平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

文先生をみんなが裏切った立場・・・これが『聖和』

愛する兄弟姉妹へ


不足な私です。言葉足らずの記事ですが、お読み頂ければ幸いです。


 現在の家庭連合は、御言葉の観点から見た場合、統一原理のあらゆる観点と摺り合わせれば、完全に破綻しています。


 それでも、36双や、日本の小山田先生、周藤先生など、統一教会の霊的支柱であった方たちが、その破綻に気づかず、文先生の前に堂々と顔を上げることができた理由は、文先生が最も苦しみの源泉であった事実蕩減(アブラハムによるイエスの典型路程と妾摂理)に対して不信し、目を背け続けてきた結果にあったのです。


 お父様はこのような古い祝福家庭不信に対して語ることができませんでした。この事は、お父様がやむなきこととして受け入れておられたことが天聖経からはっきりと読み取ることができます。


 私のブログ考察は、文先生が再臨主であるという観点に立って、全て御言葉によるものです。その結果、私たちがこれまで聞いたことがない大問題が御言葉から判明しているのです。


 まさに文先生は、ご自身にとって不利な立場であったとしても、その摂理的観点を後世の為に、第四次アダム圏において解決する御言葉を残されたのです。

 はっきり言えることは、「私」という誰しもが、何も知らずに通り過ぎてしまった不信の結実体であるということです。


 お父様は子女様たちを犠牲にして不信した古い祝福家庭を最優先して許し、ただただ、愛されたのです。彼らの不信が子女様たちをを犠牲にし、お母様を作る素材となっていたことが御言葉から分かります。ただただ、サタンを屈服させる為に、不信した彼らを愛されたのです。


 お父様は、六千年間の全ての失敗を再現して勝利しなければ語ることができませんでした。あくまでも、完全以上の再現です。それがお父様の事実蕩減です。私たちの条件的な蕩減とは全く違います。


 御言葉から分かることは、お父様が第一夫人を失ったことにより、お母様は第一夫人の失敗をも再現する蕩減の為、処女としてサタンに差し出されたのです。そして、サタンの妻となり、サタン側の母となって、最終的に、お父様を死に追いやったのです。

 お父様のお母様による安楽死はあり得ることです。その母を現家庭連合は真の母と崇めているのです。同じ穴もムジナとなっているのです。


 このお母様に一体何の天意があるというのでしょうか。その母が今、自らを人類の母と呼んでいるのです。その母が、お父様の原罪を脱いでさしあげたのは自分であった、そして、自分は無原罪だと叫んでいるのです。まさに、サタンの遠吠えです。


 ところが、このような母に天意があることをはっきりと、お父様は天聖経に語られていたのです。


 現家庭連合にとっては、この観点を絶対に認めたくない、読みたくもない、知りたくもない観点なのです。もし知れば、現家庭連合の幹部たちの不信が白日に晒されるからです。

 しかし、今後、次世代が御言葉を知るようになれば、お父様の真の愛を証明する為に、彼らの不信は永遠に語り継がれることは間違いありません。


 それでは、このような母が生まれた摂理的意義は一体どこにあるというのでしょうか。

 この母は、初代時代の36家庭の不信から生まれた母であり、日本エバ国12家庭の不信から生まれた母であったのです。このような不信が素材となってお父様がお母様をつくられたことが天聖経から分かるのです。

 別の言い方をすれば、祝福家庭の男たちも、女たちも、みな、お父様を愛したのではなく、反対に、お父様から愛されることを求め、お父様を奪い合ったのです。その為に、必然的に起こった嫉妬心がお父様に対する不信を生んだのです。


 お父様は彼らを本気で責めることをなさらず、全て、お父様とお母様と子女様が暗黙的に背負われたのです。お父様が勝利しなければ誰にも言えない立場でした。

 その為、お父様の本気は、エバ・お母様の為の救済摂理として「アブラハムによるイエスの典型路程」と二人の母からなる「妾摂理」に向けられたのです。

 もちろん、お父様派この摂理によって中心家庭がどんなに苦しむかを知りながら、その苦しみを誰にも知られないように図られたのです。


 これまで、統一教会、家庭連合はこの摂理はなかったものとして扱ってきたのです。それどころか、反対に、ここから立った噂は、全て、サタンの捏造としたのです。これ以上の不信が何処にあるというのでしょうか。古い祝福家庭が親の苦しみを見て見ぬ振りができたのは、嫉妬心という獣の心を持ってお父様に対してきたからです。


 このうような古い祝福家庭の不信が条件となって、お父様が今の中心家庭をつくりあげたと言えるのです。お母様も、子女様もこの不信の関門を通過して生まれ、そして、成長したのです。


 そのようなお母様と子女様たちから不信を受けたお父様は、必然的な報いとして死の道に行くことを、既に出発の早い段階から知っておられたのです。

 知りながら、生涯に渡って統一家に対して蕩減的愛をもって対され、最後は真の愛をもって、お母様と子女様たちに対されたのです。


 晩年のお父様は、聖和の死をもって蕩減的愛を完全に勝利された立場に立たれたことにより、2000年以降、ただただ、真の愛をもって、何も知らない、不信だけを持ったお母様、子女様たち、古い祝福家庭に対されたのです。


 六千年前、エバによって「死んだ」アダムが、再臨時代になって、再びエバによって世界的、天宙的にお父様の「死」が再現されたのです。

 その結果、お父様自ら「死の祭壇」に上がられ、イエス様の十字架の死が天宙的に再現されたのです。

 この聖和の為に、神様とサタンが立ちあう中で、21日間、病院の密室で、お父様は細胞一つも残さず、不信した者に対する恨みの言葉一つ発することなく、お母様にはありがとうの言葉を語られ、全身全霊を捧げられました。聖和により、人類的に初めて、エバの仲介により、アダムがアダム自らを再創造したことになったのです。これが御言葉から見えてくる概観です。



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