〘タマル〙のような英雄的女性が立たなかった日本エバ国
《 男性訪韓修練会 1995.1.11-19 「家庭における女性の使命」 》
ユダの家のタマルの立場
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そうなると、タマルは大変です。旦那さんがいなくなり後孫を残せなければ、祝福の血統を受け継ぐことができないのです。しかし三番目の弟は旦那さんにするにはあまりにも幼いのです。それに女としても産期があるので、いつまでも子供を生めるわけではないのです。そのように考えてみた時、イスラエルの血統圏にヨセフを殺そうとした十人の兄弟がいたということを知って、タマルは三番目の夫を拒否して、舅をだまして関係を持つことにしたのです。
それで、タマルは公娼街の女として、遊女の身なりをして、舅が働きにいく途中の道に待っていて、関係を持って子供を孕むのです。あなたたちの奥さんの中で、そのようなことのできる勇気のある女がいるでしょうか? タマルは神様の祝福を相続するという英雄的な行動をしたのです。
祝福家庭の女性は、それ以上の貴いものの相続を得るようになっていることを考えてみた場合に、そのような勇気を持った女性にならなければならないことは言うに及びません。
あなたたちの奥さんは、そういう女性になっていますか、いないですか?
周りに聞くことではありません。小さい目をもっと小さくつぶって、見えないようにして隠れてしまう人、どうですか?
子供ばかりを守って、み旨も何もやらないで妻にやらせる悪辣な者たちが、ここにはたくさん集まっているのです。恥ずかしいことです。
祝福家庭は手を挙げてください。みんなそうですね。恐ろしいことです。イエス様みたいになって、こういう遠因的な女性を妻に持ったとすれば、その一家は氏族メシヤとして、一六〇軒も一瞬で復帰するような素晴らしい尊敬される家庭となり、イエス様以上の誇りある堂々たる家庭となるべきなのに、何ですか君たちは! 恥ずかしいことです。分かりましたか? (はい)。タマルのような英雄的な女性として、妻を育てていけるような男が必要だということです。この場を中心として、覚えておかなければなりません。