文先生と姜賢実 掛布団1枚 一緒にかぶって寝なければならない 不平を言わず寂しいがお互いが慰めあいながら兄弟のように思って生きようとした 嫁のように考えることが出来ない
下記の御言葉、私には「美しい御言葉」だと感じます。
皆さんはどうですか。もし、あなたがこの御言葉を恥ずかしいとか、嫌らしいと思うなら、あなたに邪ま(よこしま)な思いが憑りついている証明でしょう。
創世記2:25には「エデンの園でアダムとエバは裸であったが恥ずかしいとは思わなかった」と記されています。しかし、堕落の結果、「裸」を恥ずかしいと思うようになったのです。
文先生とお母様が本然のアダムとエバであることを証明する為には、ノア家庭のような「裸の摂理」をサタンに讒訴されることなく通過しなければならなかったはずです。
悲しいかな、実際に、この「裸の摂理」を誤解した初代教会時代の食口たちが沢山いたのです。それが文先生の生涯を貶めることとなり、世界のすそ野まで広がりました。
今も、この誤解に根を置いて、全て伝聞でブログ(龍〇小説 紡ぎます)を書いている女性の元信徒がいますね。この人は男だと思います。間違いありません。「ちゃぬ」も書いているのは男だと思います。女は善悪、清濁を飲み合わせしますからね。女は書きません。そう思いますが・・・。
中心家庭に展開したこのような「裸の摂理」の為、ありもしない噂話がふくれあがり、伝聞で耳を傾けた多くの食口たちは自らの欲望に負けて離れて行ったのだと私は思います。そして、文先生と統一教会の苦難はこれが発端であったのです。
<第502巻>『文鮮明先生말씀選集』
真の父母の代身存在になれ 2005年7月25日(月)、漢南国際研修院
姜賢実と3年半同じ部屋で過ごしたが何事もなかった
ヒョンシル(姜賢実)も一軒の家で数年間いてみたか? 年数として。
姜賢実・・・「3年ほどいました。」
3年? 箱部屋のようなところ、そのように嫌った家でも寝るところがないので、来て共におりすべてそうだ、このように反対にして生活する。そのような思いがするのか?
姜賢実・・・「はい。」
世の中のようであれば・・・。
賢実もそうだ。
先生が好きで尋ねて来て寝た、嫌いで尋ねてきて寝たのか? 掛布団は1枚しかなかったが、一緒にかぶって寝なければならない。
寒ければ奪われたりもした。それでも不平を言わず寂しいがお互いが慰めあいながら兄弟のように思って生きようとしたし、嫁のように考えることが出来ない。エデンの園ではないのか?