平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

文先生の原罪  ①【御言葉】《祝福家庭と理想天国(1)  祝福と理想家庭  第三章 第四節 4.

律法学者のようなお方には分からない
下記の御言葉に語られている「アダムとエバの堕落した様相」を知れば、このアダムとエバとは、原理講論に記された六千年前のアダムとエバの堕落のことではないことが容易に分かるはずです。
しかし、旧い時代にしがみついている律法学者のようなお方には、文先生の原罪を認めませんから、それが分からないのです。
(もちろん、文先生の原罪は六千年前のアダムとエバの原罪とは定義性が全く違います。)

文先生は私たちの罪の全てを引き取られた真の父です


「原理講論」と下記の「御言葉」にある一つ一つの言葉の定義性をもって理解すれば、この御言葉のアダムとエバに該当するお方は文先生とお母様になるはずです。この御言葉も天聖経も同様です。文先生が1998年に摂理的事実を残す為に直接編纂され発刊した書籍であり、私たちに繰り返し読むように語られた御言葉集です。

祝福家庭と理想天国(1) 

 祝福と理想家庭 


第三章 祝福の意義と価値

 第四節 祝福を受けるための蕩減条件


  4、祝福を受けるための基台


 罪悪世界は、個人から始まって、家庭、氏族、民族、国家、世界へと拡大されてきました。神様もそのような基台をつくっていこうとすれば、天使長圏、あるいは僕圏を広げていかなければなりません。そこから次第に、養子圏、実子圏にまで広げていかなければなりません。実子圏内にもカイン・アベルがあります。堕落した父母によって生まれたカインとアベルは、互いに争って落ちていきました。カインとアベルが完全に一つとなったという基準を立てなければ、堕落圏を越えることはできません。


 堕落圏は、実体基台を立てることによって初めて、克服することができます。そうして、完成基準に入ったといえども、サタンから受け継いだ血統的な原罪は、まだ清算されていない状態なのです。


 原罪を清算するためには、必ずメシヤが必要です。ですから、信仰基台、実体基台、メシヤのための基台は、堕落した人間に絶対に必要なのです。最後の問題は、メシヤのための基台を造成して、メシヤを迎えて自分の血統転換を成さなければならないことです。そうして、神様の真の子女の立場に立てられなければなりません。(207・82.04.26 米国 ベルベディア修練所)


 祝福は、カイン・アベルの基準を復帰した立場に立たなくては受けられないのです。父母の前に戻ろうとすれば、カインとアベルが一つにならなければなりません。そうでなければ、父母のもとに戻れないのです。復帰がそうだというのです。アダム家庭において、カインとアベルが一つになって復帰するのが原則です。(208・78.09.22 日本 神川村)


 私たちの統一原理で、信仰基台と実体基台を中心として成そうとするのは何でしょうか。堕落する直前は、約婚の段階であるので、堕落しなかったアダムとエバの立場に復帰しなければならないというのです。それでは、堕落する前の約婚段階に復帰するには、どのようにしなければならないでしょうか。


 アダムとエバが偽りの愛で堕落して偽りの父母になり、この偽りの父母を中心として三人の息子であるカインとアベルとセツ、そして彼らの妻まで含めて八人の家族が堕落した立場なので、この八人の家族の形態を復帰するための内外の内容が、すなわち信仰基台と実体基台だというのです。これを復帰した後に、天の父母に侍って越えていかなければなりません。


 ここで、天の父母が誰かといえば、すなわちメシヤです。ですから、実体基台を通過した後には、必ずメシヤのための基台が造成されなければなりません。堕落した人間の前に、このメシヤがいなくては、本然の位置に復帰できません。堕落したアダムとエバの後孫である人間は、誰かれを問わず、メシヤを迎えることができなければ、原罪を脱ぐことはできないのです。(209・72.09.25 韓国 水沢里中央修練所)


 人類の先祖であるアダムとエバは、自分たちを中心とした誤った愛で堕落しました。自分たち同士の愛を中心として、天使長を介入させ堕落することによって、神様を追放し、本然の真なるアダムの人格を追放し、本然の真なるエバの人格を追放した結果をもたらすようになったのです。


 このように神様の許さなかった愛の因縁を導入することによって、私たち人間には何が生まれたのかと言えば、原罪というものが生まれました。ですから、私たち人間はこの原罪を脱ぐことが問題です。ところが、私たち人間が偽りの父母によって生まれたので、真の父母の愛の因縁を再現させなくては、この原罪を脱ぐことができません。原罪は偽りの父母の愛によって植えられたので、この愛を否定するためには、真の父母を中心とした愛の基盤がなくてはならないのです。(210・78.09.22 日本 神川村)


 原罪のある人は祝福の場に出られません。サタンの血統的内容を自分の体の中にそのままもっている立場なので、神様を中心とした祝福の場に出ようとしても、出るべき道理がないのです。ですから、必ず原罪を清算しなければなりません。この原罪は、偽りの父母の愛によって受け継がれたので、これを清算しようとすれば、真の父母の愛を中心として蕩減条件を踏んで立たなくては、脱ぐべき道理がないのです。この原罪を脱がなければ、完成した夫婦の立場での、神様の愛を中心とした祝福はあり得ないのです。


 生命は愛を起源として誕生するのですから、皆さんは真の父母の愛を中心として一体とならなければなりません。そうでなくては、復活の役事を体験できないのです。これを通過した後に、天国の法度を立てていくことのできる、堕落しなかったアダムとエバの資格を継承し、完成段階で神様から初めて「善なり」という公認を受けてこそ、祝福を受けることができるのです。それゆえ、このような三段階過程を経るのです。(211・78.09.22 日本 神川村)


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