平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

父から受け継いだ「河野太郎」の汚点・・・本質が見えない自己中人間??

絶対に、河野太郎を日本の首相にしてはならない!!
宗教弾圧者になった岸田政権、河野太郎



🔶 取り消した
   外務大臣 河野太郎 からもらった「表彰状」



モザンビーク・宝山晶子さんの外務大臣表彰取り消しについて【統一教会批判が宗教弾圧の証明】(2022年11月9日)






🔶教育を通してモザンビークに貢献した20年


教育を通してモザンビークに貢献した20年 – WFWP 世界平和女性連合


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   宝山晶子さんの証しから・・・ほんの一部を抜き出しました。

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長女の事故死乗り越え/教育プロジェクト推進
 もちろん、今日まで派遣員としてアフリカで活動することは容易ではありませんでした。私には3人の幼い子女がいましたが、夫に任せて日本を発ちました。3か月もすると無性に子供たちに会いたくなり、夜半の3時には枕をぬらす日々でした。そのとき、アフリカの奴隷に思いをはせました。私は電話やFAXで家族と交信できますが、奴隷たちは家族と永遠の別離を強いられたのです。モザンビークには200万人の奴隷がいたといわれています。


 また、日本女性が内戦終結後間もないアフリカの国で生きていくのは、容易ではありませんでした。治安が非常に悪く、自宅で4回強盗に襲われました。そのうち2回は6人以上の集団強盗でした。手足を縛られ、さるぐつわをかまされ、顔面を何度もなぐられました。ピストル強盗も2回。いまこうして生きているのが不思議なほどです。


 初の総選挙が行なわれた94年10月、日本に残してきた7歳の長女が事故に遭い、危篤になりました。選挙の前日でしたが、私は急きょアフリカを縦断する飛行機に乗り帰国。機内では息苦しく、窒息しそうでした。再会した長女はすでに意識がなく、亡くなるまでの6か月間、主人と交代で看護しました。


 亡くなる数日前、長女は清楚な姿で夢に現れ、「お母さん、私は大丈夫。アフリカで頑張って」と言ってくれたのです。ここまでアフリカで活動を続けてこられたのも、そのときみた夢が原動力になっています。


  末筆ながら、今日までWFWP日本本部のたゆまぬ内外の支えと、数多くの連合会の支援、そして理解ある多くの日本の皆様の支えがあってこそ、アフリカで教育支援プロジェクトが成し遂げられたことを誌面をもって感謝をささげます。


(WFWPモザンビーク派遣員:宝山晶子)



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