平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

天の国語で読む ☞ 三大摂理 「氏族的メシヤ」「還故郷」「先祖解放」

下記のようなコメント頂戴しました。

令和金太郎 


再臨主の立場の方(従的三代圏)が来られるのがまだずいぶん先のことになりますが、今我々としてできることとは何でしょうか?



このコメントに対する777からのお返しのコメントが下記です。


 コメント頂戴したテーマは、いずれ記事にしようと思っていましたので、すこし、何回かのシリーズになると思いますが、寛容にお読み頂ければと思います。


本日は、第一回目、ほんの助走からです。


――――――――――――――

1985年、ダンベリーから出獄された以降、御言葉は天の国語で語られていた見ることができる

――――――――――――――



 このシリーズの重要な観点は何かと言いますと、1992年に真の父母宣布をされた文先生の所属が何処にあったのかという問題です。



 文先生は40年サタン分立路程を勝利的に終えられ、再びメシヤの位置を取り戻されたのが1992年でした。従って、それ以降の御言葉とそれ以前の御言葉との間には大きな違いがあることを知らなければなりません。


 ところが、1992年よりも三年前となる1989年には八定式を勝利されましたから、三年早く、文先生は真のアダムの位置を再び取り戻されたことになります。

 また、1992年までの七年路程の出発となった1985年のダンベリー出獄以降の文先生は、サタンが介入することができないという、たったお一人ですが、常に、神様と共にある立場を復帰されたことを理解しておかなければなりません。

 



   「天の国語」で語られた御言葉


 ダンベリー出獄以降、特に、真の父母宣布以降の先生ご自身には蕩減がない、「先生の所在が天にある」という立場に立たれたとみます。これによって、これ以降の御言葉は「天の国語」で語られたとみます。


 このような文先生の立場を知って三大摂理の御言葉を理解することができれば、「氏族的メシヤ」「還故郷」「先祖解放」の摂理の姿が、これまで私たちが考えてきた姿とは似ても似つかない姿となって顕れるようになります。


 このような観点に立った姿こそが、私たちが文先生のご存命中に成さなければならなかった三大摂理であったのです。しかし、残念ながら、誰一人として、この真実を理解した者はいませんでした。


 その為、文先生が聖和された以降、今からでも、第三アダムを再び迎える為に、文先生が天の国語で示された「氏族的メシヤ」「還故郷」「先祖解放」を知って取り組んでいかなければなりません。


 そして、これ等を推進する為に文先生が指示されて行かれたのが御言葉の訓読であったのです。


 もし、文先生を真の父として一度でも仰いだ者が、これに反することをやり続けるとするなら、或いは、これ等の摂理から遠ざかるとするなら、間違いなくサタンの餌食になり落ちることを謙虚になって知っておかなければなりません。


ーーーーーーーーーー


次回から、「氏族的メシヤ」「還故郷」「先祖解放」の本質に迫ります。

(心の中に温めていたものを初めてシリーズで記事にしていきますので、未熟さが露呈するかもしれません。ご了承ください。)

×

非ログインユーザーとして返信する