平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

「宗族的メシヤ」の御言葉 ☞ 文先生が「堕落したアダム」として語られたもの  しかし、幹部たちは自分の罪を隠す為に文先生をメシヤとして祭り上げた

本題に入る前に・・・


 1992年以降の御言葉の「アダム」を六千年前のアダムとした為、御言葉の意味が分かったとようで分からないという、意味の薄い、矛盾した、実効性がない御言葉になってしまったのです。
 その為、無理に価値づけしようとして、理解できるところだけをぶつ切りにし、パッチワーク的に理解しようとしてきたのです。当然、御言葉の総観性が無くなってしまい、重要な摂理観までなくなってしまったのです。


 何故、このようなことが起こったのか。


 理由は簡単です。

  


 1960年代に始まった幹部たちの不信と罪を隠す為、結果的に、彼らは文先生の立場を利用したのです。彼らは内心では文先生の蕩減法(「アブラハムによるイエスの典型路程」「妾摂理」)に躓いていたのです。にもかかわらず、彼らは文先生を個人的メシヤ、家庭的メシヤ、統一教会的メシヤとして祭って利用したのです。


 子女様たちからすれば、幹部たちの行動はすべて詐欺師に見えたに違いないのです。


 その為、何も知らない統一教会の信徒たちは、結果的に、この濁流にのみ込まれて犠牲となり、1992年以降、誰も彼も、御言葉が理解できなくなり、摂理が見えなくなってしまったったのです。



ここからが本題です。


昨日の記事の御言葉が下記の〔A〕です。


 この御言葉の「アダム」とは六千年前のアダムではなく、次の二つの理由から文先生であると私は見ています。


 第一の理由は、この「アダム」が六千年前のアダムであるなら、「アダムが堕落しなかったならば」創造目的を完成したことになりますから、「したがって」と続くこれ以降の御言葉は、原則的に必要がない御言葉になります。

 この書籍、「宗族的メシヤ」には「堕落しなかったならば」という言葉、或いは、それと同じような「堕落」という言葉がたくさん語られています。この堕落という問題を六千年前のアダムとした場合、原理基準に亀裂が生じますから、1992年以降、不信の時代が始まったと言えるのです。




 第二の理由は、この〔A〕が語られている下記の全文〔B〕を読み取ることにより、文先生であることが分かります。

 この〔B〕の(※)にある「それでは(イエス様が)いつその血統を換えて長子権基準を復帰したのかを皆さんは知っているはずです。」という言葉から分かります。


 皆さんが、もし、統一原理のイエス路程が分かっているなら、この「アダム」とは六千年前のアダムではなく、あくまでも、文先生であることが理解できるはずです。


何故でしょうか。


統一原理(後編、第二章、第三節の「イエスを中心とする復帰摂理」)からひも解いてみてください。

その答えは次回にします。




〔A〕 宗族的メシヤ(書籍) 第三章 第二節 一 


アダムが堕落しなかったならば、一番目の息子も天側であり、二番目の息子も天側です。


したがって、イエス様を中心としてユダヤ教がアベルであり、ユダヤの国がカインの立場でユダヤの国が完全にユダヤ教の前に一致したならば、長子権が復帰されたその基盤の上で、イエス様は父母の位置にいますから父母の基準をもって国家的次元で接ぎ木することができるのです。


そうであったならば、みなできるのです。




〔B〕宗族的メシヤ(書籍) 第三章 第二節 一 


一 イスラエル長子権の始源


 では、メシヤたるイエスが愛を中心として来たとするならば、イエスの血統は、サタンの血統ですか、神様の血統ですか? これが問題なのです。イエスが出てくるためにはイエスは腹中から長子権をもって生まれなければメシヤになることができないということを知らなければなりません。

(※)それでは(イエス様が)いつその血統を換えて長子権基準を復帰したのかを皆さんは知っているはずです。

旧約時代は、それを準備する時代なのです。メシヤが来ることを知って準備したイスラエル民族がユダヤ教を編成し、歴史時代を経ていきながらその時を合わせていくのです。メシヤが来る時は、国家的時代です。宗教を中心とした国家的時代なので、ユダヤの国とユダヤ教会が一つになってメシヤを迎えるようになっているのであって、ユダヤ教会だけがメシヤを迎えるようにはなっていません。ユダヤ教会がアベルであるならば、ユダヤの国はカインの立場にいます。ですから、いつでも長子権復帰をせずしては上がっていくことができないのです。国家的次元でアベル側がユダヤ教であり、カイン側がイスラエルの国なのですが、カインとアベルであるイスラエルの国とユダヤ教がその当時に一つになったならばカイン・アベル復帰基準が樹立されたはずです。


 そのようになったならば、長子と次子が逆になるので、父母から長子権をそのまま受け継ぐことができるのです。言い換えれば、アダムが堕落しなかったならば、一番目の息子も天側であり、二番目の息子も天側です。したがって、イエス様を中心としてユダヤ教がアベルであり、ユダヤの国がカインの立場でユダヤの国が完全にユダヤ教の前に一致したならば、長子権が復帰されたその基盤の上で、イエス様は父母の位置にいますから父母の基準をもって国家的次元で接ぎ木することができるのです。そうであったならば、みなできるのです。


 ところで、その時にアベルの代表とは誰かといえば、洗礼ヨハネです。洗礼ヨハネが代表なのですね? (はい)。旧約時代には、洗礼という様式がありませんでした。ところが洗礼ヨハネが新しい様式を遂行したのです。それで全部、ヨハネのところに来て洗礼を受けたのです。イスラエルの国は、周辺を一回りするのに四時間しかかかりません。こちら側の端から叫ぶならば、あちら側の端まで聞こえそうな小さな国なのです。うわさが一日、二日でみな広まるのです。このような小さい国が復帰しやすいのですね。神様は知恵深い方であられます。大きい国、中国のようなものを復帰しようとすれば、いかばかり大変ですか。その手のひらぐらいの小さいユダヤの国を中心として、カイン・アベル圏を築いておいたのです。イエス時代にそのアベル・カインを連結させなければならなかったというのです。


 それでは、誰がアベルの位置にいるのでしょうか? 父母になろうとするならば、結婚しなければならないですね? イエス様が結婚する前には、イエス様がアベルであり、カインは誰ですか? (洗礼ヨハネです)。それで、イエス様と洗礼ヨハネが一つになるならば、ユダヤ教も自然に連結され得る位置に立つようになります。ですから、洗礼ヨハネさえ言うことを聞いたならば、アベル圏とカイン圏が自動的に一つになるのです。そうなるならば、もっと広がってイエス様とユダヤ教と洗礼ヨハネと全部、和合した立場でユダヤの国が和合するのは、時間の問題だというのです。ですから急ぐ必要がなかったのです。ところがそれがならなかったというのです。カインが一つにならなかったのです。


 それで、メシヤは、必ず国を中心として来なければならないというのです。なぜでしょうか? サタン世界が国を単位としているからです。分かりますか? それで、アベルの国を中心としてカインの国々を屈伏させなければなりません。これは、ヤコブの家庭におけるヨセフの役事と同じなのです。十一人の兄弟が全部ヨセフを殺そうとしたのです。そして、エジプトに売り飛ばしたのですね? ところがエジプトに行って総理大臣になって父母からその一族が全部滅びそうになったとき、生かしてあげるようになるや、彼らが全部屈伏することによってイスラエル圏家族基盤が復帰されたのです。誰を通じてですか? (ヨセフを通じてです)。イスラエル六十万大軍がそのエジプトの国から出発し始めるのです。そうしてこれがカナン復帰するアベル圏民族的大移動時代へ入っていくというのです。それでアベル圏を中心として新しい天地を編成してくるのです。


 さあ、それならばイエス様はいつ血統的に転換したのでしょうか? これが問題なのです。これを母の胎内に押し込めなければならないのです。そうではありませんか? 長子が、サタン側が先に出てきたので、そうして天理の大道を盗んだので、これをこのようにX化して交替しなければならないのです。どこでですか? 胎内でです。


 カイン・アベルの歴史とは何ですか? 弟がお兄さんの長子権をひっくり返す歴史なのです。生んでおいてひっくり返します。世界の人たちをみな、生んでひっくり返しておき、その次にだんだん狭めていかなければなりません。それをもう少し近い段階でひっくり返すものが何かといえば、エサウとヤコブなのです。エサウとヤコブ。双胎(注¨胎内にいる双子)を中心としてひっくり返すのですが、双胎はひっくり返しやすいのですね?(はい)。カインは、出て全部ひっくり返されたので、弟を打ち殺したのです。


 これは、兄と弟が双胎で生まれたので心情圏においては、みな通ずるというのです。双子は、弟が悲しむならば、兄も悲しむようになっているのです。そのように通ずるのです。そのような立場で、近い位置で双胎を中心として復帰するのです。


 復帰は、誰がするのかといえば、母がしなければなりません。堕落して誰がカインを生んだのかといえば、母が生んだので、復帰過程でも母がしなければなりません。母子協助を中心としてしなければなりません。ここから母は何をしたのでしょうか? 母は何をしたのかといえば、ヤコブを中心としてエサウをだましました。そのようなよこしまな者をどうして天側で選ぶことができるのでしょうか?


 エバというものをじっと考えてみると、エバは誰をだましたのかといえば、父なる神様をだまし、自分の夫をだましました。その次には、自分のお兄さんをだましたのと同じなのです。


 それと同じくリベカは、神様の代身であるイサクをだましたのです。また、夫の代わりに誰をだましたのですか? 自分の長子をだましたのです。長子をだましませんでしたか? エバは、神様をだまし、自分の夫であると同時にお兄さんをだましたのではありませんか? (エバの)兄は、(アベルあるいはヤコブの)兄の位置にいるのですね。長子の立場にいるのですが、それをだましたのです。


 だまして反対にもっていったので、蕩減復帰の原則を中心として見るならば、これは天のみ旨を中心として、母が次子を中心として二人の男をだましたことになるのです。エバが神様をだまし、夫をだましたので、ヤコブが母と一つになって、父と自分の兄をだまして蕩減復帰するのです。


 それで、母子協助することによって何をしようというのでしょうか? 長子権を探し求めるのです。兄が狩りに行って帰ってきた時、パンとレンズ豆のあつもので長子権を売ったので復帰の条件に引っかかったのです。売ったので、実際行動をするときは屈伏しなければなりません。それでここから初めてイスラエルという名前をもつようになったのです。初めて長子権を復帰したイスラエル圏になったというのです。


 けれども、取り替えはしたのですが、双胎の兄弟を中心として取り替えましたが、まだ、胎内では交差できませんでした。それで、ユダを通じて、どんなことが起こるのでしょうか。ユダはヤコブの四番目の息子です。ユダには息子が三人いました。その長男の嫁が誰かといえば、タマルという女なのです。タマルは、神様の祝福を受けた血族がいかばかり貴いかということを知っていたのです。それでその血族を受け継ぐためにはどんなことでもしようとしたのです。


 ここでおもしろいことには、カインとアベルの時もそうしましたが、エサウとヤコブの時にも二人が胎内で争いました。胎内で争ったのです。その時、この二人の子が胎内で争うので「私は、どうなることか」と言って神様の前に祈祷しますと、神様が、「あたなの胎内には、二つの国民があり、大きい者は、小さい者に仕えるであろう」と、このように語ったのです。あとで何かの説明があってそれを解釈することができるのでしょうか? 長子復帰、次子を通じて長子復帰する争いの路程を経ていかなければならない私たちの原理を知っているので明らかなのですね。


 タマルもやはり同じなのです。タマルが懐胎したその二人の子が争い、神様に祈祷すると神様がエサウとヤコブの母リベカに語った言葉と全く同じ返答をするのです。「あなたの胎内には二つの国民があり、大きい者(兄)は、小さい者(弟)に仕えるであろう」と。


 こうしてペレヅとゼラが生まれました。ところで兄であるゼラの手が先に出てきたのです。ゼラの手が先に出てきたのでそこに産婆が赤いひもを結んでおきました。これは、後代に対する証拠のしるしとして見せてくれるのです。後代に必ず共産主義が出てくることを予告したのです。そのゼラを押しのけて長子の権限を回復するためにペレヅが胎内で兄を引っ張っておいて生まれることによって、ここで次子が初めて長子復帰をするようになるのです。それで押しのけて出てきたという意味でペレヅという名前をつけたのです。


 このようにリベカの伝統歴史、タマルの伝統歴史、すなわち、血統転換の戦いの路程を通じて胎内で長子を次子につくり、次子を長子につくることによってここで初めてイスラエル歴史の過程での長子権が始まったのです。分かりますか?(一九八六・一・三一、漢南洞公館)


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