平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

①家庭連合の脳みそが豆腐の「おから」か??・・・逃げられない、家庭連合の過ち!!

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1. 聖書の人物名は誰のことか?

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 お父様の御言葉には聖書の人物名がたくさん出てきます。その人物名をそのまま文字どおり解釈すると、原理で学んだ聖書の人物のあり方と違いが生じていることが分かります。


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2. 例えば・・・

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① み旨と世界 (書籍) 34.全体蕩減 「エバの再創造と家庭安息基盤の確立」1983年4月3日 韓国 ニュー・ソラクホテル


 「再創造原理において、アダムはアダムの責任を果たせないで、エバを堕落させたんだから、アダムは再び、エバを創造しなければならない。」


 (六千年前のアダムは再創造する立場ではない。ならば、このアダムとは誰か??

また、六年前のエバがアダムを堕落させたのであって、ここでのアダムがエバを堕落させたというアダムとエバとは誰のことか??



➁ 蕩減復帰の峠を越えましょう  (女性修練会) 1993.12.20


 「第一代のアダムの奥さんを殺したのは女だから、第一代のアダムの代わりお母さんが、自分の娘を一つにして、方向転換してやらなければならないのです。」


(この御言葉の「女」「代わりのお母さん」に対応するアダムとは六千年前のアダムのことではない。ならば、このアダムとは、女とは、代わりのお母さんとは、自分の娘とは、一体誰のことか??



③ 真の自分を探しましょう  (女性修) 1993.12.19


 『本当にそうなるべきです。「君が妾である」と。

夫婦が共に公文を出して、舅と嫁がレアに対して、「この者!」と、一人が主張した場合には、本妻は妾の立場で一つにならなければ駄目です。』


 (五千年前のレアとラケル時代には「公文」なんかありませんでしたから、この「公文」とは統一教会の公文になりますので、ならば、ここでのレアとラケルは統一教会の女性になります。それは誰か??



④ 御父母様の生涯路程10 第二節 二


 「レアとラケルが一つにならなければなりません。ここで心情圏の分裂が起きてはいけないのです。ここで一体圏を成さなければなりません。レアとラケルが双子のようになった立場で、アベル的夫人とカイン的夫人のような立場で、これを完全に取り替えても一つになることができる心情圏をつくらなければなりません。兄が弟になっても喜び、弟が兄になっても喜ぶことができる内的基盤の一体圏をつくっておかなければなりません。そのような過程を経てお母様を迎えるようになったのが一九六〇年度でした。


 (1960年度のレアとラケルとは誰のことか??



⑤ 蕩減復帰の峠を越えましょう (女性修練会) 1993年12月20日 韓国・済州研修院


 「だからサタンは、ヤコブの時に、ヤコブは神の選民として帰る代表の家庭です。そのヤコブの家庭によって、堕落したすべてを清算していかなければならないのです。」


 (「堕落した全てを清算」するとは・・・五千年前のヤコブのことではありません。ならば、このヤコブとは誰のことか??




 いかがですか。それでもあなたは御言葉の聖書の人物名を文字どおり解釈しますか??もしそうなら、家庭連合のあなたの脳みそが豆腐の「おから」のようなものです。

他にも沢山あります。



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3. シチュエーションが一致

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 上記から、原理で学んだ聖書の人物のあり方と違っていることがお分かりいただけたと思います。

 この違いがはっきり分かる場合と、分からない場合があります。分からない理由は、聖書の人物のシチュエーションが現実に起こっているお父様とお母様と洗礼ヨハネ的人物のシチュエーションが一致しているため、聖書講義のように語られているのです。特に、カインアベル問題はそのようです。


 幸いに、お父様は聖書の人物名だけで話したのでは、聞き手、読み手が理解できないだろうと判断されてのことと思いますが、長い御言葉の後ろの方に、その人物に該当する方を上げていることが多くあります。


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4. 二千年前、文字どおり解釈したエリヤ問題

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 このような御言葉の問題は、ちょうど、二千年前のエリヤの問題と同じ問題を私たちに投げかけているのです。


 つまり、イエス様がメシヤとして顕現した時、洗礼ヨハネがエリヤであることを否定してしまった為、結局、律法学者たちは旧約聖書にしがみつかざるを得なくなくなってしまったのです。


 つまり、旧約聖書には先にエリヤが来てからメシヤが来るの記されていた為、火の車に乗って昇華したエリヤが火の車に乗ってエリヤ本人が来ていないことから、彼らはメシヤのイエス様を否定して、律法に照らして正義感をもってイエス様を十字架で殺害したのです。



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5. 幹部たちは御言葉の意味を理解していたはず

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 少しややこしいが、エリヤの問題と同じようなことが統一教会において繰り返されたのです。


 つまり、お父様とお母様の生活圏の近くで、お父様とお母様を常に見て、聞いていた幹部であれば、たとえ、お父様が聖書の人物名をもって語られた御言葉であったとしても、聖書のシチュエーションとは違うのですから、お父様の波動からしても誰の事を言っているのかを理解していたと見るべきです。


 このことは非常に重要になります。


 お母様と洗礼ヨハネ的人物たちに分からないことがあれば、謙虚になってお父様にお伺いすれば良かったのです。しかし、全て自分を中心に処理した為、自動的に御言葉に対して沈黙し、不信が積もって、最後はメシヤに対して反発することになったのです。


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6. しかし、幹部たちは、あえて、文字どおり解釈して御言葉を理解しない立場に立った・・・何故か??

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 更に重要なことがあります。


 それは、一般信徒たちにとっての問題です。

 一般信徒たちにとって、お父様とお母様、そして、洗礼ヨハネ的人物の実際のシチュエーションが分からない為、時間差をもって知らされる御言葉からでは、何が起こったのか、知ることは全く不可能であったということです。


 つまり、お父様の愛のために、彼らの罪が信徒たちの目にさらされないようになっていたということです。その為、お母様と洗礼ヨハネ的人物、幹部たちにとって、自分の罪を隠す為の苦労は必要なく、その為、信徒たちが無知であった方が献金から自分たちの利益を得ることにつながったのです。


 このような観点から、彼らは、理解していた御言葉を理解しない立場に立ってお父様と向き合っていたのです。


 まさに、御言葉を知ってエバを堕落させたサタンの顕現です。



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7. ユダヤ教と同じ立場に立場に立つしかなかった今の統一教会

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 お母様と洗礼ヨハネ的人物たちがお父様の御言葉を理解しても、自分の為に、あえて、理解しない立場に立ったことは容易に理解できます。


 その為、統一教会の信徒たちは、今でも、御言葉が意味不明であっても、ただ、聖書の人物をそのまま文字どおり解釈するしかなくなってしまったのです。

 そうなることにより、御言葉が空洞化して、御言葉の生命力が弱くなり、訓読会すら継続することができなくなってしまっているのです。



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8. 大事件が発生

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 ところが、ここで大事件が起こりました。


 予想もしていなかったお父様の聖和です。そして、聖和の後、三つに分裂することが起こったのです。

 この事件により、家庭連合が隠していた、お父様とお母様、洗礼ヨハネ的人物たちの過去の事実がどんどん明るみに出たのです。


 その出所となったのは三男派と七男派の信徒たちから発信されたブログでした。


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9. 私のブログが出たのは必然的

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 お父様とお母様と洗礼ヨハネ的人物たちの過去のシチュエーションが誰にも知ることができるようになると、私のようなブログが登場したとしても、必然的であると言わざるを得ないのです。



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10. 文先生がメシヤであったことの証明

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 原理は公理であるため、お父様とお母様と洗礼ヨハネ的人物のシチュエーションが、予め提示された原理に一致することが分かれば、まさに、お父様はメシヤであったことの証明でもあるのです。


 御言葉の中に登場する聖書の人物名は、同時性の観点から、その時代と同じような使命をもっているとは言え、世界基準となった成約時代の人物である為、非常に複雑でもありますので、しっかりと原理基準をもって整合性を取って読まなければなりません。


 御言葉を読み返していく度に、若干の解釈に手直しが発生することがあったとしても、実際のシチュエーションから大きく離れることはありません。


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11. 晩年のお父様は・・・まるで悲劇のピエロのようだった

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 御言葉をあえて理解しよとしないお母様と洗礼ヨハネ的人物たちによって、晩年のお父様はどんどん窮地に立たされるようになりました。


 摂理が延長されればされるほど、お母様による主管性転倒が決定的となり、この時代圏の御言葉はますます抽象的になっていったのです。


 聖和が迫っていた時のお父様は、十字架にほふられるイエス様と同じように、あまりにも弱々しいお父様に見えたのは真の愛によるものであったのです。

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