平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

次がある 「統一教会問題」は まだ 助走にすぎない ☞ 『本当は 連合赤軍問題!!』 商業主義 ミヤネ屋、週刊文春・・情報の小出し(ミスリード)

この記事は、事情があって、後に非公開となります。



   


 「週刊文春」は、山上容疑者の父に関する事の重大さを知りながら、この時点(7月21日号)では、まだ、記事にしていない。商業主義の性(さが)のため、独占したスクープは常に分割して小出にして連続的に引っ張ることである。


 その次なるスクープとは何か。
 それは、山上容疑者の父親の問題になる。『山上容疑者の父親はテルアビブ空港乱射事件(1972年)を起こして死んだ、日本赤軍の安田と大学が京大で一緒の、マージャン仲間だった』ということだ。その記事は、次号(7月28日号)に出た。これは、後の記事になる。
 
 ミヤネ屋が統一教会問題で視聴率をあげているように、「週刊文春」も同じである。連合赤軍の問題を取り上げる前に、安倍元首相暗殺の本質にお母さんの統一教会問題が絡んでいるように扱い、これでひと稼ぎしよと企んでいる。
 奈良県警は、山上容疑者の自白をそのままなのか、一部分なのかは分からないが、統一教会問題としてメディアに伝えた。それには彼らの思惑があったのだと思う。つまり、山上容疑者の母親と父親の背景を知れば、統一教会問題を理由とした自白が、山上容疑者の暗殺理由になった決定打ではないことぐらいは分かっていはずだ。
 警察は、次に来る問題が連合赤軍問題になるという、あくまでも、統一教会問題は泳がせ的な助走であり、当て馬にすぎないと知ってやっているのだと思う。
 果たしてどうなるか???


source : 週刊文春 2022年7月21日号


山上徹也 伯父が告白150分「父の自殺と母の統一教会1億円」

総力取材「安倍元首相暗殺」

「週刊文春」編集部

2022/07/13

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ニュース 社会 政治



 38年前、京大卒の父が自死する。母は統一教会に入信し財産をほぼ寄附して、再三、韓国に渡るようになる。さらに1歳上の兄が難病で失明した。山上は奈良有数の進学校に通いながら、大学進学もままならず、入隊した海上自衛隊で自殺未遂。事情聴取に語ったのは、統一教会への恨みだった。銃撃事件を聞いた母は洩らした。「教義に反することは…」。



「ドーン!……ドーン!!」。7月8日、午前11時31分。憲政史上最長、通算8年8カ月にわたって日本を率いた元首相を2発の凶弾が襲った。終始不気味なほど冷静に、許されざる大罪を犯した容疑者は、一体何者なのか。

 



「あの子の母親は統一教会の催しで韓国に入り浸ってなかなか帰って来なかった。あの子は宗教にハマる母のことでずっと思い悩み、長いこと苦しめられてきたんですわ」


 こう告白するのは傘寿が近づいても矍鑠(かくしゃく)とした様子の“暗殺犯”の父方の伯父、その人である。今回、事件の背景をきちんと報じてほしいと、合計2時間半に及ぶ小誌の単独取材に応じた――。


 参院選投開票日を二日後に控えた7月8日、午前11時29分。安倍晋三元首相(67)は、奈良県の近鉄大和西大寺駅前で応援演説のため壇上に立った。その背後に、マスクに眼鏡、灰色のポロシャツ姿の男が忍び寄る。直後、立て続けに二度轟音が鳴り響き、たちまち白煙があがった。


「2発目が後ろを振り向こうとした安倍氏の左胸と首を貫通。約6メートルの至近距離からの発砲でした」(社会部記者)



安倍元首相

 11時32分、奈良県警が殺人未遂容疑で現行犯逮捕したのは、無職の山上徹也(41)。現場では長さ40センチ、高さ20センチの手製の銃が押収された。奈良県立医科大学附属病院に救急搬送された安倍氏の死亡が確認されたのは、約5時間半後の午後5時3分。死因は左上腕部を撃たれ、動脈が損傷したことに起因する失血死だった。



凶弾に倒れた安倍元首相

 なぜ山上は安倍氏を付け狙い、黒色の粘着テープで巻かれた鉄パイプの銃口を向けたのか。彼がその薬莢に込めたのは、30年余にわたる怨嗟だった。



送検される山上


 1980年9月、山上は奈良市内で次男として生を受けた。父は京都大学工学部を卒業し、民間企業で働く土質の技術士。母は同市内で建設会社を営む裕福な家庭で育ち、大阪市立大学生活科学部を卒業した才媛だった。


「二人の出会いはお見合い。旦那さんは全国を飛び回るトンネル工事の現場監督でした。結婚直後に勤務していたのは、福井県敦賀市の現場。徹也くんが生まれたのは和歌山県の下津の現場にいた頃です。それから同県田辺市の熊野古道中辺路などで作業に従事。現場が変わるたびに、奥さんと子供たちを連れ、関西圏を仕事で飛び回る生活を送っていました」(知人)


「勉強ができる優等生」

 だが、幸せな生活は突然終わりを告げる。山上が4歳を迎えた84年12月、父が自死を遂げたのだ。伯父が、弟を失い、悲嘆に暮れた当時を振り返る。


「トンネルの事故で……とか、急死した、と周囲に説明したこともありましたが、実は自殺なんです。その直前の1、2年は、ずっとトンネルを掘るために山の中で生活するハードな日々でした。鬱とアルコール(中毒)の混ざったような状況やったな。自殺直後に警察署の事情聴取に私とA子(山上の母親)が行ったとき、お腹が大きい彼女が寒そうだったので、私の背広を被せてやったのを今でもよく覚えています。徹也の妹が誕生したのは、私の弟の自死から2カ月後の85年2月のことでした」


 大黒柱を失った一家四人はその後、親族の支えで生活を立て直していく。同年4月、伯父はA子さんを不憫に思い、毎月5万円程の資金援助を約束した。その後、山上は地元の小、中学校に進学。当時の同級生が次のように語る。


「山上は『こてつ』というあだ名で呼ばれていた。大人しくて、リーダーシップのあるような子ではなかったけど、中学時代はバスケットボール部に所属。なかなか上手いなぁという印象やった」



山上(小学校の卒業アルバム)

 バスケットボール部では3年時にレギュラーの座を獲得。同級生は「勉強ができる優等生」「努力家」と口を揃える。彼は、周囲にほめられると照れ臭そうにはにかんだという。


「意思が強く、周りに流されない。みんながB’zやワンズが好きだと言っていても、自分は(少し世代が上の)ブルーハーツが好きだと言っていたのが印象深い」(別の同級生)


 だが、その頃、すでに家庭内には薄黒い澱が溜まっていた。


 伯父の手元には、2007年に亡くなった妻が遺した手書きのメモがある。


「統一教会 発覚」


 メモの日付は、94年8月。伯父が、約9年間にわたりA子さんに援助してきた生活費が統一教会に流れていた事実を知った瞬間だった(15年に世界平和統一家庭連合に改称。本稿では統一教会と記述する)。メモをもとに計算すると、合計金額はそれまでの9年間で数百万円以上にのぼっていた。伯父はこの時初めて、いつの間にかA子さんを呑み込んだ教団の存在を目の当たりにしたのだった。


「彼女が統一教会にハマったきっかけは二つあったと思います。第一に夫の自殺。実は、その自殺の3年前の81年9月にA子は実母を亡くしているんですわ。二つの死を乗り越えるため、救いを求めたのでしょう。徹也は、そんなA子と統一教会を心から嫌悪していったんや」(伯父)


 7月11日、都内で会見した世界平和統一家庭連合の田中富広会長は、A子さんが入信した時期について98年頃だと述べた。だが、A子さんの別の親族に確認すると「教団と関わりを持ったのは夫が自殺(84年)して間もなくのこと」だという。


「目の色が変わってしまう」

 伯父が言葉を続ける。


「A子は私の弟、つまり徹也の父が亡くなった後、生命保険金の5000万円を2000万円と3000万円に分け、それぞれ一括で統一教会に寄付していました。また、先祖の霊を慰める『先祖解怨式』に複数回参加していた。1回70万円、4回やって280万円ですよ」


 山上家を襲ったもう一つの不幸は、長男の身に降り掛かった病だった。


「実は、徹也の一つ上の兄は小児がんを患っていて、小学生の頃、頭蓋骨を開く大手術をやったんです。抗がん剤治療もしたのですが、その際に、片目が見えなくなってしまった。長男は運動神経が良く、野球をやらせると、サウスポーでいい球を投げていたんですよ。でも手術後、A子が『万が一、もう一つの目にボールが当たって見えなくなったら困るからやめてくれ』と言って野球をやらせないようにしたんです」(伯父)


 A子さんは、病気の長男の救いも、宗教に求めた。まるで取り憑かれたように宗教活動に心血を注ぎ、韓国にある統一教会の聖地・清平を頻繁に訪れた。あるときは長男を同地に連れて行き、40日にわたり教会の教義や祈祷を受ける「40日間修練」を体験させた。


「腰痛の治療もあって参加させた」


 彼女は伯父に対し、そう語ったという。統一教会の存在を知ってから、伯父は悩みに悩んだ。いくら援助してもすべては統一教会に流れてしまう。懊悩の末、資金援助を打ち切るという苦渋の決断を下した。だが、その後もA子さんはお金に困ると伯父のもとを訪れ、こう懇願するのだった。


「すべての霊が慰められる。夫の霊も慰めてやらなあかん。だからお義兄さん、これ払ってもらえませんか」


 伯父が忌まわし気に回顧する。


「金の無心は嫌というほど味わいました。二日に渡って『金を貸してくれ』と来たもんだから、『帰れ!』と言うて、お茶ぶっかけたこともありますわ。そこまでしても、その後も私の弁護士事務所まで来たり、韓国からも電話をかけてきた。統一教会のことになると、まるで目の色が変わってしまうんです」


 94年当時、山上は中学2年生。伯父という経済的支柱を失った一家はますます生活苦に喘いだが、A子さんの信仰心は増すばかりだった。A子さんの妹の夫が証言する。


「当時、A子を経済的に支えていたのは、建設会社をやっていた父。子を抱えるA子にお金を援助するたび『早くに夫を亡くして子供を抱えて、仕方ねえなぁ』とよく言っていました。やがて私のところにも金の無心があったので断り、今でも関係を遮断しています」


 そして、目を潤ませ、唇をきつく噛んだ。


「こんなことを言ってはなんだけど、徹也が可哀想だった。子供にとって母親は絶対でしょう。だって母親を(銃で)撃つことはできないから……。彼を庇うことはできないけど、そう思ってしまいます」


 98年8月、A子さんは実父が購入した東大阪市の土地を勝手に売却。それにより父娘関係に亀裂が生じた。そして、その約2カ月後、実父は娘の将来を案じながら生涯を閉じた。だが、身内の不幸に際し、A子さんはさらに信仰心を深めていく。彼女は実父が興した建設会社の代表取締役に就任すると、相続した一軒家など複数の所有物件を99年3月に売却したのだ。


「自宅の売却金で2000万円、建設会社の事務所の売却金で2000万円。それぞれA子は一括で統一教会に寄付してしまった。さらに(実父が)所有していたゴルフの会員権や、夫の生命保険(前述の5000万円)などを含め、私が知る限りで1億円以上を統一教会に注ぎ込んでしまった」(伯父)


 統一教会を長く取材するジャーナリストが補足する。


「教会内では献金のことを隠語で『K』と呼びます。多額のKをしている人は『篤志家』と呼ばれるようになる。事件後にA子さんについて聞くと、内部では相当の篤志家として知られた存在だと分かりました。また統一教会では結婚のことを『祝福』と言い、配偶者を亡くした後に、その遺影を持って教会から祝福を受けることを『霊界祝福』というのですが、A子さんはそれをやっていたようだ、とも伝わってきました」



ソウル五輪スタジアムでの合同結婚式(1995年)

 先祖供養という美名のもと、統一教会に傾倒していく母を間近で見ていた山上は、供養や救済とは真逆の感情を蓄えていった。だが、負の感情を押し殺して学業に打ち込み、奈良トップクラスのエリート校である県立郡山高校に進学。当時のクラスメイトが証言する。


「彼はとにかく大人しく、物静かな子だったけど、話しかければ笑顔で返してくれた。いつもひとりで、友達がいるイメージがあまりない。そんなだから、応援団に入ったのは結構意外やった。うちの高校は2年生のときに野球部が甲子園に行ったんですが、彼は他の応援団員と、一般の生徒たちに応援指導をしていた。それもあってクラス内では『団長』というあだ名がつけられていました」



郡山高校では応援団に

女性隊員から気持ち悪がられ

 郡山高校を卒業した山上は、母を見切り、伯父を頼った。母子関係は、すでに修復不可能な領域に達していたのだ。


「(一部で報じられている)同志社大学中退、というのはガセですわ。あの子は、お金がなくて大学に行けなかったんや。高校卒業後、夢やった消防士になるための試験を何回か受けているんですよ。ところが、強度の近眼で不合格。それで『公務員試験合格のための専門学校に行きたい』と。私は98年頃から『生活が苦しい』というので毎月の生活費の援助を再開させていましたが、徹也が専門に通うという時には、それとは別に75万円の資金援助をしました」(伯父)



山上(高校の卒業アルバム)

 その後山上は、専門学校に通っていたが、やがて中退。02年8月、任期制自衛官(1任期=3年)として、海上自衛隊の佐世保教育隊に入隊する。4カ月後、呉海上自衛隊基地で実習部隊に配属。1年以上、実習部隊で経験を積んだ。


「入隊後、彼は船の実習部隊で上司とトラブルになり、上の学校に進めなかったのです。そして、最後の頃は広島県江田島市の第一術科学校に、学生ではなく職員として在籍、総務課文書係という窓際部署で過ごした。外部から来る手紙に判子を押して配るだけの雑務。学校に進めない落第生は100人のうち一、二人です」(海自関係者)


 銃撃事件後、当時の自衛隊同期らは、山上の印象を次のように語っている。


「いつも不平不満ばかりこぼしていて暗い性格だった。微分積分など数学は得意だけど、運動は得意ではなかった。女性の体を上から下まで舐め回すように見るので、女性隊員から気持ち悪がられていた」


 05年2月14日。半月ほど前に還暦を迎えた伯父が子供たちから赤いちゃんちゃんこの代わりにプレゼントされた真っ赤なガウンを着ていると、けたたましく電話が鳴った。相手は「呉海上自衛隊」を名乗った。


「山上徹也さんが自殺を図りました」


 当時、山上が身を寄せていたのは呉市内にある自衛官専用の下宿だった。築48年(当時)の木造住宅。風呂、トイレ、キッチンは共同で家賃は1万円。その日、9部屋のうちの1室に籠もった山上はベンジン50ミリリットルとアルコールを飲み干した。だが混沌とする意識の中で自ら救急車を呼び、一命を取り留める。


「海自が徹也の事情聴取をしてくれてね。その聴取の報告書を見たら、統一教会への恨み言ばかりが書いてあった」(伯父)


 当時、山上は調査に対し、次のように答えている。


「母親は統一教会に熱中するあまり家庭を顧みず、お金をつぎ込む毎日でアルバイトも解雇されてしまった。特殊な家庭環境に置かれる中で小学生時代から漠然とした自殺念慮があった」


 別の海自関係者が匿名で打ち明ける。


「聴取から浮かび上がったのは、彼の心の屈折でした。中学時代には無気力になり、高校では一時期、引きこもるようになったとも主張していた。そんな息子を見かねた母が精神科に連れて行ったのは、彼が高校3年生の頃。2カ所の病院で受診歴があると言っていました」


 自殺未遂当日、呉共済病院に搬送された山上は応急処置を施された後、呉市内の別の病院で入院生活を送ることになった。病院からの連絡を受け、翌日駆けつけたのは上司の他、伯父と山上の兄。そこに母の姿はなかった。


「何度か彼の母親に電話しましたが、当時彼女は韓国に行っており、繋がらなかった。ようやく連絡が取れたため、入院の許可を取り、早期帰国を促したのですが、彼女はそれに応じなかった。山上も、『母親には会いたくない』と言ったのです」(同前)


 入院中、山上は他の患者とは一切コミュニケーションを取らず、テレビを見て過ごしたという。A子さんがようやく病院を訪れたのは、自殺未遂から半月が経った2月末のこと。話し合いの結果、伊丹市内にある陸上自衛隊の関連病院に転院が決まった。伯父が当時を思い出す。


同窓会でも熱心に勧誘

「徹也は自殺を図る直前、広島の消費者金融に80万円ほど借金を重ねて飲み屋街で散々飲み歩いていた。『死のう』と思ってのことでしょう。結局、その借金も私が全部払った。後に分かったんやけど、徹也は自分が加入していた保険の受取人をA子から兄貴に変更していた。(障害を持つ兄に)保険金を残したかったようだ。退院後、うちで引き取るという話もあったんやけど、結局うちの息子たちが反対したんや。あのとき引き受けていればと、今でも悔やむでなぁ……」


 退院後、奈良市内に舞い戻った山上は、母と統一教会への憎悪を溜め込んだまま、破綻した人生を上塗りするかのように資格取得に邁進する。


 05年8月、任期満了に伴い海上自衛隊を退職すると、翌月、測量会社でアルバイトを始め、07年7月には測量士補の資格を取得、同年10月には宅地建物取引士を取得。08年3月にはファイナンシャルプランナー(2級)を取得した。


 一方、A子さんは相変わらず統一教会に帰依していた。彼女の経歴を繙くと“依存”と“洗脳”に支配された半生が見えてくる。


 52年9月、A子さんは島根県出身で県庁職員の父と専業主婦の母との間に二人姉妹の長女として生まれた。父は定年を待たずに退官すると、奈良市内に移住し、建築会社を設立。70年、A子さんが高校生のときに父は市内の新興住宅地に一軒家を建てた。


「裕福な家庭でシャム猫を飼っていた。A子さんの妹は医者になり、『あそこの一家は優秀や』と評判だった」(近隣住民)


 土木業界団体の大阪支部会長も務めた立志伝中の人である父。その背中を見て育ったA子さんは、県内随一の進学校である県立奈良高校を卒業後、大阪市立大生活科学部に進学する。


 大学時代のクラスメイトが語る。


「A子さんは食物学科の栄養科学の研究室に在籍し、土壌細菌の研究をしていました。バドミントン部に所属し、栄養士の資格を取得。地味で真面目という印象でしたが、思い込んだらグーッとのめり込む性格で、ちょっと抜けたところがあった。例えば、就職活動の一環で大阪府の採用試験を受けたところ、2次試験を受け忘れたことも。卒業後はご実家を継がれたと聞いていました。一度卒業してから電話で話した際、『妹がお医者さんになった』と喜んでいました」


 一方、別の同級生は結婚、出産を経た彼女の変貌ぶりに狼狽したという。高校大学時代の同級生が語る。


「お互い子供が10歳くらいになった頃、『同窓会をやろう』と。仲良しグループ五人で集まり、天王寺公園のレストランで同窓会をやったんです。その時、彼女は宗教にハマっとって熱心に勧誘してきた。奈良在住の同窓会メンバーにもパンフレットを送りつけ、しつこく『救われるから来い。お金を出せ』と。そんな出来事があって『今後、A子を呼ぶのやめとこか』となった。関係は、それっきりになりました」


 官報によれば、A子さんが自己破産したのは、山上が海自に入隊した直後の02年12月のこと。それから7年後、彼女が実父の死後に代表取締役に就任していた建設会社は解散に至る。A子さんは、わずか10年余で父の遺産もすべて使い果たしたのだ。


 実は会社の解散と時を同じくして、見るに見かねた弁護士の伯父が統一教会に対し、行動を起こしている。


「私はA子が統一教会に注ぎ込んだ金を取り戻そうと、『献金の内容を出せ』という書面をFAXで教団に送り続けました。当時、私はA子が自己破産していることを知らなかったので、教会に対して破産の有無についても開示するよう求めたのです。すると教会はいずれの質問にも回答を避け、『5000万円の解決金を支払います』と言ってきた。でもそれを私が預かるわけにはいかない。取り戻した解決金は、A子から、結局また(統一教会に)行ってしまったんです」


 統一教会による霊感商法に関する訴訟を担当してきた奈良弁護士会所属の松岡康毅弁護士が、当時流行していた手口を明かす。


「正体を明かさずに●●サークルと名乗り、未信仰の人たちを入信の窓口であるビデオセンターに連れていき、そこで教義に繋がるものを見せるわけです。不遇な環境にあったりすると『それは先祖の因縁だ』と。その因縁を取り払うと称して、多宝塔や壺など、数百万円以上のものを買わせるんです」


 一家をさらなる不幸が襲ったのは、15年11月のこと。大病で片目の視力を失っていた当時30代半ばの長男が、将来を悲観し自死を遂げたのだ。11月8日、葬儀場に親族が集まる中、目を腫らした山上は兄の亡骸を前に、珍しく感情を顕わにした。


目を奪われた1本の動画

「兄貴、なんで死んだんや……。生きてたら、ええことあんのに!」


 それは自らも自死を試み、そこから少しずつ前に向かって歩もうとしていた山上の、やり場のない咆哮だった。葬儀に参加していた親族が振り返る。


「その様子を見て、私は『この子は大丈夫な子や』と思ったんやけど。でもその後、心配になって何度も電話してみた。呑みにでも誘って『大丈夫か』と言おうと思ったのに電話は繋がらず、話せなかった。彼の妹も『連絡があまりとれない』と。結局、その日から彼とは一度も会えていません」


 家庭内の不協和音を共有し、心を許していた兄を父と同じく自死で失った山上は、その日を境にふたたび家族と距離を置き始めた。


 1周忌の席に、山上の姿はなかった――。



「派遣会社に『フォークリフトの免許を持っている人』との条件で依頼したところ、連れてこられたのが山上でした」(工場の責任者)


 20年10月16日。山上は奈良県内の派遣会社に登録し、京都府内の工場で働き始める。履歴書の趣味欄には「映画鑑賞、読書、PCゲームなど」とあった。


「担当者の印象としては、『です』『ます』口調で敬語がしっかり話せるし、良識のある人。すぐ採用を決め、派遣期間は今年5月15日まででした」(同前)


 入社後、山上は周囲が感心するほど黙々と勤務をこなした。週五日、勤務時間は朝8時から夕方5時まで。ポロシャツに作業ズボン姿でバイクや黒色の軽自動車で出勤した。無駄口を叩かず、プライベートを明かすことはなかったが、翌年の春、勤務態度に異変が起きた。


「作業場の手順を守らなくなり、10月頃には従業員とトラブルを抱えるようになったのです。上司や同僚が叱責すると『どうしてそんなこと言うんや!』と反抗的な態度で返してきたこともあった」(同前)


 職場で見せた昂りは、どのような心境の変化だったのか。同年9月、山上は1本の動画に目を奪われた。統一教会の始祖である文鮮明氏と妻が設立した関連団体「天宙平和連合」(UPF)がオンラインで開いた集会に、安倍氏が次のようなビデオメッセージを寄せていたのだ。


「UPFの平和ビジョンにおいて、家庭の価値を強調する点を高く評価いたします」



統一教会創始者の文鮮明氏(左・故人)と妻の韓鶴子氏

 家庭を破壊した統一教会を憎悪し続けてきた山上は、その関連団体にエールを送る安倍氏を殺害することを決意したと供述しているという。そして、襲撃に向けた助走を密かに始める。


「山上は今年4月頃に奈良市内の自宅マンションで自作の銃を完成させ、襲撃前日、統一教会の関連施設で試し撃ちをしていました。犯行当日の7月8日、奈良県警が山上の自宅を捜索したところ、事件で使われたものと同様の構造をした手製の銃が数丁発見された」(前出・社会部記者)



山上の自宅マンションに向かう捜査員

 山上が暮らしていた家賃3万5000円の単身者用マンションの隣人が、不気味な予兆を打ち明ける。


「ここ1カ月、たまにノコギリで何かを切っているような音が聞こえた。ギコギコ、ギコギコと1カ月に2、3回ほど。ただ、それ以外は何をしているのか分からないくらい静かやった」


 殺意による高揚感は、おのずと職場との軋轢を生んだ。決定的な確執が生じたのは今年1月のことである。


「彼が積み込みの際に緩衝材を入れなかったため、社外スタッフのドライバーが文句を言ったところ、山上は『このやり方でも崩れない』と主張。口論に発展し、ドライバーから『これでは運べないから山上を現場から外してくれ』とクレームが来た。結局、山上の同僚に交代させて事態を収めたのです」(工場の責任者)


 こうした反抗的な態度は日に日にエスカレート。3月には、ベテラン従業員が山上に対して手順を注意したところ、山上は「そんなら、お前やれや!」と激昂した。欠勤が増えていったのは、その直後だった。


「体調不良と言うので詳しく聞くと『心臓が痛い』と言うのです。時には無断欠勤もあった。そして、4月に派遣会社から『本人都合により5月で退職したい』と申し出があったのです。最後に作業したのは4月下旬でした」(同前)


母は「事件と統一教会は……」

 7月8日、午前10時10分、奈良選挙区から立候補した自民党・安倍派の佐藤啓参院議員が大和西大寺駅北口ロータリー付近で演説を始めた。その後に応援演説が予定されている安倍氏の姿を一目見ようと、ロータリーには観衆が群れを成し、界隈は異様な熱気に包まれた。


 その7分後、安倍氏が到着するとそこかしこから声援があがった。応援演説を始めた11時半頃、駅に背を向けていた山上は、安倍氏の背後に素早く駆け寄ると、落ち着き払った様子で引き金を引いた――。



SPに取りおさえられる山上

「母親が(統一教会の)信者で、多額の献金をして破産した。絶対成敗しないといけないと恨んでおり、団体のトップを殺害しようとしたが、接触が難しかった。安倍氏が団体とつながりがあると思って狙った」


 逮捕後、山上はそう供述しているという。一方、山上の狂気を育てたA子さんは伯父に、こう洩らした。


「私が統一教会に入ったことは徹也の人生には影響していない。事件と統一教会は関係ないでしょう。教義に反するようなことは、話したくない」


 伯父がA子さんの現在の様子を語る。


「私が『統一教会のせいで大学に行けなくなったんちゃうか』と聞いたら、『私が統一教会に入ろうが入るまいが、徹也はそれなりの学校に行けたはず』って。お金がなくても『自分で稼いだらええんとちゃうか』と話していました」


 A子さんの信仰について統一教会はどう答えるのか。広報部長は電話で、こう回答した。


「A子さんは今現在も奈良教会の現役の会員さんです。数カ月に1回の催し物には参加されていた。原理教本を全体で読み上げたりする催しにも参加していました。主に日曜日の午後に2時間くらいのものです」


 事件後、統一教会幹部がA子さんにLINEを送ったところ「既読」が付いたものの、まだ会話はできていないという。さらに小誌が統一教会に対し、自己破産と献金の因果関係や、現在までの献金額の総計、5000万円の解決金支払いの有無について尋ねると、次のような回答があった。


「(献金総額などは)捜査に関わるので回答は控えさせていただきます。(解決金支払いについては)そのような事実はございません。容疑者の当法人への不満等が原因で、安倍元首相に対する理不尽な蛮行が行われたのだとすれば、その結果について当法人として大変重く受け止めています」


 7月8日、午前11時31分。山上が安倍氏の背中に立ち昇った白煙の彼方に見たのは、理想の家庭像ではなく、苦界の果ての深い絶望だったに違いない。



多くの人が献花に訪れている現場

source : 週刊文春 2022年7月21日号

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