平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

▼△▼「六マリア摂理」を「お父様の過ち」としたことが天罰となった!!拉致監禁による脱会者4300人が犠牲となった!!良心を捨てた幹部達、誰も責任を足らない拉致監禁!!

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統一教会内においては、ほぼ勝ち目がない拉致監禁者たちの悲しい現実

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4300人という拉致監禁による強制脱会者が出ているにもかかわらず、誰一人として、この問題を統一教会の教義面から反対派と対抗する努力を怠っていることです。


拉致監禁の暴風が吹き荒れ始まった時に、統一教会にも、この問題を教義面から考察して対抗しようとした人たちがいたのですが、最終的には日本統一教会トップの強圧人事で左遷されて、この試みはあえなく閉ざされてしまいました。統一教会内で起こった殉教者です。

左遷された人物とは誰のことかと言いますと、ブログ村に2015/06/21に参加した《 広神学研究所》 の広氏です。


これ以降更に、日本統一教会は「不分別な愛」「名誉」「権力」「お金」という暗闇の世界に向かって自ら突き進んで行ったと言えるのです。それを最もよく現しているのが、お父様と興南刑務所を共に過ごした朴正華氏が著した《「私は裏切り者―その時、サタンが私に入った!」出版社: 世界日報社 (1996/01)》です。

この本は、朴正華氏が先に著した《「六マリアの悲劇」恒友出版社1993/11/4》に対して、日本統一教会幹部がお金で困っていた朴氏を買収して統一教会側が書いた《「私は裏切り者―その時、サタンが私に入った!」》に契約の押印をさせて世界日報から出版したものです。


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日本統一教会の幹部達は信徒たちを私物化し裏切りっていた

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どちらの出版が正しいかは読者の判断ですが、日本統一教会が「六マリア摂理」を「反対派の捏造」としてきたことは完全に間違いであります。もっと厳しい言い方をすれば、日本統一教会の幹部達によって真実が隠され、ねじ曲げられてきたのですから、信徒たちに対する裏切り行為という以外に説明のしようがありません。


当時の日本統一教会の幹部は「六マリア摂理」は無かったもの、「反対派の捏造」とすることが、最も賢明と判断したのでしょうが、お父様が最も悲しみ痛まれた心情に砂をかけたことになりますから、今なお日本統一教会の幹部たちも信徒たちも、自分たちが犯してきた罪に対して向き合うことができないでいるのです。


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「女メシヤ宣言」と「六マリア摂理」はサタンと神様が対峙しているハルマゲドン(黙示録16章)

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今こそ「六マリア摂理」を教学的に考察して、原理的側面から誰もが納得し得る教学として整理しなければなりません。


現統一教会の執行部にとって「六マリア摂理」は、今なお「お父様の過ち」としておかないと存在出来ませんから、サタン側の執行部が最も急ぎたいのがお母様の「女メシヤ宣言」だと言えるのです。「女メシヤ宣言」と「六マリア摂理」はサタンと神様が対峙している最後の闘いの場「ハルマゲドン」と言えます。


六マリア摂理」が原理的に摂理的に整理されるようになれば、サタン側はロウが溶けるように正体が消えてしまいます。そしてその解明が成されるようになれば、本来統一教会が目指してきた真の愛による罪の悔い改めの道が開かれるようにって、真の統一運動のリバイバル運動が起こるようになると思います。


このように、統一教会にとって最も悩ましく、真正面から論じることができないのが「六マリア摂理」です。幹部達にとっては聞きたくもないのです。そして、幼い日本信徒たちが拉致監禁されて「六マリア摂理」をスキャンダル的問題として情報だけを突きつけられたら、ほぼ勝ち目はありません。


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統一教会の公職者たちは宗教者としての良心を捨てた

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希に、G氏のように12年5ヶ月間(1995年31歳~ 2008年44歳)拉致監禁に絶えて脱出してくるようなことがあると「信仰の勝利者」であると褒めあげて、後に続くであろう拉致監禁者の信仰の手本として、更に、世界の人権問題が私達の味方になったと言って誇るだけなのです。

(決してG氏のことを揶揄しているのではありません。本部の対応のことを言っているのです)


統一教会員として最も嘆かわしく愚かなことは、拉致監禁の核心となっているはずの、(統一教会の教祖である文鮮明師の生き様である)「六マリア摂理」の原理的解明を怠って、人権問題の分野からのみ解決を図ろうとしていることです。

しかし、この人権問題にもパフォーマンスだけで本気度の高い力が入るはずもありません。既にこの「六マリア摂理」で統一教会の公職者たちは宗教者としての良心を捨てたのですから。

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