「赤・天聖経」 ☞ 誰にでも理解できる・・・・文先生とお母様が『偽りの父母』になられた
この像は「偽りの父母」を象徴する像です。
六千年前のアダムの堕落と文先生とお母様の堕落の概念は同じではありません。文先生の堕落は神様に帰る為の事実蕩減によって起こった問題です。
赤・天聖経
第二篇 真の父母 第一章 第一節 3
(※1)キリスト教が二千年の歴史を経ていく過程で、人類始祖が堕落したとすれば、堕落した父母は偽りの父母、悪の父母であり、
(※2)堕落していない父母は善の父母であり、真の父母だということがすぐに分かるはずですが、
(※3)それを今まで発表できなかったのは、発表できるこの時を待っていたからです。
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(※1)キリスト教が二千年の歴史を経ていく過程で、人類始祖が堕落したとすれば・・・
この「キリスト教が二千年の歴史を経ていく過程で、人類始祖が堕落したとすれば」の「人類始祖」に該当するお方は文先生のみです。
違いますか??
「キリスト教が二千年の歴史を経ていく過程で・・・」堕落したのは六千年前のアダムでは絶対にないですよね??
(※2)堕落していない父母は善の父母であり、真の父母だ・・・
文先生は堕落した立場に立たれた為、実体の真の父母になることができず、「真の父母は希望の象徴、未来線上においての出発点とした」のです。従って、真の父母という方は実体としては存在していませんでしたから、文先生とお母様は堕落した「偽りの父母」の立場に立たれたことをあらわしていることになります。
分かりますね??
(※3)それを今まで発表できなかったのは、発表できるこの時を待っていたからです。
お母様が洗礼ヨハネの使命を果たすことができず、お母様の責任分担時代が過ぎ去ってしまった為、文先生も堕落圏にと留まらざるを得なくなって、お母様と共に堕落した立場が決定的になったことから、天聖経に、初めて、「発表できるこの時を待っていた」と語られたのです。
異論ありますか??