平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

何故??  お母様、81歳がピーク・・以降から下がる

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本日は(※3)の考察の予定だったが、
  もう少し、(※2)の考察を深掘りする
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御言葉〔A〕


  原理講論 後編 第一章 第三節 (一) (2) ① 

「 つぎに、雌牛は完成を象徴するものである。士師記一四章18節を見れば、(※1)サムソンがなぞの問題を出したとき、ペリシテびとたちは、サムソンの妻を誘ってサムソンをだまさせ、その内容を探りだすことによって、その問題を解いたことがあるが、


 そのとき、サムソンは、「わたしの若い雌牛で耕さなかったなら、わたしのなぞは解けなかった」と言った。このように、サムソンは、妻を雌牛に比喩したのである。


(※2)イエスは、全人類の新郎として来られたので、彼が再臨なさるまでの信徒たちは、来られる新郎の前に新婦とならなければならない。しかし、新婦なる信徒たちが再臨される新郎イエスと小羊の宴を終えたのちには、新婦ではなく妻となり、夫であるイエスと共に、天国生活をするようになるのである。


 (※3)それゆえに、イエス再臨以後の完成成約時代は、妻の時代、すなわち、雌牛の時代であることを知らなければならない。ゆえに、雌牛は、とりもなおさず、完成を象徴するのである。多くの霊通者たちが、現代は牛の時代であると、啓示を受ける理由は、正にここにあるのである。


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昨日の記事の概要
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 上記の
(※2)に、「イエスは、全人類の新郎として来られたので、彼が再臨なさるまでの信徒たちは、来られる新郎の前に新婦とならなければならない。しかし、新婦なる信徒たちが再臨される新郎イエスと小羊の宴を終えたのちには、新婦ではなく妻となり、夫であるイエスと共に、天国生活をするようになるのである。」と記されている。


 



 ここから明らかになるのは、新婦であるお母様は信徒代表の立場であること。そして、お母様は堕落人間を代表した一人(レア)であること。


 その新婦であるお母様が所有権転換と血統転換の信仰基台を捧げたうえで、小羊の宴を迎えることができれば、その後、お母様は信徒を代表して新婦ではなく、新郎の妻となると明記されている。



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お母様が所有権転換しなければならない理由

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 それでは、どうして、小羊の宴を迎える前に、お母様が所有権転換をしなければならない理由は何処にあるのだろうか。


 その答えは、所有権転換を信仰条件として心情転換と血統転換の条件が立つ為である。


 しかし、この所有権転換は、《 1992年の「真の父母宣布」の時 》にも、さらに、《 2001年の神様王権即位式の時()()》にも、お母様が所有権転換できなかった為、この二つの摂理にサタンが侵入したと語られている御言葉が残っているのはこの為である。

 お母様が先生から与えられた《 経済権 》を所有権転換できなかったということは、血統転換も成し得なかったことになるから、ましてや、これを成さずして、その前にお父様を聖和に至らせたのであるから、お母様を中心としてお一人で迎えた「基元節」は、天と信徒たちを欺く恥ずべき行為であったのである。




   

 文先生が遺された御言葉の骨を拾い、御言葉の言葉一つ一つに対して定義付けをし、言葉に解釈の錯誤が起こらないように、真剣に理解しようとする信徒が必ず起こるであろう。

そうすれば、信徒代表のお母様の問題は、即、私自身の問題となっていることを知るようになるはず。結局は、この私が文先生を聖和に至らせてしまったという現実に突き当たるのである。


 これまで、この事実を私たちに伝える家庭連合の幹部は一人も現れなかった。理由は、幹部たちのほとんどがお母様から与えられた名誉と権力と金銭によって主管された為だ。

 その証拠に、お母様と幹部たちは所有権転換することなく、彼らは、巨額の献金を集めることにだけに奔走し、お母様の目の前には常に巨額の札束が積み上げられた。彼らは、「所有権転換」を日本の信徒たちだけに向かって声高に叫び、これをしない者は皆、地獄に落ちると叫んでいた。



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文先生から見た聖和の意義
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 聖和は堕落した人間には理解し難い大事件であった。


 イエス様は逃げようと思えばいくらでも逃げることができたであろうに、自ら捕まり、自ら十字架上に手足を置かれ、最も恥ずかしい姿で十字架上で精魂尽き果てて亡くなられた。

 文先生の聖和は、これをはるかに超える最後の責任がかかっていた。



 その責任とは、お母様の全ての過ちの責任を負われて総蕩減を完了させる為の聖和であった。このことは遺言とされた《「平和の主人 血統の主人」》と先生の《 最後の祈り 》から理解することができる。



   


 つまり、アダムの堕落により死はサタンが支配するものとなった。しかし、先生自ら、死の祭壇をつくられて、18日間という、自らの意思で、死の恐怖を越えて聖和された。先生の聖和は完全に死の恐怖を越えたという、死に勝利された意義は計り知れない。


 何故なら、文先生の聖和の勝利により、アダムが死を覚悟して堕落した蕩減を死をもって《 事実蕩減 》し、お母様から逆主管を受けて聖和されたことにより、《 真のアダムとして完全に再創造させた 》 からだ。人類が初めて、死が恐怖ではなく祝福であることを文先生はサタンから取り戻したのである。


 その為、この聖和によって、初めて先生が真のアダムとして自らを完成させたことになった。

 


 これ以降、《 エバ(お母様)の再創造 》は時間の問題となったことを意味している。何故なら、真のアダムが完全に立つまでに六千年の蕩減歴史を要したが、先生が真のアダムとして立ったことにより、お母様を真のエバとして復帰することは先生ほど困難ではないと先生は語られているからだ。


 これにより、小羊の宴という「基元節」を文先生の立場から見た場合、文先生が真のアダムとして霊的に完成したことにより、初めて蕩減のないグランドゼロの地点から、《 エバの再創造 》の歴史が出発したことを意味する。



 今年の2020年が、先生の聖和から七年目を迎えている。
 コロナウイルス問題が起きたこの年が丁度、七年の大患難時代の最後の年になっている。


 お母様の持ち時間は、2024年まで?? 


 つまり、第三次からなる21年路程が終わる時までになると思われる。
何故なら、2024年はお母様が80歳を超える時になるが、先生の御言葉からすると、《 お母様の運勢は2024年を越えられない 》とあるからだ。
 これは、文先生ご自身が2000年という80歳以降、お母様の不信によって、それまで築いてきた統一運動の世界的基盤が急速に失われ、最期はお一人で聖和されたことに、お母様も同期していると思われる。



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(御言葉つづき)


(※3)それゆえに、イエス再臨以後の完成成約時代は、妻の時代、すなわち、雌牛の時代であることを知らなければならない。

ゆえに、雌牛は、とりもなおさず、完成を象徴するのである。多くの霊通者たちが、現代は牛の時代であると、啓示を受ける理由は、正にここにあるのである。」




 次回は、(※3)を扱いながら、上記の概要の根拠となっている御言葉を取り上げ乍ら、さらに考察を深掘りする。


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