平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

いまの統一教会問題の根源 ☞☞ 1967年の御言葉『一度倒れれば再び立ち上がって行くことはできない』

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一度倒れれば再び立ち上がって行くことはできない
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下記の御言葉は1967年の御言葉です。

文鮮明先生のみ言集 訓教経(上) (2000年書籍)


「22.本郷を探して」一九六七年五月二十八日  韓国前本部教会 『文鮮明先生み言選集第十八巻』】


『 単純に父母に会い、父母の愛を受けて再び生まれるのではありません。堕落した世界から捜し出された人々なので、(※1)父母が堕落したのと同じ峠を越えなければならないのです。そのようにしなければ、本郷の地に永遠に入っていくことはできません。ここで一度ひっくり返し、もう一度お母さんの胎中に入って出てくる重生の過程が起こらなければならないのです。そうして天真爛漫な子供のような立場から育たなければなりません。再び生まれるには、お母さんの胎中に入っていく立場に立つ前に、父の骨髄に入っていく立場に立たなければなりません。


 いくら自分が本郷を探していく人であっても、完成級(長成期完成級)に至れば、相対と会わなければなりません。しかし、完成級(長成期完成級)まで行くにはまだ距離があるのです。堕落したがゆえに、蘇生級(蘇生期蘇生級)以下から出発するのであり、完成級(長成期完成級)から出発したのではありません。したがって、どんなによく信じ、信仰生活を良くする人であっても、蘇生級(蘇生期蘇生級)から上に上がっていかなければならないのです。


 では、どのようにして完成級(長成期完成級)までつながるかということが問題です。世間一般の人生は、倒れてもまた立ち上がって行くことができますが、(※2)私たちが行く道は、一度倒れれば再び立ち上がって行くことはできません。


いくらよく信じて、いくらうまくやると大口をたたく人でも、完成(長成期完成級)の峠を越えなければなりません。そうでなくては、本郷の地で落ち着いて暮らすことはできないのです。』


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コメント・・・


 (※1)にある「父母が堕落したのと同じ峠を越えなければならないのです。」とある『父母』とは文先生とお母様になります。


 『父母が堕落した』とは、文先生が事実蕩減の道(非法の愛による蕩減)としてお母様を「アブラハムによるイエスの典型路程」として天使長的人物に差し出されたことから起こった堕落になります。(お父様がお母様を「堕落させた」

 このような問題を私たちも同期する為、いま、「統一教会問題」として、メディア(怨讐)から終わりがないようにして叩かれていると言えるのです。ですから、怨讐からの迫害を通して、私たちがどのように打たれるのかが問われているのです。いまのように、弁解がましく打たれ、石を投げ合って醜く打たれるのか。間違いなく、出る膿(恨)がなくなるまで打たれるだろう。統一教会が赤い血が出るまで打たれるだろうと思います。それが第三次40年サタン分立路程における天の作戦だと思います。


 (※1)の「父母の堕落」とは何であったのか。これは、サタンを自然屈服させる為の犠牲であったのです。お母様をサタンに差し出された文先生は、非法の愛をもってサタンを愛したのです。それが文先生のサタンを主人として仕えて侍られた僕の僕という路程であったのです。(文先生にとってどれほど口惜しい路程であったか、私たちには想像もできないことです。)


 イエス様が言われた「右の頬を打たれたら、左の頬を出しなさい」というのは個人の次元です。しかし、文先生は夫婦の次元においても、親子の次元においても、愛する者を怨讐サタンに差し出して犠牲にされたのです。(まさに、思い図るだけで深いため息です。)


 何故、文先生はそのような地獄の道を行かれたのでしょうか。

 文先生のサタンを自然屈服させる路程は神様も同じ立場にあられたからです。真の愛がそういう性質の為でした。「アブラハムによるイエスの典型路程」というサタンを自然屈服させる路程は神様が公認された人類救済の究極の蕩減であったのです。

 ですから、私たちは、基本的に、お母様の堕落問題、さらに、お母様の堕落により起こった文先生の堕落問題、子女様問題、さらに、現在の韓母の独生女宣言問題や、顕進様と亨進様・国進様の兄弟ゲンカに対して、批判したり、讒訴できる立場ではありません。(そういう意味では、まだまだ、この記事の書き方がお父様が公認してくださるまでには至っていません。)


 文先生が神様の解放と人類を救済する為に、まずなさなければならなかったことがサタンを自然屈服させることでした。ある意味、事実蕩減ということからして必然的な路程であったということです。

(しかし、文先生は南米のジャルジン修練会で、「先生の苦難の道は『初めから決まっていた、必然的であったと思っている者がいれば、その者は先生と関係ありません』」と語られことがありました。この真意は、常に、弟子たちや韓母が果たせなかった責任分担があったことだから、必然的であったとは言えないということです。)


 上記の御言葉(※2)に・・・

『私たちが行く道は、一度倒れれば再び立ち上がって行くことはできません。

 と、既に1967年に語られていたように、「再び立ち上がって行くことはできない」ことが繰り返し成就し続けたのです。そして、神様王権即位式以降、聖和と共に摂理は延長時代に入っているのです。

 つまり、第一母が倒れ、第二母候補が倒れてしまった為、必然的に、第三母である韓母は原理教育を受けられず、一週間だ時期もさせられず、開拓伝道にも行かされず、堕落することが避けることができない最悪の条件下でお母様はサタンに差し出されたのです。このことが原因となって、独生女宣言があり、子女様の分裂があり、いま、統一教会問題も起こっているのです。


 不信を受け続けた状況下にあっても、文先生はお一人で世界基準まで摂理を牽引してこられ、最期は聖和によって総蕩減を完了させました。しかし、残された中心家庭と統一教会にサタンの讒訴圏が残ったままになっていますから、いまの統一教会問題が起こっているのです。


 聖和の勝利と共に始まった延長摂理が何であったかと言えば、「韓母」と「カインの顕進様」と「アベルの国進様・セツの亨進様」の分裂時代です。この期間は後に統一が確定する第三次40年サタン分立路程であり、消化期間になっていると思われます。


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