平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

●亨進様が語り始めた「六マリア」問題は、今日の統一教会と中心家庭の大混乱の要因でした。

●亨進様が語り始めた「六マリア」問題は、今日の統一教会と中心家庭の大混乱の要因でした。


これまで「六マリア」問題を統一教会で正しく語った人はお父様以外には誰もおりませんでしたが、亨進様の説教で多く語られるようになりました。
「六マリア」問題は蕩減復帰原理の中心にあったお父様の棘の道であったにも関わらず、これをなかったこと、或いは更に問題は、これはお父様の個人的な問題であったとしたことでした。


そして、これを隠したことが、今日の統一教会の様々な問題の解決の先送りにつながってしましました。その膿が今一気に吹き出してきていると言えます。
①統一教会の大混乱は何故起こっているのか??


お父様は数え切れないほどのみ言を生涯語り続けて、私たちは繰り返し繰り返し学んできました。その巻数は「御言選集700巻」に達しています。しかし、それほどまでに語られて学んできたにも関わらず、何故、今日陥っているような統一教会の混乱を避けることができなかったのでしょうか。

「原理の力=(み言葉の力)」と「愛の力」を比べるとどちらが強いかという問題は、堕落論を知る信徒なら「愛の力」の方が強いというように、正しく応えることができると思います。


統一教会を混乱に陥れている根本的な問題は、この「原理の力=(み言葉の力)」よりも大きいのが「愛の力」であるが為に起こっています。



「原理=み言」は失ったとは言え、元々原理として存在していてものですが、神様の中に可能性として内在している「真の愛」はアダムとエバの創造と共に「真の愛」が存在していたものではありませんでした。
本来なら、「真の愛」は創られたアダムとエバの成長と共に成長し、「真の愛」が四大心情圏となって完成するはずでした。



②整理します。


「み言」は元々存在していたものでありますが、「真の愛」はアダムとエバの成長と共に成長し完成するものであったのです。


ところが未完成であったエバが「戒め」を破ってサタンの堕落の愛の種が植え付けられたのも、また、堕落したエバの誘惑に負けてアダムが「戒め」を破ってエバから堕落の愛の種を植え付けられてしまったのも、「原理の力=(み言の力)」よりも「愛の力」の方が大きいからでした。


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③統一教会の蕩減の中心課題は何であったのか??


統一教会の最大の問題点は、キリスト教の失敗によって失った基準を蕩減復帰する為に必要な棘の道を避けて通ることができなくなってしまったことにあります。

キリスト教の失敗の再蕩減=統一教会=ボロぞうきんのようになってしまった。


その問題こそ、「原理の力=(み言葉の力)」よりも「愛の力」の方が大きいという問題が潜んでいることにあります。


即ち、蕩減復帰原理は、復帰の動機(=神の愛)によって、堕落した道(経路)と反対の道(経路)を歩むことにあるでありますから、統一教会の蕩減の道(経路)は、メシヤである新郎の前に堕落したエバが復帰されるべき新婦として「真の愛」の関係を持つことになります。


亨進様の説教(http://h2fanclub.blogspot.jp/2015/05/blog-post_5.html)にもありますように、今後はこの愛の問題、「六マリア」が最も復帰の本質的問題を隠すことなく、タブー視することなく、真正面から堂々と原理的に語られるようになると思います。

生まれ変わったかのような亨進様


この問題を統一教会の初代教会時代から、お父様を心底から理解して来たとはとても言い難く、反対にこの現象をお父様ご自身の問題点として扱われてきたと亨進様は語られています。


お父様はこの様な新郎と新婦の関係をみ言では沢山語られてきましたが、堕落している私たちがこの具体的な現象を知った時、堕落した愛の感性で見つめて判断してしまったことがほとんどだったのです。


堕落人間が堕落感性の世界で考える「正しい愛」のあり方と、本然のメシヤが持ってこられる「真の愛」のあり方には、天地の差があるだけでなく、質が全く違うことを理解しなければなりません。



④メシヤと復帰されるべき花嫁の関係

メシヤは新郎の立場にたつ。


メシヤである新郎と復帰されるべき花嫁の「親しい関係」になっても、その花嫁の復帰されるべき新郎は、メシヤと復帰されるべき花嫁との「親しい関係」に嫉妬することなく、その復帰された花嫁が次に復帰されるべき新郎と結ばれることによって本然の立場に戻っていくということになります。

メシヤの前に新婦となる



この様な関係を統一教会は信仰によって沈黙を守り続けて、秘密として今日まで持ち越してきましたが、世間一般の価値観やモラル観では決して受け入れることはできません。



そして、信仰を失った信徒達からこの様な関係が乱れた混婬として外に漏れるようになってしまい、世間一般からは大きな誤解の道を歩まざるを得なくなってしまいました。



ザカリヤ家庭とヨセフ家庭はこの理由により、死線を超えることができずに神側に立ち続けることができなくなってしまいました。



⑤整理します。


愛によって堕落したのだから、愛によって蕩減復帰の道を歩まなければならなかったのです。
一般世間の価値観や宗教的モラルからみると、到底受け入れられる復帰の道ではありませんでした。


統一教会が純血をうたいながら、復帰の奥義においては純潔と真逆な愛の蕩減の道を歩むというなことは、蕩減復帰原理の奥義を知る者でなければ受け入れることはできません。統一信徒達の中にさえ、この様な捻れた問題を消化できなくなる者が現れるようになるのも頷けるものです。


ここでもう一度先回紹介したみ言を確認します。
http://heiwanosyujin.muragon.com/entry/164.html
このみ言葉によると、お父様の混婬は蕩減復帰原理によるもので堕落ではなく、お母様の混婬は再堕落になると言うことです。
これもまた、亨進様の説教にも現れるようになりました。



⑥最後に・・・


私にとって、この様な愛の問題は、噂とか、本とかでは知ってきましたが、正直、受け入れることができませんでした。


今も、全く葛藤がないのかと言えば、どうしても古くから持っている価値観が邪魔をしていますので、嘘になります。


しかし、蕩減復帰原理からみるとよく理解できるようになったのは幸いです。


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