平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

1960年に ➡ 「文先生が新しい歴史の出発者」であることをあらわしている御言葉


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1960年 ➡ 「文先生が新しい歴史の出発者」であることをあらわしている御言葉
 ◆文先生は 6000年の縦的歴史を横的に蕩減復帰する立場に立たれた
 ◆文先生の御言葉は 天一国言語(アダム言語)に翻訳して読まなければならな
  (文字どおり読んだら ➡ 意味不明 命の蘇生がない みんな御言葉から離れる)  
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御言葉の二重的意味
たとえば、文先生の御言葉に「6000年」という言葉があった場合、これは過去の縦歴史の「6000年」の歴史を直接言っている。しかしこれは第二義です。第一義は文先生を中心とした横的蕩減路程(40年サタン分立路程、7年路程、21年路程)を語られているのです。
あくまでも、文先生はご自身の複雑極まる路程を「6000年の歴史」という言葉に凝縮させてあらわしているのです。


他にもこのような語り方がほとんどです。
たとえば、縦的な過去の人物たちの名をもってご自身の横的蕩減復帰を語られている。これは過去の人物のことを語ることが目的なのではなく、文先生(中心家庭)がその人物の立場を再蕩減している真っただ中である為、直接語ることができない為、その時の縦的歴史の人物の名をもって横的に蕩減復帰する立場でご自身(中心家庭)を語られていたのです。


① 真の父母経 第七篇 第三章 第五節


15  歴史時代の宗教者の中で、世界的に最も迫害を多く受けた代表的な路程を歩んだアベル的な一人の人物が、二十世紀後半(1960年)に現れたお父様です。



➁ 黒・天聖経 ⑯天一国主人の生活 第四章 六 1. 


先生の説教集を調べてみてください。四十年前に語った話や、今語っている話がそのとおりになってきているのです。全て読んでみましたか。説教集を読んでいますか。(はい)。私は、イエス様をこの上なくよく知っている人です。「真の父母」という名前は、六〇年(1960)から生じたのです。歴史時代に「真の父母」という名前が登場したという事は、驚くべき事実です。



③ 真の御父母様の生涯路程4 第一節 三 


 一九六〇年度に「父母の日」が設定されましたが、この「父母の日」は、歴史時代に父母が誤ったすべてのことを、霊的に、肉的に蕩減した勝利の基盤の上においてのみ設定されるのです。



以下の④⑤⑥⑦は「1960年」と「新しい歴史時代」がセットで語られている御言葉です。



④ 赤・真の父母経 第五篇 第二章 第一節 


27  私たちは、一九六〇年を中心として新しい勝利の基盤を準備することができました。すなわち、二千年前にイエス様が願った基準を、この地上で復帰できる摂理 の基盤を準備したというのです。このような途方もない歴史的な基点が準備できたので、一九六〇年から新しい歴史時代に入るようになりました。


⑤ 真の父母経 第五篇 第三章 第一節


3  
一九六〇年に聖婚式をすることによって、父母の立場を縦的に決定しました。ですから、復帰の過程を経る皆さんは、そのような形の道を歩まなければなりませ ん。それで、「父母の日」を設定して、横的な立場で「子女の日」を宣布するようになったのです。そうして、父母様を通して、み言復活、心情復活、実体復活 が出てきました。このようになったので、初めて一人の男性を中心として祝福を成し遂げ、新しい歴史時代へと入っていけるようになったのです。そうして、皆 さんに対しては父母になったので、皆さんを新時代の息子、娘として祝福してあげるのです。



⑥ 祝福家庭と理想天国(1) 祝福と理想家庭 第五章 第一節 2. 


 先生も統一教会を中心として、満四十歳の時である一九六〇年度を中心として、天的なプログラムの向きを変える基盤を築きました。それゆえに、世界は一九六〇年度を中心として新しい歴史時代に入っていくというのです。



⑦ 祝福家庭と理想天国(1) 祝福と理想家庭 第六章 第一節 6. 


一九六〇年代から、新しい歴史時代に入ったという事実を知らなければなりません。新しい歴史時代に入ることによって、新しい氏族がここに顕現するでしょうし、新しい国家、新しい世界の形態がここに現れるようになるというのです。今までこのような起点を中心として、統一教会では数次にわたって祝福行事を挙行したのです。


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