平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

(1) 序文   世界平和を愛する世界人として  文鮮明自叙伝    文鮮明 著


 世界平和を愛する世界人として 


文鮮明自叙伝    文鮮明 著


(1)序文


 乾いた冬の終わりに、夜通し春雨が降りました。どれほどうれしいことでしょうか。朝の間中、庭をあちらこちらと歩き回りました。湿りを得た地から、冬の間ずっと嗅(か)ぐことができなかった土の香りが芳(かぐわ)しく匂い立ち、枝垂(しだ)れ柳や桜の木には小さな芽が萌(も)え始めました。至る所から、ぽんぽんと新しい生命の芽吹きの音が聞こえてくるようです。


 追いかけるように庭に出てきた妻は、いつの間にか乾いた芝の上にひょいと突き出したヨモギの新芽を摘み取ります。一晩降った雨で、全てのものが香りを放つ春の庭園になりました。


 世の中が騒がしかろうと、どうであろうと、三月になれば必ず春は訪れます。このように冬が去って春になり、春になれば花が満開になる自然は、年を取るほどに、より貴重なものになってきます。私が何者だからと言って、神様は季節ごとに花を咲かせ、雪を降らせ、生の喜びを与えてくださるのか。胸の内、その奥深い所から愛があふれ、それが喉元(のどもと)まで込み上げてきて、息が詰まるようです。


 生涯、平和な世界を成す為に東奔西走し、地球を何周も回りましたが、私は今、この春を迎える庭において真正なる平和を味わっています。平和もまた、神様が何の見返りも求めず、ただでくださったものです。私たちは、それをどこでなくしてしまったのでしょうか。全く見当違いの場所で探し出そうと努力しているのかもしれません。


 平和の世界を作るために、私は生涯、この世の底辺や辺境の地を訪ね回りました。飢えている息子を前に、なすすべもなく見守るしかないアフリカの母親たちにも、川に魚がいるにもかかわらず、釣り方が分からなくて家族を食べさせられない南米の父親たちにもあいました。


 私は彼らに食べ物を少し分けてあげただけですが、彼らを私に会いを施してくれました。私は愛の力に酔って、原始林を伐(き)り拓(ひら)き、種を蒔(ま)き、木を伐って学校を建て、魚を釣って、おなかを空(す)かせた子供たちに食べさせました。体中を蚊に刺されながら夜を徹して釣りをしても幸福であり、泥土の中に太ももまですっぽりと埋まってしまっても、寂しい隣人たちの顔から陰が消えるのを見るのが喜びでした。


 平和な世界に向かう近道を探して、政治に変化をもたらし、世の中を変えることにも熱中しました。ソ連のゴルバチョフ大統領に会い、共産主義と民主主義の和解を試み、北朝鮮の金日成(キムイルソン)主席と会い、朝鮮半島の平和について話し合いました。さらに、道徳面において崩れゆくアメリカに行き、清教徒(ピューリタン)の精神を目覚めさせるという医者や消防士のような役割も果たし、世界の紛争を防ぐことに没頭したのです。


 私たちの運動は、イスラーム教徒とユダヤ教徒の融和のために、テロが頻発するパレスチナに入ることを恐れず、ユダヤ教徒とイスラーム教徒、キリスト教徒たち数千人を一堂に集め、和解の場を準備し、平和行進を行いました。それでも、葛藤(かっとう)は今も続いています。


 しかし今、私は我が祖国韓国で平和の世界が大きく開いていく希望を見いだします。多くの苦難と分断の悲しみで鍛えられた朝鮮半島で、世界の文化と経済を導く強い機運が、龍が舞い上がるように巻き起こっているのを全身で感じています。新しい春が訪れるのを誰も抑えることができないように、朝鮮半島に天運が訪ねてくるのを、私たち人間の力ではどうすることもできません。押し寄せる天運に従って、私たち民族が共に飛躍するために、しっかりと心と体の準備をしなければならない時です。


 私は、たった三文字にすぎないこの名前を言うだけでも世の中がざわざわと騒ぎ出す、問題の人物です。お金も、名誉も貪(むさぼ)ることなく、ただ平和のみを語って生きてきただけなのですが、世の中は、私の名前の前に数多くの異名を付け、拒否し、石を投げつけました。私が何を語るのか、何をする人間なのかを調べようともせずに、ただ反対することから始めたのです。


 日本の植民統治時代と北朝鮮の共産政権、大韓民国の李承晩(イスンマン)政権、そしてアメリカで、生涯六回も主権と国境を超えて、無実の罪で牢屋(ろうや)暮らしの苦しみを経て、肉が削られ血が流れる痛みを味わいました。しかし今、私の心の中には小さな傷一つ残っていません。真(まこと)の愛の前にあっては、傷など何でもないのです。真の愛の前にあっては、怨讐(おんしゅう)(深い怨みのあるかたき、敵)さえも跡形もなく溶けてなくなるのです。


 真の愛は、与え、また与えても、なお与えたい心です。真なる愛は、愛を与えたということさえも忘れ、さらにまた与える愛です。私は生涯、そのような愛に酔って生きてきました。愛以外には、他のどのようなものも望んだことはなく、貧しい隣人たちと愛を分かち合うことにすべてを捧げました。愛の道が難しくて涙があふれ、膝をへし折られても、人類に向かう愛に捧げたその心は幸福でした。


 今も私の中には、いまだすべて与えきれない愛だけが満ちています。その愛が、干からびた地を潤す平和の川となって、世界の果てまで流れることを祈りながら、この本を発表します。最近になって、私が何者かと尋ねる人がぐっと増えました。その方々の少しでも助けになるように、これまでの生涯を振り返り、この本に率直な話を詰め込みました。ページ数に限りがあるので、語り切れない内容は次の機会にお伝えできればと思います。


 これまで私を信じ、私の傍らを守り、生涯を共にしてきたすべての人に、そして、すべての難しい峠を共に克服してきた妻である韓子(ハンハクジャ)に、無限の愛を送ります。最後に、この本を上梓(じょうし)するまでに多くの誠を尽くしてくださった金寧(キムヨン)社の朴恩珠(パクウンジュ)社長と、私が思いつくままに語った煩雑な内容を読者の皆様に分かりやすくお伝えするために、苦労を厭(いと)わず尽力してくださった出版社の関係者の皆様全員に、心からあふれる感謝の意を表したく思います。


 二〇〇九年三月一日

    京畿(キョンギド)加平(カピョン)にて

                         文鮮明(ムンソンミョン)

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