平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

◆◆◆導入⑪《 検証4 》「1952 : 原理原本 → 原理解説 → 原理講論」 + 「56年」 = 「2008 : 原理本体論 → ??? → 八大教本」

はじめに・・・、
「双合55年プログラム」を詳細に知りたい方は、以下をご覧ください。
《 ◆◆◆「平和の主人」導入解読 》
《 ◆◆◆「平和の主人」導入解読②  》



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本題に入ります。
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仮説:「双合55年プログラム」
『前半の1952年の摂理的背景と様相が要因となって、56年後の後半に相当する2008年に同じように展開している』ことを検証します。


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〔 1952年 〕5月10日に「原理原本」が完成・・・これが表示路程となって


     +〔 56年後 〕


  ★ 〔 2008年 〕9月1日に「原理本体論」が発表された。
    ・第一回目 (2008.11.10-16)
    ・第二回目 (2011.5.19-25)
    ・第三回目 (2012.7.1-30) 一般幹部対象、"3600名原理本体論30日特別教育" 」
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)「1952年」は「2008年」の摂理的な要因となって同時性的に展開  
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 「1952年」と「2008年」の比較

①洗礼ヨハネの失敗


 ☆1952年の「原理原本」は金百文牧師の失敗が要因になっている


 ★2008年の「原理本体論」はお母様の失敗が要因になっている

 

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(※1)②摂理担当の交代


☆1952年の「原理原本」はキリスト教に代わって統一協会の経典として登場するようになりました。 

 その後、「原理解説」が発表され、更に、「原理講論」が発行されました。


★2008年の「原理本体論は」は統一協会に代わって《 第四次アダム圏 》の経典として登場するようになりました。

 その後、上記のプロセスをたどりながら、「???」が公認され、更に、「八大教本」がお父様が聖和された後の契約の箱として登場するようになりました。



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③中心人物の交代


 ☆1952年の「原理原本」が登場した摂理的背景は、洗礼ヨハネの使命が失敗した金百文牧師から《 お父様 》に代わったことによるもの。

(お父様は洗礼ヨハネの使命を全うされて、1992/7/3に《 「再臨メシヤ宣言」 》をされました。)


  ★2008年の「原理本体論」が登場した摂理的背景は、洗礼ヨハネの使命が《 お母様 》から子女様の時代に移行していくことによるもの。

(既に1995/3/31「真の父母の日」の《 「サンパウロ宣言」 》において、第二次40年路程の出発宣布され、この二次路程は子女を中心とすると語られていました。)


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2)(※1)②摂理担当の交代」を考察します。
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 ☆第三イスラエルである統一協会の新しい出発となるみ言の条件として、1952年に「原理原本」が完成しました。そしてその後、1957年に「原理解説」、日本では1967年に「原理講論」が発刊されました。
 統一協会がこの三つが摂理的三段階をたどるように、蘇生期の「原理原本」と長成期の「原理解説」はお父様が執筆され、最終的に洗礼ヨハネの立場に立たれていた劉初代協会長がお父様のみ言を整理したのが完成期となる「原理講論」でした。


 ★これに対して、第四アダム圏の新しいみ言の条件となるものが、2008年9月1日の天父主義の後に発表された蘇生期の「原理原本」に相当する「原理本体論」でした。そして、前半を表示路程として歩む後半ですから、長成期の「原理解説」と完成期の「原理講論」に相当するみ言が必ず顕れなければなければなりません。


 現段階としては、完成期の「原理講論」にあたるみ言と考えられるのが、2010/7/8(天暦2010/5/27)『天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会』で発表された「八大教本」であることは確実です。
 そうなると、長成期の「み言」がいつ、何処に顕れたのか探し出さなければなりません。「原理本体論」が発表された2008//9/1から、「八大教本」の初版が出版された2010/7/8の間で、お父様が発表、或いは、公認されたみ言があるのではないと思われます。非常に重要な内容になりますが、現段階では保留として、後日検証することにします。


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3)繰り返す理由は一体何処にあるのか?・・・今後の課題です。
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 前半の55年が表示路程になって、後半の55年に展開されていることを「双合55年プログラム」と呼んでいますが、何故、前半と後半の摂理的背景と様相がこれ程までに一致して繰り返すのか、これを明らかにすることが今後の課題でもあります。



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4)「第四次アダム圏」と「双合」が重なるみ言を紹介します。
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天聖経  

「人間の生と霊魂の世界」  

第三章 真の御父母様と霊界

三 真の御父母様と愛の役事

《 1.聖人と殺人鬼も同席で祝福 》1040ページ


 『一次アダム失敗、二次アダム失敗、(※1)三次父母も失敗して、荒野路程でこれを全て蕩減して解放され、第四次アダム圏祝福時代は地上天国出発時代です。

 この理論が全て合わなければ成りません。大ざっぱな計算でくっつけてはならないのです。

 (※2)それが霊界や地上で先生が「原理」を中心として解明した結果的基準で評価する時、右手と左手がぴったり合わなければなりません。こうしてこそ音がするでしょう。それを合わせるのが愛です。絶対愛を中心としてです。』


(※1)「三次父母も失敗して・・」とは、お父様が絶対「性」の基準に立たれて、第一夫人、第二夫人、第三夫人という三母の失敗を縦的に背負われたことを意味しています。


(※2)霊界(天)を代表しているのがお父様であり、地上(宙)を代表しているのがお母様になります。そしてお父様は完成された右手であり、お母様は復帰されなければならない左手になり、お父様の右手とお母様の左手がぴったり合わなければならないと語られています。

 このような双合理念は、既に、双合十勝日以前に語られています。




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