム」からみれば、前半の55年が後半の表示路程となりますから、後半の路程を考察する場合は56年前の前半の路程をベースにして考察すれば、おおかたの摂理的な考察が可能になると思います。


 これまで、この様な考察方法を知らなかった私にとって、お父様を研究し、摂理を研究するには、余りにも途方もない世界に目を向けることになって、全体的なパラダイムも原理から外れたり、自分の思いが入りすぎたりして、なかなか全体像を掴むことができませんでした。


 しかし、「双合55年プログラム」の検証によって、後半の摂理を理解するうえで大きな役割を果たしているとするなら、このプログラムはお父様が語られた「平和の主人」から与えられた最大の置き土産となります。



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〔1945年〕を表示路程とする〔2001年〕の摂理的ポイント
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 前述「①」のみ言〔A〕のポイントが表示路程となって、56年後のお父様とお母様に展開されていることを次に確認します。

〔2001年〕摂理的ポイント


☆青文字が1945年のポイントです。

★それに対して、黒文字が2001年のお父様とお母様に関してです。


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ⅰ)六ヶ月、イスラエル修道院に入って、誰もできない僕のような生活をされた。

ⅱ)祈祷につぐ祈祷で涙の乾くことがなかった。


 ⅰ)ⅱ)「イスラエル修道院で僕のような生活をされた」と語られたように、お父様の生涯は正に、この連続のような生活をされています。更に、この「即位式」に臨まれるお父様のみ言を読めば、どれ程深刻な日々を過ごされていたのか、精誠の限りを尽くされていたのかがよく理解できます。

この様な状況も、「双合55年プログラム」をとおしてお母様に対するお父様の姿がより鮮明に見えてくるようになります。

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ⅲ)天が準備していた一人の男(金百文牧師)と三人の女がいた。

ⅳ)そうすれば、サタンの讒訴を受けない立場で、

    エバ(お父様の相対)を復帰することができたはずだった。


 ①金百文牧師と三人の女の存在は2001年の「即位式」の時は、金百文牧師に該当する存在が《 天宙的洗礼ヨハネ 》であるお母様であり、三人の女に該当する存在は、郭錠煥補佐官、朴 普煕氏、日本の会長ではないかと思います。(男と女が反対になっています。)


 ②ところが、だいぶ後になりますが、2009年に語られた「平和の主人(3-6)」には、お母様を飲み込んだ二人の存在(金孝律氏、金孝南女史)があったということが語られています。何故この様になってしまったのか、この経緯をたどらなければならなくなります。


 ③2001年にお父様に対して用意されていた人物は、上記のお母様、郭錠煥補佐官、朴 普煕氏、日本の会長だったのが、ある時点から、お母様をサポートする立場に立っていた錠煥補佐官と朴 普煕氏がお母様から遠ざけられて、金孝律氏と金孝南女史がお母様をサポートするようになったと思われます。


④本来なら、父様をサポートする立場に立っていたのがお母様と郭錠煥補佐官と朴 普煕氏と日本の会長ですから、お母様をサポートする立場になるのも、郭錠煥補佐官と朴 普煕氏と日本の会長にならなければなりません。


⑤しかし、お母様がサポートしてくれる立場の人(錠煥補佐官、朴 普煕氏)を嫌ってしまったが為に、天はお母様を保護することができなくなったと考えられます。

 お父様とサタンは原理を無視して権勢を思うように揮うことはできませんから、サタンはその条件を取って、自分の一級的な二人(金孝律氏と金孝南女史)を送り込んだのだと考えられます。


⑥郭錠煥補佐官は顕進様の義理の父にあたります。

お父様は「即位式」以降の摂理も視野に入れて進めていることがありました。それが、お父様のメシヤ宣言のあった1992/8/25よりも50日早い1992/7/5に、顕進様の次男の信哲様を興進様・薫淑様家庭に養子として入籍されて、お父様は顕進様の未来を《 次のように 》祝福されました。

『興進は霊界に行きましたが、興進に息子ができました。顯進の二番目の息子です。三番目の息子である顯進が、完成時代の二代を連結させたのです。これはすべて摂理的です。』


 この時期からお父様は2001年の「即位式」とそれ以降に向けて準備が始まっていたと考えられます。お父様と郭錠煥補佐官は顕進様夫妻をとおして義理の兄弟のような親戚になったのです。


⑦このような環境はお母様の為にお父様が精誠の限りを尽くして築かれた最高の舞台だったと言えます。お母様にとって、郭錠煥補佐官の存在は天が用意した最強のサポーターになるはずでした。


⑧「即位式」に向けてお母様と郭錠煥補佐官、朴 普煕氏、日本の会長がお父様を中心として一体となって取り組まなければならなかったはずでした。この四人は最強の洗礼ヨハネ集団となってお父様を中心として「即位式」が完成されなければなりませんでした。


⑨み言に「(1945年の時は)天が準備していた一人の男(金百文牧師)と三人の女がいた。」とありますが、当時、三人の女はお父様のことを受け入れていたにもかかわらず、金百文牧師が不信してしまったが為に、この三人もサタンに奪われてしまいました。


⑩2001年の時は「⑨」よりも更に大きな存在までもサタンに奪われる結果となりました。

 それが、お母様と金孝律氏によって顕進様が追放され、義理の父である郭錠煥補佐官も嫌疑なきところに嫌疑をかけられて、干されるように放り出されてしまいまいた。まさに、サタンの仕業です。


⑪この様に、1945年と2001年に起こった現象は甚だ似ていることが分かります。


⑫お父様が顕進様に対された摂理的方向と、郭錠煥補佐官の当時の職責からみれば、更には、お父様への忠誠心の篤い朴 普煕氏の存在をみれば、お父様からお母様に与えられた最強のサポーターだったと言えるのです。


⑬百文牧師がお父様に一言の質問もすることなく、三人の女の進言にも耳を貸さなかったことと同じことが、お母様にも起こってしまったのです。お母様が自ら進んで、郭錠煥補佐官、朴 普煕氏を相談相手にしていたなら、全く別な局面を迎えていたと言えるのです。


しかし、お母様が金孝律氏と金孝南女史に耳を傾けて飲み込まれてしまい、顕進様と郭錠煥補佐官を追放したのですから、この様な駆け引きは長い歳月の結果として現れたに過ぎません。


⑮日本の会長もお母様をサポートする重要な立場にありますが、日本会長はお母様と共同運命体のように、お母様に寄り添って行動するようになっています。

 その為に、お父様は天の基準に立つべき会長を立てますが、困難に巻き込まれて、「即位式」までの10年間に7人も会長が代わりました。


⑯その結果、「即位式」以降の日本はお母様と共同してサタンに幽閉された状況にあります。


⑰もし、この推察どおりだとすれば、お母様はご自分をサポートする為にお父様が用意された人物を嫌ったことになりますから、大きな条件をサタンに取られたことになります。

 しかし、この推察はあくまでも、56年前の金百文牧師に対するお父様と神様の対応のあり方から検証したものですから、そう大きな違いはないだろうと思います。


最後に、私にはどうして、お母様が金孝律補佐官と金孝南女史を寵愛されるのだろうかと疑問だったのですが、「双合55年プログラム」によって解決しました。まさに、神様とサタンの奪い合いの展開だったのです。


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お母様は「即位式」において、天宙的洗礼ヨハネの使命を果たすことができませんでした。
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そのみ言です。 


 《 イースト・ガーデン訓読会 》2003/5/22


 『皆さんは、お母様の還暦の時、父母様が行ったことを知らなければなりません。その時の最初の儀式は何ですか。「天地父母様天一国開門祝福聖婚式」です! それは何の式ですか。(父母様の婚姻届を出す式です)。

そうです。父母様の婚姻式です。天一国になっているので、婚姻式をしながら聖婚式をするのです。

婚姻式をしませんでした。父母様が聖婚式を終えてこそ、神様が即位されるのです。

それで順序がそのようになっているのです。父母様が天一国開門を宣布する結婚式です。




次回は、お父様とお母様が何故、婚姻式(婚姻届)をできなかったのかについて考察します。

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