平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

◎●◎神山先生、江利川先生に捧ぐ!! 《牧会者の道》4 天の密使としての牧会者 (1)

《牧会者の道》
4 天の密使としての牧会者  111~122項


 天のために行く人々は、サタン世界に派遣された密使です。個々人において、大きかったり小さかったり、広かったり狭かったり、高かったり低かったり差異があるかもしれませんが、各々がなしている生活自体は密使の生活を離れてはいけないのです。ここにはいつも生死の脅威が介在しています。ちょっと間違えば、永遠の生命の問題が左右される、このような立場に置かれるようになるのです。


 それゆえに、永遠の生命を支えることのできる、永遠なる生命を保護してあげることのできる私たちの祖国を探そうとする観念が、その環境より何百倍強くなければ、密使の生活をすることができないのです。その祖国の栄光を見つめる心をもって祖国の恨みを解いた時に、万民が喜ぶのだということを考えて、新しい歴史を創建して、祖国光復の一日を迎えるその時に自分の功労が表れることを思いながら、現在の立場を無視してしまうことができなければならないのです。そのような心が先立たなければ、密使の使命を遂行することができないのです。言い換えれば、祖国光復のための希望が現実の希望より千倍、万倍強くなり得る心になってこそ、きょうの生命と取り替える恨みがあったとしても、それを克服して密使の使命を遂行できるのです。


 もし、そのように責任をなしていて、不意の事故で犠牲になったとしても、その場には新しい責任者をもう一度派遣することができるのです。彼は既に死んだとしても、彼の友人になることができるし、彼の側に立つことができる人々が生まれるのです。彼が模範になる立場で生きてきたので、たとえ彼が犠牲になったとしても、そこには彼の側になることのできる人々が残るのです。このような人々が残っている限り、神様はその基盤の上に代身者を送ることができるのです。しかし、そうできない立場で死ぬようになるときには、そこで彼がどんなに苦労したとしても、それで終わってしまうのです。(二九・四〇)


 神様はどのような方であられるのでしょうか? 神様は密使の大王であられるのです。祖国光復のため、サタン世界に現れた密使の大王であり、総指令官であられるのです。それでは、そのような神様が、この地に対して「私が神様であり、私が教えることのできる真理はこれだ」と、六千年の間に一度でも主張した時があったでしょうか? ありませんでした。けれども、神様は私たちの清い良心を通して指示し、因縁を結ぶために苦労してこられました。私たちの心の根本を広げることによって、一致させることのできる自由な世界に引っ張ってきたのが六千年復帰摂理の歴史です。


 このようなことの総責任をもち、この地に来られる神様の息子には、密使の使命を外的、内的に連結させなければならない使命があるため、外的にぶつかる怨讐のような環境の困難は、内的面において神様と一致することのできる刺激的な内容になるのです。困難な環境が分立させるのではなく、むしろ密接な内容として一つとなることができるようにさせるのです。ですから、そのような所には、必ず神様が現れて、祝福して、神様が共にあって闘ってくださるということを認定せざるを得ないのです。(二九・四九)


 このような立場で、皆さんはどのような姿勢を備えなければならないのでしょうか? 祖国光復のための信念が、何よりも一層高く胸の中に燃えていなければなりません。言い換えれば、六千年の間、神様が待ち焦がれてきた祖国を建設する旗手となり、先鋒に立つ精鋭部隊の一員として、開拓者になるという、この大変な使命に責任をもつ自負心を感じなければなりません。やって来ては去っていった数多くの人々が、もつことを希望したが、もとうとしてももつことができなかった、一つしかなく、この一時しかない、特権的な使命を負ったという厳粛な責任感をもたなければならないのです。


 ですから、食べて、寝て、行って、来るすべての生活が、祖国創建のためのものでなければなりません。神様から特別に派遣された密使として、凛々しく立派にこの使命を遂行しようとして行ってくれることを、神様がどれほど待ち焦がれていらっしゃるでしょうか? 今までは、ひどく追われて、ひどく追い回されました。国家の足場を備えて全体の内容を提示し、一度も広げることのできなかった天のそのみ旨、祖国を建てることのできる、そのようなみ旨を立てなければなりません。今まで、そのみ旨を一度も立てることができなかったのです。しかし今は、そのような祖国を建てることができます。その祖国には主権があり、その祖国には国土があり、その祖国には国民がいます。


また、そこには単一民族の血統が因縁を結んでおり、他の民族がもつことのできない歴史があります。そのような祖国のために、私たちは密使の使命を遂行しなければなりません。そのような使命を自らが早い時期に完遂すればするほど、祖国光復の基盤が自分によって次第に近づいてくるというのです。きょう苦労の代価を支払うことが、祖国光復の一日を近くに迎えることのできる基盤となるのです。


このような事実を思いながら皆さんは、生きて密使の使命を完遂しようという決意をもっていかなければなりません。そうでなければ、これから、神様が私たちにもたらしてくださる世界的祝福と天運を、私たちのものとして迎えることができません。(二九・四一)


 密使が取らなければならない態度とはどういうものでしょうか? 自分が生き、死ぬことが問題ではありません。密使はいつも生死の脅威を受けており、死がいつもその前に立ちふさがっています。ですから、生死の境界線から死を踏み越えた立場にいる神様の代身者であるのです。三十八度線を越えてみた人は、その気分が分かるかもしれませんが、密使は国境線を越えるそのような冒険の世界で、死の足場を踏み消すことのできる確固とした生活態度を取らなければならないのです。


 同じように、今日私たちが、新しいみ言を伝えるにおいて、み言だけを伝えていては駄目です。まず人間的な面で手本となり、生活的な面で手本となり、行動的なすべての面で手本にならなければなりません。すなわち、その村で、上下関係や、すべてのことで彼らの前に手本にならなければならないのです。どの面においても、彼らより劣ってはいけないというのです。彼らが「あの人は、私たちの村で本当に必要な人だ」と言うことができ、自分が去ろうとする時には、部落が一致団結してそのまま続けてここに住んでほしいと願う基盤を築かなければなりません。そのような基盤を築かなくては、私たちの立場で目的を成就するということは、大変に困難なことです。


 皆さん方は、そのような生活をしてみましたか? 自分が生まれた民族の前に、二年、三年、十年の歳月の中で、一日でもそのような生活をしてみたかというのです。密使の使命を完遂することで責任がすべて終わるものではありません。その民族や国家で祖国の目的を達成させるための特命を受けて派遣された、そのような人がいるとすれば、その使命を十年や二十年かけても達成できないのです。


また、自分一代において、その使命を果たすことができず、代身者を立てて使命を引き継がせていかなければならない人たちもいるのです。ですから、このような特命を中心として、いつも気を遣いながら、それこそ、生きた祭物のような立場で自分の責任を遂行しなければなりません。その責任を展開させることができ、収拾することのできる一人の責任者にならなくては、密使としての目的を成し遂げることは不可能だということを知らなくてはなりません。


 このような観点で見るとき、生活態度やその他のすべての面で違わなければならないのです。その部落において、誰も責任をもつことのできないことを自分の当然なる責任として考え、責任を負うことができなければなりません。その部落を身代わりして打たれることがあれば、その打たれることが、密使として責任を完遂することのできる一番早い道です。部落のために打たれ、死ぬことなく進んでいくようになる時に、部落が全部屈伏するようになるのです。(二九・三九)


 密使は、いつも祖国のために生きる人なのです。本然の主権者が神様であられるので、「お父様、お父様だけがいらしてください」という生活をし、その姿勢をもたなければなりません。私たちは、今どのようになるか分からない立場なので、私が死ぬとしてもお父様と共に死に、追われるとしてもお父様と共に追われ、追い回されるとしてもお父様と共に追い回され、闘うとしてもお父様と共に闘うという心が密使の生活圏内からなくなってはならないのです。秘密があれば、心を集めてその主権者の前に報告しなければならない責任をもっている人が密使です。ですから、そのような心をもっていくにおいて、死の道を、十の峠を越えたというからには、十の峠以上の実を結ばなければなりません。結び得ない時は、神様の前に裏切り者となってしまうのです。


 共産党たちがスパイ教育を受けて、南韓に下ってきて南韓の実状を見ても、なぜ自首できないのでしょうか? その背後には、他人には分からない密使の生活の中で、今自分が住んでいる南韓の生活よりも、何百倍も熾烈な困難な峠を克服して越えたことがあるので、環境的な現実問題にならないのです。ですから、彼らは自首せずに、再び北に帰っていくのです。(二九・四九)


 天が作戦を立てて展開してくる苦衷(=困難)となる環境を克服して、自分の足場を発展させることができなければ、祖国の運命を決める大きな責任を完遂することができないのです。ですから、祖国のための大きな使命を見つめるたびごとに、密使の使命を帯びた人の態度と行動が深刻にならざるを得ないのです。


 例えば今、北韓がスパイを南韓に送っています。このスパイたちが、南に派遣されるためには、まずスパイ生活をするための訓練を受けなければならないのです。では、訓練を受ける時に、何をまず習得しなければならないのでしょうか? 南韓のすべての風習を習得しなければなりません。言葉も南韓の言葉を話さなければならないし、生活もやはり、南韓の生活方式に慣れなければならないのです。彼らは南韓の生活にどれほどよく適応するかによって、自分の生死問題が左右される、そのような運命が懸かっているのです。


 ですから、生活環境をすべての専門的な分野にまで吸収することのできる自分自身をどのようにつくるかということが、スパイ訓練の原理になっているのです。言葉や生活的な習慣において、今まで南韓で生きてきた人たちの前に少しでもぎこちなかったり、おかしく見える面があってはいけないというのです。平凡で、普遍的な環境を、そのまま自分の生活の中で表現化して生活しなければならないのです。


 北韓には、北韓の人たちの風習があり、北韓の人たちの生活習慣があり、北韓自体の社会的な制度があるので、そのようなものが我れ知らず、ある環境で現れるものです。それにもかかわらず、このすべてのものを除去してしまい、他の国の人、または、他の地方の人として行動するということが、どれほど難しいことでしょうか? 二重三重の神経を遣わなくてはならないのです。何かの行動を一度するのに、あるいは、言葉を一言言うのにも必ず二回、三回考えて、注意しなければならないのがスパイたちの立場であることを、私たちは推し量ることができます。


 もし、その行動や口ぶりが南と少し違うとか、生活習慣が少し違うという時は、それが、自分の正体がばれ得る一つのきっかけになるのです。このように、自分が生きてきた生活環境とは違う所で生きなければならないのがスパイの生活なのです。そのような生活をしようと思えば、内心においてどれほど苦痛が大きいでしょうか? また、そのような生活に浸るためには、どれほど多くの訓練をしなければならないでしょうか? このような生活を私たちもしているというのです。

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