平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

一九六四年 勝利的主管者となろう(二)  実体サタン屈服儀式(一九六四・六・九〔陰暦四・二九〕、前本部教会)

第五節 一九六四年 勝利的主管者となろう(二)

一 一九六四年出発と摂理的意義

年頭標語:勝利的主管者となろう(二)
      (一九六四・一・一、前本部教会)


 私たちは四年路程を展望しながら、神様が私たちに命じられた四年間の標語として「勝利的主管者となろう」というみ言をもらいました。皆さんが勝利的主管者になろうとすれば、全体の勝利を願う前に、まず個人の勝利的な基台を築いていかなければなりません。

 完全に勝利するためには、すべてのものから公認を受けなければなりません。戦って勝つことはもちろんのこと、勝ったあとには、天と地の公認を受けなければなりません。そうしてこそ初めて、信仰を中心とした勝利的主管者になるのです。では、どのような公認を受けなければならないのでしょうか。ある限定された時間圏内でのみ公認を受けたのでは駄目です。現実の舞台でのみ公認を受けても駄目なのです。過去、現在、未来に通じる立場で公認を受けなくてはなりません。そこには個人から世界まですべて入っていなければなりません。そのような公認を受けなければなりません。希望においても同じであり、愛においても同じです。

 ましてや一二九六四年は、数字的にも良くない年です。ゆえに、この一年間皆さんは、苦痛を受けるにも歴史的な苦痛を受けるのであり、悲惨な目に遭うときも歴史的な悲惨な目に遭うのであり、悲しみに遭うにしても歴史的な悲しみに遭うという姿勢で、すべてものを完結しようという決意をもって進まなければなりません。このような決意をすべき一九六四年です。

 この四年間で皆さんは責任を果たし、民族的な勝利的主管者にならなければなりません。そうすれば民族的な勝利の日を皆さんが迎えるとともに、神様が迎えるようになるのです。皆さんはこれを理解し、ひたすら祈祷しなければなりません。そのようなことが終わったのちには、世界的な勝利的主管者にならなければなりません。


二 前半期主要行事と活動

 第十九回全国伝道師修練会および第二回成和修了生修練会
   (一九六四・二・二〇~三・二九、前本部教会)


 一九六四年二月二十日、前本部教会において、全国各地より集まってきた伝道師修練生および、学生修練生百五名を中心とし、第十九回全国伝道師修練会と第二回全国成和学生会修了生修練会が合同で開催された。学生修練会修練生は三月十日に六十名が修了し、伝道師修練生は三月二十九日に七十名が修了した。

 歴史にわたって打つことができる材料、時代にわたって打つことができる材料、未来にわたって打つことができる材料が必要です。それでは、その材料とは何でしょうか。それは血と汗と涙です。心情に通じ得る血と汗と涙、神様に涙を流させ得る血と汗と涙、民族に涙を流させ得る血と汗と涙なのです。それで、個人個人が、世界の人々がそれを聞く時、涙を流し得る血と汗がなくてはなりません。

 その汗の上に築き上げられた勝利の功績が、後世の人が崇拝できる材料となり、後世の人が必要とし得る材料であると認識するようになれば、世界はそれによってすべて吸収されるようになります。それで皆さんに、三年間苦労しなさいと先生が叫んだのです。そのようにしてこそ皆さんは滅びないのです。

 祝福家庭をこの天地の四方八方の前面に立てたので、心が痛いのです。痛哭したいのです!けれども、その心情を抑えて、彼らに対する時は無慈悲な師として現れるしかありません。それは歴史を創造する計画を立て、歴史を収拾する民としなけれぱならないため、無慈悲に駆り立てるのです。正にこれが先生の主張する信念です。このようにしてこそ何年かのちには、皆さんにたくさんの人々が従ってくるようになるのです。

 最近の日本教会の様子を聞くと、日本の高校生たちは学校で勉強を終えると、教会に来るそうです。学生かぱんを教会に置いてから路傍伝道をするのですが、皆一人ずつ伝道して家に帰るそうです。こういう運動をしているというのです。ここにいる壮年、青年たちはこれまで何をしましたか。皆さんが動かなくても神様は休みません。皆さんがしなければ、私がします。


地方巡回 一九六四・三・二三~二六、大邱、大田、全州、
サラワク(Sarawak)王・アンソニーブルック(Anthony Brooke)卿同伴


 今年一九六四年は、統一教会では、活動において実に重要な年です。皆さんの活動いかんによって、この天地の運勢が左右される、そのような重要な時です。

 なおかつ、今から四月までは、国際情勢も、国内情勢も緊迫します。そのような意味から、私は本部にいる食口たちに話をして指導してきたのですが、今この時が天的に見ると重要な時期なのです。ですから皆さんは、今回のこの期間、四月までは皆さんの地域に戻って、今後地域を運営するときに、画期的に発展することができるよう計画を立てて動いてくださるようお願いします。

 そしてこの間、地区長会議でも話しましたが、今年からは地域において最小限二百人以上を確保しなくてはなりません。もし、この数に満たない地域があれば編入するのです。編入させなさいというのです。

 今日、私たちは二十世紀の奇跡を成しつつあるのです。皆さんにお金が一銭でもありますか。韓国政府ができないこのような業を私たちがなしているのです。お金は一銭もないのです。血を売り、肉を削って、少数のこの一つの集団が、今日、この三年過程において、厳しく強い風と戦っているのです。私たちは神聖なるこの一場面を迎えた集団であるというのです。二十世紀の奇跡があるとすれば、これ以上の奇跡はありません。怨讐の都城が崩壊し、武器をもってきた人々が、涙を流しながら屈服し、頭を垂れて降参する神聖なる場面が展開するのです。ここから歴史が開かれていくのです。

 今この時代の政府は、革命政府となっていますが、統一教会でなければ駄目だということが知られるようにならなければなりません。今や、その最後のページをめくるか、めくらないかという、そのような段階に来たのです。

 皆さんが考える時、約五、六年前は何人かの人しか動かなかったのに、先生が既にこのようになろうとは、誰が知っていたでしょうか。この世では夢にも考えられなかったのです。


大邱原理大講演会(一九六四・四・一〇、十八日間)

 四月十日より二十七日までの十八日間、大邱放送局文化会館で、統一教会原理大講演会が開催された。講義は、郭錠煥、安昌成、崔昌林氏が六日間ずつ交代で行い、動員された伝道隊員数は約二百五十名であった。鄭壽源全北地区長の総指揮のもとで実施された同行事の総聴講者は、一万五千七百九十名で、毎日平均八百七十七名であった。このうち、み旨の道に従うことを決心した聖徒の数は百名程度。

 今や、四十年路程が過ぎ、三年路程が過ぎ、カナン七族に対し得る四年路程を歩むようになりました。ここで問題になることは、カナン七族を身代わりした韓民族をどのように復帰するかということです。韓国復帰を中心として歩む皆さんは個々人ですが、皆さん個人のみが行く道ではないということを知らなければなりません。

 韓国復帰を中心として歩む皆さんは、真の父母の代身として歩む自らであるということを肝に銘じなければなりません。そうでなくては、氏族的、民族的、あるいは国家的な真の父母の勝利の基盤を準備することができないのです。

 先生が共に動く今回の期間、皆さんは再起し、昔、み旨を初めて知って恵みを受けて決意した、その心情の感応、感化を呼び起こさなければなりません。そうせずしては、四年路程を最後まで行くことができません。

 皆さんの苦労によって、多くの人々が大きな関心をもって講演会に集まりましたので、あすからは再出発しなければなりません。

 三つの国から苦難を受け、三大主権から苦痛を受け、サタンの三大試練で勝利し、復活しなければなりません。このような勝利の基盤の上でユダヤ教とイスラエルの代身である既成教会と大邱城に対して起こした戦いが、今回の復興会です。

 先生がこれまで大邱でこうしたことをすることができなかったのは、時が熟さなかったからです。今や、大邱を霊的に一段落つけたので、皆さんは地方に戻り、既成教会のために苦労することにより、彼らを自然屈服させなければなりません。既成教会は霊肉を合わせたカインなのです。数千年の基盤を築き上げた既成教会ですから、皆さんは、ヤコブがエサウを自然屈服させたその知恵をもって屈服させなければなりません。

 内的には既成教会、外的には民族を屈服させ、勝利してこそ、第三イスラエルを成すことができるのです。大邱でこの復興会をするため、ソウルでも成功を祈りました。皆さんを必要とする神様の前に七年路程の責任を全うし、神様の計画が成就するようにしなければなりません。


三年路程模範食口 四十人表彰(一九六四・四・一四、大邱教会)

 一九六〇年を起点として始まった三年路程において、様々な功績が多く、心情的にも模範的な足跡を見せ、後世に模範となり得る食□四十名を選抜し、四月十四日、第五回「父母の日」(四・一二)を記念し、慶北地区本部である大邱教会で表彰した。表彰状には歴史始まって以来、初めて真のお父様が直接署名をしてくださった。

 皆さんが三年路程を最善を尽くして歩んだ結果、私たちは所期の目的を達成し、ある段階に上がったと見ることができます。今、私たちは三年路程を終え、四年路程を歩む途上にあります。今後皆さんが四年路程を終えたら、その時は父母賞をあげなければならないと考えています。復帰摂理の途上で顕著な功績を築いた人に、そのような賞を与えなければならないと思っているのです。皆さんは、四年路程を歩む間、み旨に対し、神様に対し忠誠を尽くし、神様が記憶する人となり、賞を受けられる人になるよう願います。そのような人が多く出てくることを願っています。

 表彰を受けるに値する人が多くて、今回、受賞者を決定するのに非常に苦労しました。今回賞をもらえなかった人も、今後、あらん限りの力を尽くし、より一層努力してくださるよう願います。

 これを残った四年路程で、全民族的な路程を開拓するところにおける戦いの盾とし武器として、より発奮し得る力を内的に外的に誓う立場に立たなければなりません。それで今後、この賞を受けた人たちは、民族的な使命を完結するために、より一層犠牲的な努力を傾け、全体の前に見本とならなければなりません。


水原で原理大講演会(一九六四・五・二〇から一週間)

 五月二十日から二十六日までの一週間、京畿地区主催により、水原市内の水原結婚式場において第一回原理大講演会が開催された。約百二十名近い食□たちの伝道活動により、講演場所には、毎日四百名近くの聴講者が集まり、最高で六百四十五名出席した晩もあった。

 三、四年間でこの道が終わるのではありません。七年、あるいは七十年に延長したとしても、粘り強く行こうという気迫が必要です。その期間が長ければ長いほど、その範囲をさらに広げていかなければなりません。

 あることが地区で成功すればそれにとどまらずに、その成功の型をそのまま手本として、地域と区域と教会が成功するようにして初めて、全体が発展するようになるのです。水原で勝利を収めたと喜んでいるだけでは駄目です゜それが区域と教会の勝利に連結しなければなりません。

 先生も空手で出発したので、皆さんも何もない中でも心を合わせ団結して信じて行うならば、神様が助けてくださいます。三年路程は長いようであったが、終わってみれば大勢が変わったように、四年路程もはるか遠いようですが、あっという間に過ぎ去ります。今からは、私たちの行く道はますます容易になります。

 今ワシントンでは、重要な人物百名余りが編成され、私たちのみ言を宣布していますが、来年までには米国五十州が動くようになります。外国の食口たちが韓国には負けないと一生懸命に歩んでいるのです。問題は韓国です。

 皆さんの誇りは、ないところで苦労したということです。米国にいる食口は毎週一日ないし二日断食をして、ソウルに来ている米国食口は、毎週木曜日と金曜日に断食しています。

 今回復興会の期間、「おかゆを食べて活動します」と言っていますが、指導者は時にはそれさえも食べられないよう、砂を振りかけることもあり得るのです。皆さんは復帰の道を知りませんが、先生はよく知っているので、そのようにするのです。


大邱で原理大講演会(一九六四・六・一〇から十九日間)

 六月十日より二十八日までの十九日間にわたり、大邱駅前の慶北文化会館と大邱市鳳山詞の大邱統一教会において、原理大講演会が開催された。毎晩、新参者(新規の人)が一千二百名以上、最高一千五百三十四名に達する超満員を記録した。大邱教会の昼の講義場所も六十名であったのが、最高百六名の聴講者数をあげる日もあった。一方、動員された伝道隊員数は平均二百十名であった。

 今は姿勢を正して活動すべき時が来ました。どうか、へこたれることなく、倒れずに、死なずに生きて残りなさい。今は死んでも勝利、生きても勝利です。一九六七年さえ越せば、霊界が動員されることでしょう。

 先生はこの国を救うために、どのようにすれば国家機関に入っていき、原理講義をできるだろうかということに関する作戦計画を立てています。私たちが活動した実績をもってこの国を生かしましょう。その地方の責任者、すなわち郡守、面長などを動かさなければなりません。そして今回、大邱教会が自ら動ける基盤を立てていかなければなりません。

 戦いにおける、勝利の栄光は、最後まで残った者の子孫が受けるのです。共産主義は既に斜陽です。イスラム教とキリスト教は極と極です。このような視点で世界の一つの焦点に向けて皆さんを押し出すのです。その道は説明しながら行く道ではありません。実績を備えたあとにこそ説明することができます。天のことはそのようなものです。

 今は夜の期間なので何も見えないのです。しかし、日が昇ればすべてが見えるようになります。四年路程の一つの峠を無事に越えなくてはなりません。大邱の集会は、蕩減期間を無事に越えるための一つの条件です。


三 特別宣布儀式

蕩減基金献納式(一九六四・五・一二〔陰暦四・一〕、一二:〇〇、前本部教会)

 一九六四年五月十二日(陰暦四月一日)青坡洞前本部教会で「蕩減基金献納に関する儀式」があった。これ以後教会員は、祝福のための個人的蕩減路程で、蕩減基金一万二千ウォンを献納してきている。

 アベルとイエス様の血の代価を蕩減する日としてこの日を立てます。七年路程において、これまでの四年間は、蕩減条件があり消耗してきたのですが、残りの三年は一致団結して個人が勝利した基準の上で国家的、世界的な蕩減基準で越えていかなければならない期間です。

 蕩減基金はお金の中でも最も貴いお金です。この基金には逸話がたくさんなければなりません。悲惨なことが多くなければなりません。アベルを殺したカインの罪の代わりとしての蕩減基金なので、子女たちにとっては、父と兄の血の代価です。

 縦的な歴史の蕩減路程を歩んでこられたイエス様を殺したので、イエス様以後二千年間、地上では横的な蕩減路程を経てくるのです。横的なすべての血の代価を、来たるべき主を土台として相続しなくてはなりません。この期間が今回の四年期間です。

 来たるべき主が真の父母になるまでは、僕の位置から養子を経て、直系の子女の位置を経るのです。キリスト教徒が来たるべき主を受け入れなかったために、最も悲惨な立場から出発してきたのです。

 それで来たる主は獄中で十二弟子の型を復帰し、そこで勝利して天国を成すことができる土台を立てたあと、それを基盤として発展していくのです。監獄の中でも地獄の底を突き抜け、キリスト教を中心とした民族的な路程を経ていかなければなりません。

 来られた主は歴史の蕩減条件と血を流した目的を達成しました。それで天と地の恨みを解きました。しかし、子女たちが恨を解くことができなかったので、これを解くようにするための条件が蕩減基金です。父母は勝利しましたが、子女たちがサタンに侵犯されたので、勝利された父母の基盤の上に、父母を売った恨を解かなければなりません。蕩減基金を用意してこそ飛躍的に発展する時が来るのです。

 蕩減基金は食べるものを食べずに、着るものを着ずに精誠を尽くし、人の手を経ることなく自らが直接出さなければなりません。この蕩減基金を伝統にして、私たちの後孫たちも皆この峠を越えなければなりません。これを全うすれば国家の運勢は移っていくのです。

 イスカリオテのユダがそのお方を売り、死の谷間に突き落としたその行動は、結局、世界万民が行ったのと同じことになってしまいました。また、それは、摂理圏内にあるすべての民が自らの真なる父母を売った結果となってしまいました。

 一人の人の誤った行動により、真なる父母をこの地上から追い出してしまった立場となり、四方八方で神様の摂理はふさがってしまいました。その結果、四方八方でサタンが勢いを増すようになったのです。

 これを蕩減しなければならないので、真の父母を売ったその実体の代価として、四年間で三数に該当する金額を神側に返さなければならないのです。四年間というのは東西南北に該当するのであり、韓国では一年に三千ウォンずつ四年間で合計一万二千ウォンを献金します。そのお金は、自らの汗と涙と生命の価値よりももっと精誠がこもっていなければならず、神様のみ旨を思う基準で稼いで得たお金を神様の前に捧げるのです。


象徴的な聖殿建築宣布式と生命水(一九六四・五・二三〔陰暦四・一二〕、前本部教会)

 一九六四年五月二十三日、青坡洞前本部教会で、「象徴的な聖殿建築宣布式」が挙行された。特にこの日、真の御父母様は生命水を食□たちに下賜された。

 この式は、地上にエデンの園が立てられ、民族が立てられて、天の基準に合わせていく式です。私たちはこの世界、この国の主人であるという思いをもち、信念をもって戦わなければなりません。天の宮、天の権、天民を立てる日として新しい時代へと越えていく式です。

 また、生命水ですが、心に忌まわしいことがある時、この水を食塩と一緒に飲みなさい。水がなくなったら、六時前、誰かが飲む前に補充しなさい。聖塩は外的分別、生命水は内的分別です。心情の因縁を結んでくれる生水です。

 本来は「万物の日」をまず探し立て、「子女の日」と「父母の日」を探し立てるべきでしたが、統一教会では反対に探し立てました。しかし先生は個人的に「万物の日」と「子女の日」を探し立て、その基台の上に再び「父母の日」を探し立てました。真の愛で訪ねてきた父母が子女から捨てられた心情を感じてみることができずしては、真の父母の立場で「父母の日」を立てることはできません。

 この三つの日が血をもって侵犯されました。ですから父母を殺した罪、子女を殺した罪、さらには万物を捨てた罪をどのように蕩減するのでしょうか。ユダはイエス様を売った血の代価で旅人の墓地を買いました。ゆえに蕩減基金で聖徒がとどまることのできる家を準備しなければなりません。本来は本部を買わなければならないのです。

 神様は、万物と父母と子女の位置を探し立てるため血を流されたので、これを蕩減して、生命の家である聖殿を建てなければなりません。これを解決してこそ、神様を迎えることができる道が開かれるのです。イエス様の代価で、死体の聖殿をつくったので、私たちは蕩減基金で、生きた人の聖殿を造り、民族、国家、世界的な聖殿を建てなければなりません。


実体サタン屈服儀式(一九六四・六・九〔陰暦四・二九〕、前本部教会)

 一九六四年六月九日、青坡洞前本部教会で、「実体サタン屈服儀式」が三次にわたり挙行された。第一次では心情審判の条件を立て、第二次式で、み言を中心として分かれた天と地を合わせるようにする条件を立て、第三次式では人格審判の条件を立てる式が行われた。


〈第一次儀式(七:○○)〉


 きょう、三次にわたって行う実体サタン屈服儀式は、本然の世界の全権をもって善の主権を立て、心情を中心として統治することを意味する式です。今や、僕と息子を立て、父の使命と母の使命をなす父母を立て、神様が被造世界を直接主管できる基盤を準備しなければなりません。


 聖霊時代を蕩減するために、これまでは聖霊も堕落人間の立場にありましたが、これからは聖霊が不義を直接審判できなければなりません。これまでは誤りを放任してきましたが、これからは善なる霊界を動員し、責任を追及しなければなりません。


 この式は、神霊が分かれてしまったものを再び一つに合わせてあげる式です。自分のことよりみ旨をもっと案じなければなりません。これまでは蕩減の苦労でしたが、これからは神様の前に自分の功績を立てるための苦労です。これまでは聖霊が間接的に役事しましたが、これからは神様が直接役事なさいます。皆さんも先生に代わって役事しなさい。


〈第二次備式(一二:○○)〉


 昼十二時に挙行する第二次の式は、不義を容認せず、分かれた天と地を再び一つに合わせ、また、霊界を動員して新しい命令による新しい戦いを展開することによって、地上におけるサタンの実体を清算する式となります。


 み言の前に不義は立つことができないという信念でこのみ言を伝えれば、このみ言によってサタン世界に恐怖が訪れるのです。今後はみ言を中心に長子の嗣業を奪う役事がなされます。私たちがみ言を伝えることによって霊人たちも協助します。


 朝行った式は、心情審判の条件を立てる式でした。昼行う式はみ言を中心にして天と地の前に立ち、分かれた天と地を一つにする条件を立てる式です。これまではこのみ言が世の中の誹膀を受けてきましたが、今後はそうではありません。これからは活動するほど広がることでしょう。



〈第三次備式(二三:○○)〉


 第一次、第二次に続き、この式は人格審判の条件を立てる式です。国(大韓民国)に対する式はこれで最後です。世界のための式はしなくてもよいです。国家と教会が受難を受けることは、サタンの実体を屈服する基準となります。良心を偽らないようにしましょう。これは天に記録されます。


 生命水にあるものを燃やして入れました。これはモーセが偶像を燃やし、それを水に溶かして飲んだように、サタンを燃やして食べるのです。勝利者の快感をもって絶えず苦労しながら進めば、自分の実績として残されます。今、皆さんはこのような条件を立てたので、サタンを屈服させ得る自信をもたなければなりません。


 今回の行事のために神様の前に断食して祈祷した基準があります。ですから私たちが責任を果たせなければ、神様が悲しまれ、サタンたちが私たちをあざけり、讒訴するという途方もない事実を知らなければなりません。


 神様が苦労された四千年の人類歴史は、イエス様を送り、天の勝利を勝ち取る歴史でしたが、この三年間またはこの何ヵ月、何日かの短い期間で覆す時間があったということを知らなければなりません。


 先生は去る陰暦の四月末日、陽暦の六月九日に食口たちと共に、三次にわたって戦い、実体のサタン屈服儀式を執り行ったのです。

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