「アダム」とは、文先生のことであった!!(聖書の中のアダムのことではない)
「アダム」とは、文先生のことであった!!(聖書の中のアダムのことではない)
昨日のブログでは、「アダム」を文先生であるとし、「エバ」をお母様であるとして考察した。そして、「イエス様」の名をも借りて先生はご自身のことを語られているとした。
もし、このような観点に立って御言葉を読むようになれば、全く違ったメシヤ観、お母様観、摂理観、世界観、信仰観が見えてくる。
詳細は後日として、文先生はメシヤであり、真のアダムであるという前提で考察を進めている。しかし、先生はご自身を「堕落したアダム」として語られている。
どうしてか。この理由も後日、必ず考察する。
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「アダム」とは一体何を意味するのか???
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ここで問題になるのは、御言葉にある「アダム」とは文先生のことであり、「エバ」とはお母様ことであるとすることが、本当に正しいことなのかどうかになる。
それでは、これが正しい根拠となる御言葉〔A〕〔B〕〔C〕を以下に取り上げる。(なお、「イエス様」については後日考察する)
下記の御言葉をお読み頂ければ、「アダム」とは、聖書の中の人物であるとは一言もありません。そうではなく、「アダム」という概念に当てはまるお方こそが「文先生」になることが明確に分かる。
御言葉〔A〕 天聖経 真の神様 第二章 三 1.
『アダムとは何でしょうか。神様の内在的性稟の半分を実体として展開した表示体です。
エバは何でしょうか。女性の性稟を実体として展開した表示体であり、表した存在です。
表したと言うとき、表したということは実体をもっている、表示体であるということです。』
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御言葉〔B〕 天聖経 成約人への道 第一章 三 2.
『アダムとは誰かといえば神様の体であり、
エバとは誰かといえば神様の夫人だったというのです。
このようになっていたならば、その子供は神様の血統をもって生まれるのです。彼らが神様の血族になるのが原則です。』
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御言葉〔C〕 天聖経 宇宙の根本 第二章 三 (3)
『アダムとは誰ですか。神様が根ならば、アダムは新しく出てくる枝と同じであり、芽と同じです。神様とアダムは一つの体です。
生命の根も神様であり、愛の根も神様であり、血統の根も神様であり、良心の根も神様なので、神様が先に愛を感じなければなりません。根が先に感じて、幹が愛を感じなければならないのが原理です。』
上記の御言葉〔A〕〔B〕〔C〕からすると、「アダム」が文先生であり、「エバ」がお母様になることに異論はないはずです。
その観点に立って、昨日の御言葉を下記にもう一度取り上げたので、再確認してほしい。
下記の御言葉〔D〕〔E〕〔F〕〔G〕からすれば、先生が「堕落したアダム」の立場に立ち、さらに、御言葉〔E〕はこの事実を明かす時が来たので発表している御言葉になっている。
ということは、この御言葉〔E〕は、「天聖経」の御言葉になるから、この御言葉自体が、先生ご自身が「堕落した父母」になったということを発表する内容になっていることになる。
これについては、今後、緊急に考察し、発表する。少々の日数をお待ちください。
下記の御言葉〔D〕の「アダム」が聖書の中のアダムであるとするなら、論旨の筋がまったく通らない。この「アダム」は文先生になります。
超重要!! 御言葉〔D〕
《「天地人真の父母定着実体み言宣布の意味」歴史の悲運を独りで責任を負ってきた文総裁 》2010年天暦5月27日(Todays World Japan 2011年1月号より転載)
『歴史を解くために、悲しい歴史の悲運を独りで責任を負ってきた文総裁の悲しさを誰が分かってくれるのかというのです。神様も分かってくれず、夜の神様も分かってくれず……。
アダムが堕落したことも知りません。教えてくれません。自ら明らかにしなければならないというのです。
「おまえの責任だ。尋ねるな。私の責任ではない。私は知っているが答えることができず、教えてやることはできても教えてやれる立場ではない。
お前の世話、おふたかたの世話にならずに解放の主人公にならなければならない。
『あなた方が教えてくれなくても、天上世界へ行って再び教えを受けなくても、私たちが責任を負って、あなたが行くべき天下を引き受け太平王国の時代をきれいに成し遂げます』と言わなければならない。
死ぬ前にその境界線(=完成基準)を越えよ!」と言うのです。』
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下記の御言葉〔E〕を読む鍵は次の三つ。
① 文先生が80歳過ぎてからの御言葉であること。
② 「真の父母とは未来を起源としている」こと。
→ 御言葉〔F 〕
③ 「真の父母とは完成基準を越えたお方である」こと。
→ 御言葉〔G 〕
この三つの観点に立って読めば、善の父母はいないということになり、先生は、堕落した偽りの父母になる。
分かりますね。そして、先生はこれを発表できる時を待っていたというのです。
超重要!! 御言葉〔E〕
・・・青文字を外しても、文脈をよく読み取れば理解できる
〔 天聖経 真の父母 一 一) 〕
(青文字の挿入なし)
『皆さん、考えてみなさい。キリスト教が二千年の歴史を経てきながら、人類の先祖が堕落したとしたら堕落した父母は偽りの父母、悪い父母で、堕落しない父母は善の父母であり、真の父母ということがいっぺんに分かるのに、それを今まで発表できなかったのです。
それは、発表できる、この時を待ってきたのです。』
(青文字の挿入あり)
『皆さん、考えてみなさい。キリスト教が二千年の歴史を経てきながら、(キリスト教の失敗により先生が堕落したアダムの立場から出発する為、)人類の先祖(=再臨主である先生)が堕落したとしたら堕落した父母は偽りの父母、悪い父母で、堕落しない父母は善の父母であり、真の父母ということがいっぺんに分かるのに、それを今(=2001年というメシヤが第三次アダムとして顕現する時)まで発表できなかったのです。
それは、発表できる、この時を待ってきたのです。』
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御言葉〔F〕
『真の父母の立場は、どんな立場でしょうか。
・・・・・
したがって、本来神様の創造理想によって立てようとした真の父母はいなくなりました。真の人類の先祖がいなくなったということです。
真の父母とはどんな存在でしょうか。
真の父母は、全体の希望の象徴です。
堕落した人類の前に絶対的な希望の象徴なのです。
彼は、歴史的な結実体であり、時代的な中心であり、人類が生きている今日、この世界へ連結することができる未来線上における出発点です。』
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御言葉〔G〕
〔 祝福家庭と理想天国(1) 祝福と理想家庭 第二章 第三節 1. 〕
『 真の父母の位置とはどのような位置でしょうか。
(真の父母の位置とは)アダムとエバ(=先生とお母様)が、神様を中心として完全に一つになって、サタンの讒訴圏を脱け出した位置です。
サタンが讒訴できる内容を残さずに、完成基準を越えた位置に上がっていって初めて、真の父母の起源が生じるのです。
これが原理的観点から見た真の父母の起源なのです。』
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最後に余談だが・・
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文先生が「堕落したアダム」「偽りの父母」であったことを受け入れるのに時間がかかった。しかし、一日に三時間、十時間、これを、三年、五年、七年と御言葉を検索することにより、先生がどうして「堕落したアダム」「偽りの父母」になってしまったのか、その原因を徐々に明らかになり、茫然自失の日々の中から、文先生が言葉にできない心情の十字架が常に迫りくるようになった。
問題は、メシヤ観、お母様観、摂理観のパラダイムの転換はこればかりではなかった。これを少しでも分かち合いたいと思い、こうしてブログ記事を再び書くようになった。(私ごとなどどうでもいいのですが・・・失礼しました。)