平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

④愛する婚約者を毒殺する場面から学ぶ 映画『陸軍中野学校』 ☞☞ 一部 文先生の路程に重なる

 何故、この『陸軍中野学校』を取り上げたのか…少し書くことにします。


 市川雷蔵が主演となった秀逸なスパイ映画です。文先生の生涯に重なるところがありますので取り上げました。


 日本の為に愛する許嫁を毒殺するという、見る者の心が凍りつくスパイ映画です。この場面を見て、私は、ほんの一部ですが、文先生に重ねることができると思ってこの映画をアップしました。見る者の心が凍りつく場面です。
 このような生き方を神様から学ばれた文先生は、サタンに真の愛を顕す為に語ることができず、自ら進んで、幾度も幾度も、ご自身と愛する者を犠牲にして祭壇に捧げて来られたのです。文先生が語ることができたのは、犠牲にした後、ほんのわずかな御言葉だけです。


 残念ながら、私はそのような文先生であったことをほんの一部しか理解していませんでした。一体、そのような文先生を理解した者が統一信徒の中にいたのでしょうか。答えは語らなかったのですから、否です。


 文先生がご自身の心中を涙ながらに共有できたのは神様だけだったと語られています。だから、お母様のこと、孝進様のこと、顕進様のこと、国進様のこと、亨進様のこと、中心家庭の誰に対しても、私が何処に所属していようが、石を投げる正当な理由持った者は誰一人いないのではないでしょうか。あなたはどう思われますか。


 あなたの為に犠牲になった中心家庭に石を投げる者がいるとするなら、真の愛はその石を投げる願いに必ず答えられるのです。イエス様が言われたように、自分自身と家庭と肉親の親族と子孫に及ぶと私は思わざるを得ないのです。



陸軍中野学校


参考までに・・・



沿革
創設の動きは1937年(昭和12年)、戦争形態の加速度的進化で謀略の重要性が増し、日本が世界的な潮流からの停滞を余儀なくされることを怖れた岩畔豪雄中佐が、参謀本部に「諜報謀略の科学化」という意見書を提出したことに始まる。
同年末、陸軍省が中心となってその創設を決定。岩畔、秋草俊、福本亀治各中佐を中心として1938年(昭和13年)3月に「防諜研究所」として新設。同年7月より特種勤務要員(第一期学生19名)の教育を開始した。
1939年(昭和14年)5月に同研究所は「後方勤務要員養成所」に改編、7月には第一期学生の卒業を迎える。
1940年(昭和15年)には「陸軍中野学校」と改名し、1941年(昭和16年)には参謀本部直轄の軍学校へ転身する。その存在は陸軍内でも極秘とされていた[1]。

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