平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

●亨進様が語られ始まった「六マリア」は、キリスト教の失敗を再蕩減するという、「真の愛(真の血統)の種」を蒔く蕩減原則から来る関門であった

●亨進様が語られ始まった「六マリア」は、キリスト教の失敗を再蕩減するという、「真の愛(真の血統)の種」を蒔く蕩減原則から来る関門であった



①復帰摂理の目的は、


復帰摂理の目的は「メシヤを迎える基台」を造成すること。その為には、「信仰基台」と「実体基台」をたてることです。


メシヤを正しく迎えることができなかったキリスト教を再蕩減する立場に立っている統一教会でしたから、統一教会の目的も、「メシヤを迎える基台」を造成することにありました。

キリスト教の再蕩減として設立



②「メシヤを迎える基台」を再び造成


「メシヤを迎える基台」を再び造成する立場に立った統一教会は、「真の愛(真の血統)」を迎える蕩減の道を再び歩むことになったのが、「六マリア」だったのです。


死の峠を幾たびも、誰にも理解できない道を、堂々と越えられる。

③「メシヤ宣布」


「メシヤを迎える基台」の造成することができて、1992年に「メシヤ宣布」がありました。


④ところが、ここで問題が発生します。


それは、「復帰される立場にある私たちの目的と路程」と「メシヤであられるお父様の目的と路程」に大きな乖離が発生しことです。


即ち、私たちはメシヤが命ですから、サタンを分立してお父様の指示に従うことに命をかけますが、お父様が命をかけられるのは、私たちを救う為に必要な「サタンの自然屈伏」になります。
⑩にも出てきますが、私たちは神様に供え物をして「サタン分立」しますが、お父様はサタンに供え物をして「サタンの自然屈伏」の道を歩まれました。



⑤お父様はサタンの開放の為に命をかけられます。


重要なので繰り返します。
堕落人間は「信仰基台」と「実体基台」によってサタンを分立する必要がありますが、メシヤであられるお父様の最大の目的は「サタンの自然屈伏」にあります。



⑥サタンは地上で救済される(本然のアダムから愛を受けて救済)


ルーシェルは地上で堕落して「サタン」となったのだから、サタンは地上で救済されて「ルーシェル」に返らなければならない。http://heiwanosyujin.muragon.com/entry/166.html (③ (後天時代の生活信仰 P128・P129))


⑦堕落による霊的死


ルーシェルは(堕落前の)霊性(命の木)が開いていたエバと堕落して、更にアダムも堕落してしまったが為に、神様は二人の霊性(命の木)を塞いだ。

命の木につながる道を回る炎で塞がれた。


そしてサタンとなったルーシェルは神様の愛が届かない地獄の底に落ちてしまった。



⑧サタンの復帰はどん底から


だからお父様は、霊性(命の木)の閉じたどん底の立場にある一人の人間をサタンの代理人(相対者)(7-1)として選抜して「サタンの自然屈伏」(7-2)路程を出発された。



↓↓ み言の引用ーーーーーー


〔平和の主人(7-1)〕『「私たちの怨おん讐しゅうレバレンド・ムーン!」と言うのです。ホモの家庭を破綻させる頭かしらが現れたから、自分たちの家庭を破綻させるから、レバレンド・ムーンの生命までも残しておくことはできないと言うのです。』


〔平和の主人(7-2)〕『【ジョージ・ブッシュを中心としてコフィー・アナンを国連事務総長にして、ジョージ・ブッシュとカイン・アベルとして一つにして、天下の王権をつくろうとしたのです。』(本からは削除されています)


↑↑ み言の引用ーーーーーー



⑨お父様をアベルとして、金○○氏をカインとして立てられて天下を取ろうとした。

カインがアベルを殺害したことを逆転させる蕩減の道がお父様の道


お父様にとって金○○氏は、堕落人間の代表の立場でもありますが、それ以上に、彼をカインとして迎え入れることは、サタンの代理人(相対者)を向かい入れることでもあり、最終的には金○○氏をとおして「サタンの自然屈伏路程」を歩まれたことになります。



⑩愛する者、全てをサタンに供え物とする


お父様の「サタン自然屈伏路程」は、お父様の愛する者、全てをサタンに供え物とする路程であることを意味します。


堕落人間の私たちは所有する全てを(サタン分立して)神様に供え物とすることですが、お父様の供え物は私たちとは全く反対に愛する者をサタンに供え物することなります。


だから、〔平和の主人(10-4)〕のようなことが起こってくるのです。


↓↓ み言の引用ーーーーーー


〔平和の主人(10-4)〕『モンゴルのラマ教(チベット仏教)が、どんな主義か知っていますか。 外部からお客が来ると、妻と関係して子を生むことを望む思想があります。ラマ教では、夫が自分の妻をお客に譲り渡すのです。譲り渡して生んだ息子を自分の国の王に立てるという思想があるので、堕落していない伝統の血筋を中心として上がっていくのです。』


↑↑ み言の引用ーーーーーー



同じようなみ言も紹介します。



↓↓ み言の引用ーーーーーー


(第3回「七・八節」の御言1999年8月17日アラスカ・コディアク)
『自分がとても愛している人を怨讐の前に譲って、福を祈り、「わたしの代わりに、わたし以上に愛しなさい」という心を持つことができてこそ、神様の心情を理解することができるのです。何のことか、分かりますか?。


先生も、聖進様の母親をそのような位置に立てようとしました。「どのような怨讐にでも会いなさい」と言うことができ、紹介してあげることができたのです。だからといって、そのように行動するのではありません。そのような心情圏を通過するということです。


 自分の最愛の人が男性たちと仲良くしていても目をつむり、「神様がエバの喜びの日を迎えられることができなかったことを、自分の家庭において神様が喜びの日を持たれることによって、解いて越えていかなければならない」と考えた人なのです。何のことか、分かりますか?(「はい」)


 わたしは、聖進様の母親が金百文の祈祷院に行ったとき、金百文を呼んできて紹介してあげた人なのです。「愛しなさい」というのではありません。そのようなときに、どのような心がわたしに生じたでしょうか?。しかし、そこで躊躇すれば、神様の心情に引っかかるのです。


↑↑ み言の引用ーーーーーー



⑪「六マリア」はキリスト教の失敗を復帰する再蕩減として起こったことであり、⑩の〔平和の主人(10-4)〕は「サタン自然屈伏路程」として起こったことです。


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