平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

「七七七双聖酒式後の御言」   1970年10月18日

「七七七双聖酒式後の御言」   1970年10月18日

                  水澤里中央修練院


 韓国のソウル市内で行われた七七七双国際合同結婚式に先立つ十月十八日、水澤里中央修練院において、日本人二三五双を対象とした聖酒式が執り行われ、聖酒式終了の際の祝祷と、日本人カップルに語られた御言の要旨。


 祝祷


 天のお父様、真の父母の血統を受け継ぎ、善なる先祖となることをお許しくださったことに感謝します。ここに、新しく二三五双の新郎、新婦が天の前にお仕え申し上げますことをお許しください。

 神の国の子女として、永遠に神を讃えることができ、そうして神を褒めることができる、真なる夫婦となることができますように祝福し、今までの歴史過程において、多くの家庭における夫婦より増して、神の愛のとどまる真なる夫婦となって、永遠の世界において善なる先祖となることができますよう、なおいっそう祝福してくださることをお願い申し上げます。

 きょうを中心として、昔の血統の因縁を完全に分別して、新しく神に接ぎ木され、そして 蘇った喜びを、あなたの御前に永遠にお捧げ申し上げますことを重ねてお願い申し上げます。昔の我々の先祖であるアダムのような過ちをなし、神に汚名を残し、禍いを残した、そのような夫婦として絶対に立たないことを、もう一度お誓い申し上げます。

 永遠なる基準によって、永遠なる神様、お父様と一致して、真なる子女となって、そうして永遠なる父母になり、真なる父母になって、善の子女を育て、神の国を形成することを、この時間誓う者でありますから、どうか神、祝福してください。二三五双を我々は御前に捧げますから、神祝福してくださることをお願い申し上げます。

 ここに、真の父母の御名を通して、あなたの御前に、この二三五双を捧げることをお誓い申し上げます。アーメン。(アーメン)。


 血統を受け継ぐ復帰式


 復帰という問題はこれほど難しいものです。昔みたいに、信じたらすぐ天国に行かれるような、そういう基準と我々の基準とを考えてみなさい。いかに難しいか分かりますか。

 約婚式をして、もし嫌だったら、その一人は犠牲にしても、一人は救ってあげるのです。なぜかというと、堕落して復帰の道が残っているから、許さなければなりません。しかし、今血統転換した以上は、そんなことはできません。それ以前は、もう本当に嫌がった場合には一人は後に回して、一人は祝福していくのです。なぜかというと、エバは堕落したけれど、アダムが堕落しなかった場合には、そのまま残るのです。皆原理的です。

 この二十一日に行われる結婚式は、実体世界の勝利圏に立つためには、実体を中心としての蕩減の過程をもう一回通過しなければなりません。式場の方に先生の立っているこの前には、十二双あるいは二十四双、三十六双を合わせてずっと立たせて、大体、普通は新郎新婦がその中を通っていくのです。これが復帰です。神の願いは何かというと、十二弟子と十二子女を中心として、勝利の子供として生まなければなりません。勝利するには、男からでなくて、女を合わせて家庭基準を通過しなければなりません。歴史過程の復活をする。

 そうしないと父母の前に立つことができません。みんな蕩減するのです。その間には必ず復帰の路程がそのようになっているでしょう?。七歩ずつ行って三拝する。そうすると三×三=九になる。初め三回ずつやればそういうことになる。十数になる。十数は天の神様の数であり、完成数でしょう。それはずっと復帰路程を象徴しているのです。

 こういうふうになぜ三拝するかというと、これは三位基台であるからです。アダムとエバとそれからアベルを象徴します。これは血統を受け継ぐ復帰式です。エバが堕落してから、アダムを誘引して堕落させ、そこから人間の先祖が始まったのでしょう? 結婚式はその式です。今の式は堕落の復帰式です。血統を復帰して、原罪を取らないと神の前に出られないでしょう? 祝福など全然できないでしょう。原理的に皆そうなっています。

 こういうような行程を通じなければ、サタンが分かりません。サタンを屈伏するには、こういうような原理的な基準を通過した条件を立たせない限り、サタンは退きません。もしも一遍失敗したならば、だれがこんなことをしていますか。考えてみなさい。それは、完成基準において堕落したことになるのだから、それはサタンよりもっと悪いのです。

 皆さんは、堕落した立場を復帰しなければなりません。そういう完成基準に、堕落したその子女というものも、神様は見ることができません。原理の世界には、いることができないのです。もしもいい男とか、いい女が会って結婚したとするなら、そのようにして結ばれた子供自体はどうなるか。完成した原理の世界には、そういうものの影は全然見られません。どういうふうにそれに締まりをつけるかというのです。それは永遠に地獄においても、姿を現すことができません。

 復帰の圏の恵沢圏が残っているから、地獄に行っても神様は向くことができるのであって、これは全然無抵抗な世界です。永遠の裁きになっています。恐ろしいものです。遊び事ではありません。命懸けのことです。

 だから絶対に男、女別れて行くな。どこへ行ってもついて行く。うれしいことがあったら同様にうれしく感じる。寂しいことがあれば、悲しいことがあれば同じように悲しく感じるというのです。心情一致。だから夫婦同士では、一日の中で悲しかったり、うれしいことがあった場合、必ず家内に言っておかなければなりません。

「女なんか、そんなの分かる必要ない」。そうはいきません。思想統一でしょう?。生活統一でしょう? それから心情統一。行動統一。だから女性は注意しなければいけません。女性は弱いので、いつサタンの男たちが攻めてくるか分かりません。

 特に、祝福を受けた場合には、周囲のサタンは引かれる。相当美人のように見える。エバが堕落する前に、天使長の目には、最高の美人として相対圏になったと同じように、皆さんに何となく引かれる。何気なしに尊く見える。だから注意しなさい。

 昔は貞操帯というものがありました。そんなことをしなくてもいいのですが、自分の体を保護し得る万全の準備をしなさい。命を捨てても自分は貞操を守る。今から血統が問題になります。純粋なる血統をいかに残すか。それは我々に残された一番重大な問題です。毎日の生活において、命懸けで闘う。そうでしょう?。(はい)。これがはっきりした者は、再び堕落することはできません。


 公式的七年路程


 もう少し詳細に、話してみましょうか。(はい)。復帰というものは、完全に復帰することです。この前、血統転換ということを話したでしょう。そうするには、母のおなかにまで入らなければなりません。そうして再臨の主の、結婚しないアダムの近くに、(霊的な意味で)その骨髄の中に入らなければなりません。その子供の種が母を迎えて、再び愛によって生まれなければなりません。今までそういうふうには来なかったのです。一九六〇年の先生の聖婚式において、その基準が立ったのです。

 皆さんの家庭は先生の家庭を中心とすると、平面的なカイン家庭です。だから皆さんから復帰が始まるのです。だから完全復帰は三代目です。先生の一代と、皆さんの二代とその子供たちが三代です。だから、皆さんの使命が果たされなければ、また引っかかるのです。夫婦相対理想をかなえなければ天国に入れません。だからイエス様は楽園に行って、今まで二千年間待っておられたのです。相対基準が完成されなければ、創造理想の本国である天国には入れません。それは原理でしょう?

 アダムとエバとで堕落したために、子供まで含めて二代で復帰するのです。神様を中心としてみれば、神様とアダムと子供で、三代になります。垂直の中心に立つ神様と、平面的な先生を中心として一代、二代です。縦的、横的蕩減条件というようになっているのです。だから皆さんは三代目に完成するのです。

 だから堕落した人間にとって、七年間はだれもが通過するのです。七年間は先生のために、命懸けでどんなことでもやらなければなりません。天の訓練です。先生は天の国の使命、神様の使命を身代わりに果たすのです。先生のためにするのは世界のためであり、神様のためにすることです。だから七年間は、自分として生活するのではありません。それは公的生活なのです。完成基準の原理結果基準をまだ通過していないために、七年間を通過しなければなりません。

 この期間にどういうことが起こるかというと、個人の十字架を背負うのではありません。家庭的十字架を背負って行く道なのです。結果主管圏内にはサタン圏がまだ残っているために、いつもサタンが侵入しやすいのです。だから七年間を通過しなければなりません。

 ノア家庭の八人の兄弟を中心として、洪水審判がありました。アダム家庭で失われたすべてを復帰しても、それはカインの家庭であり、それ以上乗り越えることができません。だから、ノアがアダムの家庭を復帰したとしても、その家庭の基準にメシヤが来なければなりません。

 だから、キリスト・イエスが来る前には、艱難の第七年路程が残っています。それは個人の艱難ではなく、家庭の艱難です。それから子供に対しての艱難です。


 信仰の三子女の必要性


 本当は、カインの子供を愛さなかった者は、アベルを愛することはできないのです。神様は、今までカインの子供を愛するためにアベルを殺し、犠牲にしてきました。歴史の過程はそうなっているのです。そうであれば、先生自体においても、カインのために、自分の子供を犠牲にしなければなりません。だからカインを復帰して、愛さなくては、アベルを愛することはできません。それは何の話かというと、信仰の子供を愛さなければ、自分の子供を愛することができないということなのです。

 ​先生もここに引っかかったために、聖進様を置いて北へ行ったのです。サタン世界のカインを愛せなかった者は、天の身代わりとしてのアベルを愛することはできません。こういうような基準に引っかかっているから、神様はサタンの世界を愛したという絶対的な基準を立たせない限り、世界的アベルの子女として愛することはできません。​

 なぜ、三人の信仰の子供が必要かといえば、自分の子供を愛する資格を得るためです。その過程を通過しなければなりません。愛するには、信仰の子供が絶対に必要です。それが原理でしょう? (はい)。それは先生の話でもありません。だから、歴史が六千年間延長したのです。

 それで、イエス様も、「敵を愛せよ」(マタイ五章四四節)と言われたのです。自分のおやじの怨讐であり、自分の子供の怨讐です。これ以上の怨讐はないというのです。日本では、これは仇討ちの代表者になるべき存在です。自分のお父さんのお父さん、子供の子供の怨讐だったら、仇討ちするでしょう?。これは許されない敵なのに、そういう者を愛さなければなりません。

 だから神様が一番、今まで心情の十字架を背負ってきました。先生もこの道に引っかかってこういうような淵にかかって、今まで苦労してきました。それがなければ苦労しません。個人のカインと、家庭のカインと、氏族のカインと、民族のカインと、国家的カインを愛さなければならないのです。

 エバ国家だけでなく、中心国家を中心として、十か国がつながったという条件を立たせたとすれば、それは地上に、四方八方に連結される天的恩恵の時代になるというのです。

 だから摂理は、韓国を中心としてなされてきたために、韓国に連れてきて、こうした結婚式をするのです。それが七七七双、それは完成です。七七七、三数、三×七=二十一でしょう。平面的、四方八方の門を開ける天的勝利圏を獲得する式です。だから、日本も、韓国も、世界も騒ぐのです。全部が騒ぐのです。それによって十か国が引っかかるのです。十数復帰でしょう?

 だから、七〇年代の世界勝利的基盤を七〇年につくらなければならないということを年頭に発表したのです。そこに皆さんが参加して祝福されることは天宙的なことです。


 アベルの使命


 カインがなければ、アベルを愛することができません。カインを持たずして愛した場合には引っかかります。神が、六千年間の摂理の道を捨ててしまうのと同じです。

 今まで神は、カインを愛するために自分の子供たちを犠牲にしてきました。犠牲にすべき立場に立っているのに、自分の子供を愛するということが成り立つかというのです。だから統一教会においては、三人の信仰の子供を持たなければなりません。

 それで、イエス様はペテロ、ヤコブ、ヨハネという三人の主弟子を、死ぬところまで連れて回ったのです。アダムの家庭を復帰するには、男性一人では絶対的に不可能です。それこそが、四位基台造成のための絶対的基準だからです。

 それができなければ、歴史的摂理の基台は全然なされません。イエス様自体が結婚の足場を求めてきたのです。自分の足場ができるとともに、その三人の弟子の新しい家庭ができれば、カインの三人の子供の家庭を愛したことになります。だから、自分の子供を祝福させるその道が開かれてくるのです。どれほど難しいことでしょうか。自分の子供を育てるより、三倍以上の苦労が必要です。

 それが三時代を通過した神の摂理路程です。自分の子供はそのままにしておいて、血統の違う、怨讐の子供を連れてきて、自分の愛する長男とさせるというような立場です。サタン圏内につながれていた時以上の愛をもって接しなければ、復帰はできません。

 それゆえに、イエス様は十字架につけられながらも、迫害する者のために祈ったのです。あなたの家庭においてもそうでしょう。今、祝福されたという場合に、一人はアベルの側で、一人はカインの側です。アベルという者は、カインを愛さなくては神の子になれません。女性でも神の娘になれません。二人が一つにならなければ共に救われません。闘いながら、拳を打ち合うような環境では、神の家庭ができません。相対基準がなかったら救われません。神のもとへ立ち帰れないのです。両足のような、そういう一身です。それが家庭というものです。

 先生の家庭の勝利基盤があるために、先生の家庭と皆さんの家庭は、アベル・カインです。だから、アベルの家庭が愛されているということを、いつも実感しなければなりません。そうするには、あなたとともに、父母のみ旨を愛するのです。アベルを復帰するには、まず第一に、父母を復帰しなければなりません。父母を復帰しなければ、子供がいないことになるでしょう。

 アベルの第一の使命は何かというと、子供としての使命をなすことです。子供として、蕩減の信仰基台を立て、実体基台をつくってから、父母復帰の基台と父母の蕩減基準をつくっておいてから、父母によって父母と自分が一つになればアベルの復帰ができるのです。逆さまです。上がるのは父母に認められるためであり、上がってから父母と一体となればアベルは堕落しないのです。

 なぜかといえば、アダムが危ないという時に、お父様(神様)に聞いてみれば、お父様はその時教えてくれます。「エバがこう言っていますが、神様、どうですか」と聞けば、教えてくれるはずです。原理結果主管圏内でも教えてくれます。

 皆さんもそうです。皆さんの父母の家庭を復帰したという基準を立てなければ、アベルの立場の使命を果たすことができなかった立場でしょう? 父母になって完全に復帰しておいてから、その家庭と皆さんの家庭が一つになってこそ、地上に勝利のアベルが成就するのです。


 家庭出発のための最低条件


 こういう原理を知った場合に、行けない所がありません。皆さんは日本人ではありません。天民です。我々には国がないのです。どこに行っても、がやがや言われるでしょう? しかし、その過程を通過しなければなりません。地球のいずこにおいても、この公式を確信するのです。言葉が違うといって、通じないのではありません。国が違うといって、通じないのではありません。この原則は、地球上いずれにも通じるというのです。神の前に立ち帰るには、この公式なくしては、いかなる王者でも立ち帰ることができないというのです。先生の家庭は父母でしょう? 皆さんは、アベルの家庭の立場に立たなければなりません。父母の家庭を復帰したという条件が必要です。アベルは父母を復帰しなければなりません。

 それゆえに、家庭自体が父母に忠孝を尽くさなければならないというのです。救ってから、そうして認められてから相続を受ける、その主体者がアベルです。アベルは長男の目的、長男の完成のために立たせているのでしょう?。原理がちゃんとそうなっています。​だから、父母に三年以上侍らなければなりません。​

 父母の価値がどれくらい大きいかということを知れば知るほど、それに比例した真心を尽くして侍らなければなりません。天にあっても地にあっても、自分の夫婦一体、すべてを犠牲にしても(不明)できない父母だというのです。天宙にない貴い宝物があっても、その宝物はすべて神様がつくったものでしょう?。それはいくらでもつくることができます。しかし、先生はいくらでもつくることができません。

 み旨を考えない、あなたの父母と全く関係がない者たち、どこから飛んできたか分からないような者たちを連れてきたのも、復帰の因縁があるからです。アダム・エバを中心としての、子女関係を犯した罪を復帰するための神のみ旨があるからです。そのタイプを持ってきて、先生が合わせなければならないから、それが再び現れなければなりません。これが、神様を中心とした子供ということになるのです。

 信仰の子供を愛さずしては、自分の子供を愛せないことはもとより、夫婦も共に愛せません。それゆえに、聖進さんのお母さんと先生は別れたのです。キリスト教の、三人のカインの信仰の子供が生まれてくるのを待ったのですが、それが生まれてこないのです。だから、夫婦共に生活することができなかったのです。こういう原則になっているのです。

 統一教会に入って一番難しいこと、一番恐ろしいことは、「伝道するな、伝道するな」と言われることです。それは、「死んでしまえ」と言うのと同じです。伝道しなければ三人の信仰の子供をつくれません。三人の信仰の子供は十二人の代表でしょう?。だから十二人から選ばなければなりません。それがイエス様の恨みを解放する基準なのです。

 まずもって三人の兄弟を捜して、それから、その民族的基台を、十二チームを捜さなければなりません。三人の主弟子がアベルですから、彼らは十二人の弟子を愛さなければなりません。結局は四位基台の道になるのです。それを合わせれば三×四=十二になる。だから、四位基台を愛しなさい。

 子供が生まれるには、愛から生まれるでしょう? 男性の愛があり、女性の愛があって、それが一つになる過程を通じて、血肉が一体となる基準を通じて、子供が生まれてくるのです。

 だから復帰も同様です。イエス様がだんなさんであり、聖霊はその花嫁でしょう? 霊的花嫁によって、霊的新郎を慕う愛がなくてはなりません。その愛が自分の一身において夫婦の、父母の愛の因縁として結実していかなかったなら、自分の生命は生まれてきません。これがキリスト教の再生、復活の原理なのです。

 そのような霊的基準で復活したとしても、半分しか復帰したことになりません。さらに、肉的基準を通過したという条件を立たせるために、再臨の主は必ず来なければならないのです。再臨の主も、ちょうどそういう道をたどってきたのです。


 イエス家庭における神の摂理


 皆さん、考えてみなさい。ヨセフは天使長の立場であり、マリヤはエバの立場でしょう?。結婚のために堕落したのを復帰するには、結婚をしないと復帰できないでしょう? 天使長は結婚しますか? (しません)。結婚という問題はエバしかありません。エバのだんなさんはどこにいますか。今まで、天使長しかいない世界に、再び神と関係を持って現れた男性がイエス様だったのです。

 マリヤはお母さんです。お母さんは、天使長から奪い取られたエバが元返しされた神側の女性だというのです。結局イエス様の母であり、イエス様の相対者の母の立場に立つべき女性だったのです。エバは結局、こう引っ張られていったために、堕落した世界の母が生まれてきました。エバは落ちていく子孫の元に立ったのです。

 しかし、落ちていったその女性の中から一人、このように元返してきたというのは、復帰されるその中心の基準になるというのです。このマリヤが復帰されるに従って、今まで結婚して家庭を持ったすべての女性たちの復帰の道が開かれるというのです。

 そうでなかったら、家庭は全部不和になり、救われる道は全くありません。このマリヤが神の方に帰ることによって、復帰された勝利の立場に立つから、世の中のすべての家庭内にいる、マリヤの立場に立つ女性たちが神の方に帰る道が生じてきたのです。それができなかったら、みんな殺してしまうか、裁いてしまわなければなりません。それは、エデンの園において血統を汚さなかった、堕落しない女性です。婚約をした条件を残し、サタンと結ぶような立場に立ったのです。

 それは、復帰の条件を満たすために、そのような立場に立たせたのであって、神の本意はそうではありません。神に引っ張られて元返してきた、その女性です。サタンに引っ張られたものを元返して、帰ってきた女性でしょう。サタンが引っ張っていくことのできない、本当のエバがいなければなりません。堕落しない女性から完全復帰がなされるのです。

 イエス様がだれを立てたかといえば、新婦です。その新婦は復帰の使命をします。失ったものを元返す、その女性がいなければなりません。それは結婚した女性です。結婚している人とか、婚約した立場から引っ張ってこなければなりません。それから、そういう条件と全然関係ない女性がいなければなりません。そのようにして復帰されてきた立場の女性がマリヤです。それは母の立場です。自分の相対者の立場に立つまでは結婚しない、処女がいなければなりません。その年齢は十代であって、二十歳を超えてはならないのです。堕落はその年代にしたからです。

 だから先生が四十歳で、十七歳のお母様を迎えたのです。その女性は、統一教会の熱心な人であってはいけません。原理も知らない、信じて出発する。そのような女性を選び出さなければなりません。そういう方面において、お母様は天来の素質を持っていました。生まれる時も、そういうような内的な因縁を持って生まれてきました。みんな原理的です。

 イエス様は出家しましたね。それはなぜかといえば、この外で子供を求めようとしたのです。外でヨセフの代わりの人はだれか、考えたことがありますか。イスカリオテのユダは何のために先生を売ったのかといえば、愛のためです。こうすれば理由がはっきりしてきます。(イエス様とともに)一番、だれよりも内緒話をし、共にしながら、こういうことをしようとしました。

 しかし、教えることはできません。教えて堕落しましたか、誘引して堕落させたのですか。その女性は、イエス様に、天の愛によって引っ張られてくるのです。そういうような闘いが、摂理の背後で闘われてきました。結局、イエス様が失敗したのはだれのためかといえば、ヨセフのゆえであり、イスカリオテのユダのゆえでした。

 それで、イエス様はガリラヤのカナの結婚式に行ってぶどう酒を作りました。そこで、お母さんが現れて、「ぶどう酒がなくなってしまいました」と言った時、イエス様は、「婦人よ、あなたは私と何のかかわりがありますか」と言ったでしょう?。本当に怨讐になりました。「お母さん」と言わなかったのです。

 また、ある人がイエス様に、「ごらんなさい。あなたの母上と兄弟がたが、あなたに話そうと思って、外に立っておられます」と言った時、「私の母とはだれのことか。私の兄弟とはだれのことか」と答えられ、さらに弟子たちの方に向かって、「……天にいます私の父のみこころを行う者はだれでも、私の兄弟、また姉妹、また母なのである」と言ったでしょう?。それは、み旨を行けなかった証拠です。

 聖書は、一つを隠しておいてそれを教えるのに、いかに苦労したかということがすぐに分かってしまうのです。だから、先生によって、こういう歴史の背後の秘密が今紹介されているのです。何の話か、聞いて分かるだけではいけません。実行しなければなりません。そうすれば、皆さんが愛するその奥さんを神の方に捧げるその愛、神をもっと愛するように、奥さんを捧げ物として捧げるような心持ちを持たないと、天使長は復帰されないというのです。


 重要な女性の立場


 皆さんは天使長の立場です。その奥さんはみ旨のために、いくらでも、どんなことでも捧げる。愛の怨讐の立場にある者に渡しても祝福しなければならないという心持ちを持たなければ、天の真なる子女になれないというのです。

 そういうようなみ旨を分かっている者が、「おお、女の子、自分のためにやれ」とか、「いいや、私のために生まれた」と、そんなことが言えますか。愛のために堕落したのでしょう? 生死の問題は愛を中心としています。摂理の勝負の問題は愛を中心としてです。その愛は家庭です。統一教会にも、そのような女性がいなければなりません。

 それは蘇生、長成、完成という三時代に接しています。そういう十字架の道を先生は戦ってきているのに、皆さんは全然知りません。その先生の家庭が中心の家庭であり、皆さんは、そのようなアベルの伝統をそっくりそのまま引き継がなければならないでしょう。だから、先生がそれをやっているのだから、皆さんの奥さんは自分たちのものではありません。先生も、そういうような覚悟でこの道を出発しているのです。


 聖進さんのお母さんに対しても、もしも怨讐が神のみ旨で奪い取ろうとする者がいれば、そこに土産物をつけていくらでも渡してあげます。ゲラルの王アビメレクも、アブラハムの妻サラを返す時には褒美までつけて返したでしょう?。自分の奥さんを盗まれても、共にその男の妾のように生活しながらも、共に生きる男がいるというのです。おとなしくて、話もしないで祈るし、嫌々ながらもそういう立場で一緒に生活する男もいるというのです。

 日本にもそういう女がいるでしょう? そういうような男性が摂理において非常に貢献してきた。だから摂理は妾から始まります。本家の本妻からは復帰できません。神様から見た場合、エバは二番目でしょう? 堕落しないエバが本家であって、二番目(堕落したエバ)は妾でしょう?

 だから、世界的に有名な偉人とかいう人は、貧しい所から素晴らしい子供として生まれてきます。本妻をさておいて、愛情心に燃え上がって、妾とか、華僑の女とかつきあった、そういう所から素晴らしい男性が生まれてきます。マタイ伝の冒頭には、四人の淫行の女性がいたことが書かれています。タマルも、ラケルも、ラハブも、ルツも皆妾のような立場です。

 ヨセフもマリヤとの愛の問題で、イスカリオテのユダも愛によって失敗しました。その弟子も分からなかったのです。あなたたちもまずもって、イスカリオテのユダ以上の心情を持った男にならなければなりません。自分の愛する女を盗まれても、(その男を)祝福してあげるような度量と寛容心を持たないというと、天国人となることができません。

 先生の話す話は、聖書によると皆こうなっています。皆追われても追われても、皆これを縫いつけるようなことをしているのだから、その縫いつけたところに水が漏れるようにしたら、サタンが侵入する。水が漏れないように百パーセント一致しているから、サタンが後退するのです。

 だから今、統一教会がそこまで完成して、勝利した基準があるから教えるのです。それを教えなければ、あなたたちより何百倍、何千倍知恵深いサタンが持っていってしまうのです。そうなった場合には、神の復帰の道は完全に閉ざされてしまいます。子供のなすべきことをサタンがすぐに持っていって成した場合には、またそこに神の二重の苦しみが生じてくるのです。だから、それは暗示や比喩でもってなす。表示や合図でもって教えるのです。それは真理を愛する子女関係を結べば分かるのです。

 それを見ると、今まで合図しながら教えなければならない神が、いかに苦しい時があったのか。それに拍子を合わせて復帰路程を開拓するには、いかに神も、一つやるにも何回も繰り返しながら四方八方与えてみて、そして探ってこなければならないその道を通過してきたのです。

 その先生は、どれくらい苦労したのだろう。考えてみなさい。いっぺんでそうなったのではありません。神が数万年、数億年かかって復帰の道を来られながら、地球星に向かって復帰摂理をなしているのです。そこには、いかに繰り返し、繰り返しながら、その残りの糸口をつないで引っ張ってきたことでしょうか。


​ 祝福の貴さ​


 それをつなぐには、絶えざる犠牲を払い、蕩減の条件を立てなければならなかったのです。そのようにして、今までつながってきているのです。そう考えてみた場合に、もしも皆さんが祝福を受けずして死んだらどうなるか、考えてみなさい。家に帰ってあのようなことができますか。(できません)。できる者はいません。地上の皆さんたちにとって、これは話にならないほどの希望の的です。

 だから、イエス様はヨセフの家庭でも、外でも相当努力して失敗したのでしょう?。それゆえに、先生はその内容を復帰しなければならないでしょう。同じ道を行かなければなりません。それをだれに話しますか。お母さんにもだれにも話すことができません。たった一人で考えたのです。

 問題は、強い天的愛情心でもって引っ張っていくのです。そうすれば皆、あふれてしまいます。自分の子供も問題ではありません。だんなさんも問題ではありません。そういうのを一度に切ってしまって、飛び越えるような天的心情に燃え上がるその道を、先生の周囲を中心として摂理の道を開拓するように準備していくのです。

 今からは、納得させて、言葉ですぐに解決する基準に持っていくのです。話して解決してあげるのです。堕落は、こそこそ話してしたでしょう?。愛の話が堕落の最初のきっかけだったのです。それで、これからは愛でもって結末をつけるようにしなさい。復帰の結末は愛でするのです。こうして真理を得るのです。その愛は、家庭愛ではありません。世界を乗り越える愛であり、神様が包容される愛です。真理の世界はそのようなものです。

 ゆえに、先生から祝福されないことより恐ろしいことはありません。一番恐ろしいことは何かと言うと、太陽でもなければ、原爆でもありません。先生が祝福してあげることのできない女性、男性となることです。逆に、一番うれしいことは何かといえば、先生によって祝福されることです。

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