平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

昨日の記事(⑦天聖経)の変更  「抜く」の意味の本質は『罪の根を抜く』であっ

たお詫び・・・
 前回の記事に変更が発生しましたので、ここに訂正記事をアップしました。今後とも、よろしくお願いします。


訂正ヶ所は下記の「◆ 以下が訂正になった内容です。」からです。



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下記は、文先生の衝撃的な告白とも言える御言葉です。
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 これまで私たちは、文先生とお母様を真の父母の実体として盲目的に信じてきた為、御言葉の理解に錯誤が自動的に起こってきたのです。理解できたようで理解できていないという問題が常に発生していたのです。


 しかし、3D画像のように、複数の御言葉をもって検証することにより、御言葉同士の焦点が合致して、ぼやけていた御言葉がクリアになり、文先生とお母様が全く別の次元の姿が浮かび上がってくるようになったのです。


 まずは、お読み頂き、深刻な御言葉であることをご確認ください。

天聖経


 罪と蕩減復帰 第二章 六


堕落人間は出発が間違ったというのです。ですから再び戻らなければなりません。戻るには戻りますが、どこに行くのですか。原点に帰らなければなりません。

 《(先生とお母様が)偽りの父母で始めた 》ので、戻って真の父母で再び始めなければなりません。ですからどれほど深刻でしょうか。私(=先生)が神様の愛と神様の命と神様の血統を再び受け継がなければなりません。それで皆さんが祝福を受けるとき、血統転換式をしたのです。それを私(=先生)の命よりもっと信じなければなりません。統一教会の一つの儀式だと、ただ一般の宗教儀式のように考えてはいけないのです。これは死んだ人を回生させる注射の薬と同じです。解毒注射です。解毒注射。 

          *

 聖書の歴史を見れば、ヤコブはお母さんと一つになりお父さんをだまして祝福を受けたし、タマルの役事を中心としてもこのように背倫の行為をしたのに、ユダの支派を通じてイエス様が来るということばは何を意味しますか。


血統転換という問題があるからです。血統を清めなければなりません。


ここにキリスト教だけが血統を重要視して、血統浄化を主要思想としてきました。他の宗教にはこのような歴史がないので、ここについていくべきだという結論が出てくるのです。


ですから(※1)血統転換ということを中心として見るとき、文総裁は(存命中に)キリスト教を抜くことができなかったのです。 

それで (※2)選民思想を受け継いだキリスト教を抜くことができなかったのです。すべての宗教が同一だと言ったならどうして私が迫害を受けるでしょうか。何のことか分かりますか。骨子の思想がこのようになっているからです。はっきり知らなければなりません。


◆ 以下が訂正になった内容です。


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2003年・・・天聖経に残された
  文総裁はキリスト教を抜くことができなかった
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 文先生はキリスト教の失敗を蕩減する為に40年サタン分立路程路程を勝利されたにもかかわらず、(※1)血統転換ということを中心として見るとき、文総裁はキリスト教を抜くことができなかったのです。 それで (※2)選民思想を受け継いだキリスト教を抜くことができなかった」と衝撃的な御言葉を天聖経に残された。



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  ①『罪の根を抜く』ことができなかった
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  「(※1)「血統転換ということを中心として見るとき、文総裁はキリスト教を抜くことができなかった」から、この「抜く」の意味を探る。
   
 この「抜く」とは、「血統転換ということを中心として見るとき・・・」とあることがキーワードになります。


 イエス様がイスラエル選民から「サタンの根を抜く」ことができなかったように、お父様も、キリスト教、つまり、統一教会と《 洗礼ヨハネ的人物であるお母様 》の不信により、第三イスラエルとお母様から『罪の根を抜く』ことができなかったということを、「血統転換ということを中心として見るとき、文総裁はキリスト教を抜くことができなかった」と語られたのです。



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  ➁『キリスト教を抜く』ことができなかった
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  「(※2)「選民思想を受け継いだキリスト教を抜くことができなかった」から、この「抜く」の意味を探る。


 この「抜く」とは、「選民思想を受け継いだキリスト教・・・」がキーワードになります。


 つまり、文先生は選民思想の成就ができなかったことを嘆かれているのです。先生が40年サタン分立路程路程をもって《 キリスト教の失敗   》を再び取り戻したことには間違いないのですが、ただ、取り戻して振出しに戻ったまま、成約時代に入ることができず、文先生がキリスト教レベルと同等の線上に並んだままになっていることを嘆かれています。


 つまり、上記の①と➁から分かることは、統一教会が文先生を中心としてキリスト教の蕩減を完全に復帰したにもかかわらず、《 洗礼ヨハネ的人物であったお母様 》が再びメシヤとして顕現された文先生と一体となることができなかった為、《 1992年の「真の父母宣布の失敗」 》と 《 2001年の「神様王権即位式」の失敗 》になったことを嘆かれているのです。
 


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 イエス様と文先生は次元こそ違う摂理的同時性にあった
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 イエス様が二千年前にユダヤ教と先生ヨハネの不信によってメシヤとして立つことができなくなり、イエス様は洗礼ヨハネの立場で十字架で殺害されたように、文先生も統一教会とお母様がメシヤを迎える基台ができなければ、先生自ら死ななければならなくなることを意味していたのです。そして、その期限が《 「死の前倒し」をされた2001年 》から《 12年の延長 》した2013年までだったのです。


 そして、イエス様は殺害されて3日後に復活の勝利をされたことにより、旧約時代を超えて新約時代が開かれたように、文先生も、存命中は『キリスト教を抜くことができず』、しかし、文先生の聖和の勝利によってキリスト教を超え、サタンが侵害できない基準の《 総蕩減を完了した》成約時代が開かれたのです。この聖和によって、《 真のアダムの再創造    》の基準が初めて完成したのです。


 この聖和こそが、お母様によるお父様に対する《 主管性転倒式 》という摂理の奥義であったのです。

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