平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

●○●《目指せ、怪傑黒頭巾》さんへ  お母様と信徒たちの救済も重要ですが、その前にすべきことがあります。子女様の一体化です。

私のコメントは黒文字
《怪傑黒頭巾》さんは青文字


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《怪傑黒頭巾》さんの論旨は気持ちが先に行きすぎて全体的に針が飛ぶところがあるようですね。《怪傑黒頭巾》さんの立っている立ち位置がどれ程み言葉に立脚しているのか整合性を取る必要を感じます。気持ち、心情、思いの猛りが先行してしまいますと、目の前のことに反応しすぎて、本質を見失ってしまう場合があります。そんな印象を覚えます。


小さい問題は後回しして、今起こっている問題に取り組む尖兵のようです。しかし、それでは本質が見えず、全体像も見えなくなってしまいやすいものと思います。


実際の《怪傑黒頭巾》さんがどのようなお方かは分かりませんから、今後もブログを関心持って読んでいきます。


神様が囹圄の立場であるということとエバが囹圄の立場であるということとは全く次元が違います。エバは堕落してサタンと関係を結び、囚われの身となりました。神様は愛する愛娘がサタンと不義の関係を結び、サタンと一体化したため、千秋万代の恨みを抱く身となられました。確かに同じ立場に身を置いているかの表現は神様の無限の愛を見せてくださっているような思われます。


→ 《怪傑黒頭巾》さんにとっては取るに足らないことかも知れませんが、上記の「エバは堕落してサタンと関係を結び」ということも、正確には「エバはサタンと関係を結んで堕落した」となりますが、この小さい論旨の差し替えが全体的に現状の把握にも起こっているようなブログの印象です。
気持ち、心情、思いの猛りが先行してしまい、分からない、見えていない観点は切り捨てられる印象です。
文章の表現は限度がありますからこの様な評価を覚悟してのことでしょうが貴殿の健闘祈ります。


しかし、そのエバや神様を囹圄から救い出せるのは神様ご自身でもエバでもなく、真のアダムであるメシヤしかいないのです。そしてお父様が霊界に行かれたので、その使命は後継者である亨進様が相続されました。



亨進様はメシヤとしての後継者ではないとの議論がありますが、亨進様が、メシヤ自身ではないのはその通りですが、メシヤの完成されていない使命の相続者であられ、その使命を成就するためにメシヤの代身としての権能を持たれています。



その意味ではメシヤと私たちをつなぐ仲保者であり、またアベルの中のアベルであると言えるでしょう。私達はお父様のご子女様の中でカインの立場を代表しておられる国進様と一体化して、ともに亨進様をお支えしなけれはなりません。


→亨進様が先頭に立たれた姿は頼もしいのですが、郭グループと言われるブログで取りあげられている過去の問題点に対しては次の平和の主人から見ても、決して置き去りにはできないと思います。


平和の主人(8-2)には、顕進様であろうと、亨進様であろうと、国進様であろうと、或いは、お母様であろうと次のように語られています。


『三十一カ国の王たちは、契約の箱(八大教本)が過ぎゆく時に、契約の箱(八大教本)の前に行って礼を尽くして何度も頭を下げて謝罪し、千回万回敬拝をしなければならないのです。


 そうし得る姿にならなければ通じません。自分の欲と野望があって屈服しない群れは根本から取り除かれてしまうのです。ですから一人が屈服しないとなれば、その一門、その国をなくしてしまうのです。』


また、「天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会」〈天地の重要事項〉には、
『第2に、天は既に重生と復活の聖和権の恩賜を家庭単位まで許諾されたのです。ここには父母と子女間の完全一体を必要条件としています。絶対父母、絶対子女の基準を立てて、絶対家庭を築きなさいということです。


と語られています。これは摂理的子女様であられる顕進様も、亨進様も、国進様もこのみ言葉を避けて通ることができません。特にお父様の代身者としての使命を持たれるとする亨進様がどのみ言葉とどのように向き合われるのか、天もお父様も、また、み言葉を重要視する信徒は固唾をのんで見守っていると思います。


さて、777さんはお父様の真の愛は自分の妻までもサタンに与えて、それでも許し続けることと表現されておられるようです。亨進様にもそのような愛を求めておられるのですか?そしてそのような愛を真の愛としてあらゆる人に求めていかれるのですか?



とんでもないない話です。怨讐を愛せよ!というみ言葉は真実です。しかし、自分の愛する子女や、家族が現にいま罪を犯し続けて、非行に走っていて、それをただ見ていて、地獄に引っ張られていく姿を見て、許し続けるというのはとんでもないことです。


→これも貴殿の論旨が飛躍して針がとんでいるという印象です。お父様の使命と責任、堕落人間の立場にある亨進様と私達の使命と責任の立ち位置が全く違いますから、この論旨は針が飛ぶと言うよりも、誤った論旨となります。
お父様は次のように応えられると思います。「君が先生と同じ基準の道を行くと覚悟して行くなら行きなさい。しかし、お父様が勝利されて立たれたのですから、その必要はないということです。」


命懸けで叱り、引き戻さなければならないでしょう?愛するものをサタンから引き離すの深刻ではないですか?それではまるで非行したのは悪い友達のせいで私の子どもは被害者です。と自分の子どもを甘やかすダメな親と同じではありませんか?



自分の子どもを命懸けで真剣に叱り、罪に引きずり込ませる悪い友達を厳しく分別して更生させようとするのは当然ではないですか?


→この様な対応は親としての相対的対応問題ですから、異論はありません。


それとも多くの幹部達が言うように亨進様は幼いですか?親を叱るなどと無分別な未熟な姿ですか?イエス様は30歳からの公生涯です。母マリアを叱り、パリサイ人、律法学者、宮の商人達に対して怒りをあらわにされました。そのようないお姿を今日幼い、未熟などと言う人はいません。


→亨進様が幼いと言うことは一切取りあげていません。ずる賢い幹部からすれば純粋で幼く見えた亨進様は使いやすかったのでしょう。ピュアで率直であることは天の愛するところと思います。


罪を糾弾することはその人が憎くてするのではありません。愛するからするのです。さらに申し上げたいことは山ほどあります。もし、反論がおありでしたらしてください。お父様の無念なる胸の張り裂けるほどの痛みを、亨進様の耐えに耐えてきた心の叫びをお伝えします。


→糾弾はカイン的手段と思います。子女様も私達もすべきことはサタンの罪状を天に訴えるという方法が必要です。
お父様のみ言葉にも、糾弾という言葉はありません。サタンの罪状を天に訴えるということが語られています。
糾弾はいくら相手の為とは言え糾弾された側は心を頑なになって応戦になります。事実、その様に見えます。糾弾した側も自分の罪の問題を棚上げにしてしまいがちです。


いや、そうなります。そうなったら、先ほどの、平和の主人(8-2)


 『三十一カ国の王たちは、契約の箱(八大教本)が過ぎゆく時に、契約の箱(八大教本)の前に行って礼を尽くして何度も頭を下げて謝罪し、千回万回敬拝をしなければならないのです。
 そうし得る姿にならなければ通じません。自分の欲と野望があって屈服しない群れは根本から取り除かれてしまうのです。ですから一人が屈服しないとなれば、その一門、その国をなくしてしまうのです。』 


に反してしまいます。亨進様は私達の先頭に立たれるという自覚を持っていらっしゃるのですから、最も優先して取りかかることは、子女様の一体となって、そしてお母様を解放されることではないでしょうか。


子女様が分裂した状態のまま、サタンのザンソ条件をもったまま、お母様の解放はないと見ます。


過去に起きたことではありません。いま現在おきていることです。


→今起きていることの最も優先して取り組むべきことは、統一教会の信徒たちを救済し、お母様を救済することでもありますが、その前にすべきことがあります。


それは、子女様の一体化です。この問題を顕進様も、亨進様も、国進様も放置する理由があってはならないはずです。子女様にとって子女様を傷つけた奸臣達が問題ではなく、分裂を放置することはサタンの罠に堕ちたことになりますから、お母様の解放は不可能と言えます。


子女様を傷つけた奸臣達を私達は天に訴えなければなりません。糾弾ではありません。


マタイによる福音書 第五章 


22 しかし、わたしはあなたがたに言う。兄弟に対して怒る者は、だれでも裁判を受けねばならない。兄弟にむかって愚か者と言う者は、議会に引きわたされるであろう。また、ばか者と言う者は、地獄の火に投げ込まれるであろう。


23 だから、祭壇に供え物をささげようとする場合、兄弟が自分に対して何かうらみをいだいていることを、そこで思い出したなら、 


24 その供え物を祭壇の前に残しておき、まず行ってその兄弟と和解し、それから帰ってきて、供え物をささげることにしなさい。


25 あなたを訴える者と一緒に道を行く時には、その途中で早く仲直りをしなさい。そうしないと、その訴える者はあなたを裁判官にわたし、裁判官は下役にわたし、そして、あなたは獄に入れられるであろう。


26 よくあなたに言っておく。最後の一コドラントを支払ってしまうまでは、決してそこから出てくることはできない。

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